2009年11月 3日 (火)

浜松のイベント2題

 秋本番であちこちでイベントが開かれている。近くで開かれている二つのイベントに参加。

 その1 浜名湖立体花博・浜松モザイカルチャー世界博2009。舘山寺のフラワーパークを一日ゆっくり歩く。小さな植物を植え込んだ立体物が展示されていて何が植え込まれているのかを見るのも楽しい。多肉植物がたくさん使われている「メキシコの風」をじっくり鑑賞。学校法人中野学園の「赤富士」もよかった。Dsc03129 Dsc03133 Dsc03131    

 その2 3日に開かれた天竜産業観光まつり。二俣のクローバー通りに100近い団体が出店していた。JA遠州中央農協の婦人部展示として「さつき料理グループ」の末席に加えていただき、前日サツマイモ料理を作って展示にちょっとだけ参加したのです。Dsc03145 Dsc03146

 二俣城址には「一夜城」が出現。チェンソーで作られた信康像も飾られ、普段は石垣のみの城址が少し変わった雰囲気。Dsc03152 Dsc03149                  

 これから北遠の天竜区内では秋のイベントが目白押し。佐久間、龍山、水窪、春野、たつ川・・・。一応これまでにすべて参加したことがあるのだが、いい天気に誘われてふらふらと出かけることになるかな?                                         

2009年9月13日 (日)

一ヶ月遅れの鹿島の花火

 8月第一土曜に毎年開催されてきた鹿島の花火、今年は雨による天竜川増水のため、1ヵ月遅れの9月5日に行われた。

 名古屋や栃木に住んでいたときは、この花火大会にあわせて帰省し、近所の親戚も集まって賑やかに花火を楽しんできた。遠州に来てからは東京に住む子どもたちが集まり、庭でバーベキューをしながら見るのが恒例だったのだが・・。1ヵ月遅れとなり子どもたちも都合が付かず・・・で、風さんとつれ合いと犬で花火を見ることとなった。風さんは家の中から。Dsc03002 Dsc03029 Dsc03014 Dsc03039 Dsc03044 Dsc02999 Dsc03047

 それでも一応「宴会」の用意、今年の目玉はつましくも「茗荷寿司」、寿司飯に酢と砂糖・酒で味付けをした茗荷をのせて握る。さっぱりとしてなかなかおいしい。

風さんの一句を貼ってみる。「子ら寄せて」は「子ら寄りて」にするのがいい、というのが風さんの言い分。なるほど風さんの時代は「寄りて」だが、私たちの時代は「子どもよ来い来い」と親の希望として寄せている、とも言える。今年はそれも叶わなかったが、まあ、しみじみとしたわが家の花火大会となった。もちろん花火自体はとても華やか。

2009年8月17日 (月)

来竜の客をもてなすには・・

 ここ3年間天竜に移り住んで、年に数回、栃木県や名古屋から客を迎えている。懐かしい方々が遠路はるばる来てくださるのだから、何か心に残る「おもてなし」をしたいと思い宿泊や見学の場所をあれこれ考えてみる。

 宿泊場所として一番多いのは舘山寺、大草山のかんざんじ荘や新装なったウエルシーズン、開華亭や鞠水亭に泊まる。浜松市内のホテルオークラやコンコルドに宿泊もした。つい最近はわが家が宿泊場所となった。4人程度なら宿泊可能、ゆっくりおしゃべりも出来これが一番かなー、等と思ってみる。「浜松の別荘」(と言うにはちと恥ずかしいが・・)と思って来てくだされば畑でとれた野菜中心の食事も提供できる。

 食事は、浜松といえば鰻、ということで納涼亭や八百徳、清水屋が多い

 見学コース  浜名湖遊覧・舘山寺・ウナギパイファクトリー等

          天竜船下り・二俣城・田代家・わが家

          秋野不矩美術館・内山真龍記念館・わが家

          浜松城・家康史跡めぐり・賀茂真淵記念館・わが家

 必要に迫られ、当地の歴史についても少し勉強してみる。浜松は賀茂真淵誕生の地、国学に興味があれば記念館や懸居神社、賀茂神社のルートも良い。先週はそんなルートを訪ねた。Dsc02987 Dsc02990 Dsc02988

 写真は懸居神社にある「懸居翁霊社の碑」(水野忠邦書)、賀茂真淵像、そして私個人の関心からの句碑「沈黙は金なり金木犀の金 朗人」。なぜにここに建てられたのか誰かに聞いてみなくては。

2009年7月27日 (月)

細江神社祇園祭・・ご神体の湖上渡御

 夏祭りが各地で行われている。当地二俣町も8月に入ると、1日の「鹿島花火」を始め土日にはどこかで祭りが行われる。昨年はこれらほぼすべてを「見に行った」。本当はこうした祭りに「参加」したいのだが、歳がいっての移住で無理。

 今年は少し足を伸ばして近隣の地域の祭りへ。浜松市北区細江町の細江神社の祭りに行く。細江神社のご神体は、約五百年前の大地震で浜名湖入口からここに流れ着いた、という言い伝えがあり、ご神体を船に乗せ都田川を下ることが行われている。

 提灯を付けた出引き屋台の引き回し、笛や太鼓のお囃子、法被姿の子どもたち・・この雰囲気は大好きなのだが、私の人生にはついぞ縁がなかったなー。Dsc02919 Dsc02929 季語を欠くが一句

  湖上渡御 見送る巫女の 初々しDsc02959   

 

 最後の写真は本文に関係ないが、「初々し」の言葉に連想された、一昨日の娘の写真、おまけです。

2009年7月17日 (金)

遠州大念仏に出会う

 当地のお盆は多く7月13~15日に行われる。遠州に住んで3年余り、この盆の行事で驚いたことがある。一つは初盆に葬儀並みに多くの人がお参りに行くということ、もう一つは遠州大念仏。

 13日迎え火をし夕食後くつろいでいたところ、笛と鉦の音がする。「おっ、大念仏をやってるぞ」というつれ合いの言葉に、すぐ「見てくる」と音を頼りに出かけた。百㍍ほど離れたお家が初盆とのことで遠州大念仏が演じられていた。Dsc02903 Dsc02906

 これは遠州地方の郷土芸能で、通説では徳川家康が敗れた三方原合戦に由来すると言われている。

 太鼓を中心に双盤(二個の鉦を並べて布を細かく切って束ねた撞木で打つ)を置き音頭取り併せて念仏を唱和し、太鼓を踊るようにして打ち鳴らす。江戸時代には約280の村で行われていたが現在は、東区・浜北区を中心に約70の団体が保存会として活動している。

 初盆を迎えた家族がお家の中でじっと大念仏を見つめる。遺影を抱く少女が小さく体をふってリズムを取っているのがとても印象的だった

  大念仏 遺影抱く子の 灯に涼し

2009年4月 6日 (月)

天竜の水音

  各地から桜だよりが届く。忙しかった頃は「桜なんてどこで見ても同じだよ」と「ほざいて」いたのだが、ゆとりが出来て立ち止まって桜を見ていると「違う思い」が湧いてくる。

 そんなことを考えていたら、今日朝日俳壇の紙面で、黒田杏子さんの「桜に守られて四十年」という文に出会った。「日本列島桜花巡礼」で俳句の道へ、最後の一行「年を重ねていくのも面白い」に、勿論レベルは違うが大いに共感した。

 遠出は適わぬ身なので、ここ天竜の桜を見る。散歩コースの「御馬が池」、桜の囲む沼に、サギが白くなり黒くなりして舞っている。上から見下ろすことが出来る。船明や佐久間の桜は見上げる桜。そして鳥羽山城から二俣城にかけての桜、いいところが沢山ある。

 二俣城Dsc02705の天守台に立つ。眼下に天竜川。石垣に沿って半分散った山桜と満開のソメイヨシノが並んで咲いている。天竜川の川音が聞こえる。

 天竜の 音聴く花の天守台

2009年2月17日 (火)

歯朶(しだ)を見て

 遠州にDsc02487落ち着いて、Dsc02483地元の由緒ある地や歴史などに興味を持つようになった。車で通過する途中にふと気付いて立ち寄ったのが、浜北区尾野の今刀比羅神社・高根神社。

 今刀比羅神社は、江戸末から明治初期にかけて建てられ、本殿や神楽殿など多くの神社建築がまとまって残っている。  そこから数分登ると高根神社がある。拝殿からは浜北や浜松中心部を一望できる。古墳や巨石が多くある。

  さてDsc02486その参道に生えていた歯朶がとてもきれいだった。この写真は新年の季語ともなっている「裏白」。なだらかな参道にゆったりと垂れ揺れている。春に山中で群生する若葉を見たことがある。「歯朶萌ゆ」は春の季語。俳句をかじり始めたせいか、こうした植物に目がいくようになった。というより「歳」のせいかな。

   歯朶萌えて 癒えし夫行く 女坂

2008年11月16日 (日)

山の幸堪能・・・竜川物産展

 当地から車で北へ20分、竜川で物産展が開かれるとのことで出かけた。雨が時折降るあいにくの天気だったが、現地の皆さんの活気ある店が並んでいて、興味津々見て回った。Dsc02223_2 写真は会場の横山小学校グランドを高台の八幡神社から撮ったところ。 最初に「ズガニ汁」Dsc02220_2をいただく。「ズガニ」とは足に毛ある蟹Dsc02217_2で「モクズガニ」のこと。これをダシにした味噌汁でとてもおいしい。Dsc02215_2一鍋90杯がすぐに売り切れ!       

 次に手作りの「あんもう」。これはあん餅のことでこの地方の方言。柚のおまけ付き。

 手作りの 「あんもう」お負け 柚ひとつDsc02222_2

あんもうに 柚のお負けや 山の市・・・ Dsc02226_2 のほうがいいかな?

 その他、鮎の塩焼き、串いも(里芋を串に刺して山椒味噌をつけてやいたもの)、自然薯のトロロ蕎麦など山の味を満喫。毎日が日曜のような生活だからこういうのもヘンだが、日曜は日曜、おいしく楽しい日曜日。風さんの昼食もお土産の鮎と串いも。

 

                  

2008年11月10日 (月)

イノシシを使いとする摩利支天

 我が二俣町に金光明山光明護国禅寺(「光明山」と略して言う)がある。10月末、大祭があるとのことで出かけた。境内には「四季桜」があり白いかわいい花を付けている。Dsc02026 十数分登ると奥の院に着く。眺望が開け二俣の町や天竜川がよく見える。Dsc02036 そこで、一対のイノシシの像に出会った。Dsc02028

 光明山奥の院は摩利支天を祭る。摩利支天はイノシシに乗って素早く移動し姿が小さく実体が見えない。傷つきにくいことから我が国でも戦場の護神として武士の信仰を集めた。そのルーツは陽炎(かげろう)を神格化した古代インドの女神に由来する。様々な形があり、七頭のイノシシの背に座る場合もあれば、一頭のイノシシにまたがったり、三面六臂で表れたりする。イノシシの献主は碑文に寄れば、名古屋の加藤氏、大正8年のこと。

 境内にある句碑には、昭和14年4月に種田山頭火がここに来て、イノシシの像を珍しがった記述がある。私は亥年なので一層の親近感が湧く。我が町にも歴史ある楽しい場所が多い。

    猪の像と 秋の天竜 見下ろせり

2008年10月26日 (日)

遠州で梁を求めて

 落ち鮎の季節、当地に来て、ご近所の鮎釣りを趣味とする方から何回か鮎を戴いた。で、下野の時のように「梁で鮎を食べたい」。

 下野時代、今の時期は時間があれば日曜の度に、鬼怒川、那珂川、荒川などの梁にでかけていた。現在のわが家近くには天竜川が流れているが、ここには梁はない。北の方にいけば、と春野町に出かけた。気田川の支流に梁はあった。が、食べさせるところは見つからない。

Dsc02002

 漁協や近くの食堂にも行ったがついに生の鮎には出会えず甘露煮と乾燥させたのを買って帰ることになった。漁協の方の話しでは、水が出たときは一晩に三千匹以上取れたこともあったが、今は水が少なく鮎が捕れないとのこと。

 途中、旧王子製紙製品倉庫(県指定有形文化財建造物)や日本一といわれる大天狗面(お化粧中でした)を見て、梁で食べるという目標は達成せず戻る。Dsc01997_2 Dsc02000  

 しかしまあ、不思議なこともあるモンで私の心をいずこで察したものか、下野の友人から鮎の塩焼きが届いた。Dsc02039 感謝、感謝。

 梁で川の流れを見ながら食べた鮎の塩焼き、フライそして鮎ごはん、ちょっと下野への「里心」がついた食卓となったようだ。

 

2008年10月15日 (水)

長ーい県だな、静岡県

 はるばる下野から、友人たちがわが家を訪ねてくれた。車で東名を走ってきたのだが、着くなり見出しの言葉、「長ーい県・・・」。東の熱海市から西の湖西市まで直線距離で150㎞を越すのだから、さぞかし車中の静岡県が長時間に及んだことだろう。

 静岡県人になって2年半、遠州を中心の小旅行から最近は駿河方面に出かけることも多くなった。その一つ、由比町の旅。きっかけは私の故郷の岐阜県恵那に「中山道広重美術館」があり、何度も行っていることからそこと姉妹提携をしている、由比の「東海道広重美術館」に一度行ってみたいと思ったからだ。浮世絵「由比」などをじっくり鑑賞。

 さて由比町、東海道53次の16番目の宿場町、桜エビが有名。早速桜エビづくしの定食を注文、Dsc01885 桜エビのかき揚げがおいしい

 街道筋をゆっくり歩く。町並みと建物がよく残されており、垂木を下に出した「せがい造り」の屋根、屋根の両端に作られた「くだり懸魚」とよばれる作り物、街道が真っ直ぐでなくカーブしている様子などを実感する。

同じ県内でも遠州とは違う雰囲気の駿河。東西に長い静岡県を楽しみたい。  Dsc01886 Dsc01887 Dsc01889_2

2008年9月27日 (土)

初めて食べるもの・・がわ汁

 遠州灘と駿河湾の境に付きだしたような半島が御前崎、静岡県最南端の岬の町。魚料理を食べようと出かける。先ずは「なぶら市場」へ。なぶらとはカツオの群れのこと。当地は本当にカツオを使った料理が多い。わが家ではスーパーへ行ってよくカツオのアラを買う。「アラ煮」にして血合から骨の髄まで食べる(つれ合いの好み、私はご遠慮申し上げているが・・・)。刺身の大きな切り身には最初びっくりしたものだ。

 昼食を「みはる」という料理屋さんで、魚料理とともに「がわ汁」をいただく。Dsc01744 Dsc01745 漁に出た人たちが船で食べる汁で、氷が入って「がわがわ」しているのでその名になったという。塩気が多く海の匂いたっぷり、初めての食べ物。

 Dsc01748 御前崎はアカウミガメの産卵地でも知られている。この土の中に卵が入っているのかなー、などと思って海を眺めていた。遠州もまだまだ知らない、行ったことのない地が多い。小さな旅の楽しみもいっぱい。

2008年9月14日 (日)

富安風生の句碑

 地元の老人憩いの家「やまゆり」の玄関脇に富安風生の句碑がある。ここは高齢者クラブはつらつ教室があるところで、週1回、私の仕事場ともなる。Dsc00997この間、この句碑の内容について聞かれたので、わが家にある文献を調べてメモを作ってみた。

 碑には、「生くること やうやくたのし 老の春  風生」とある。風生80歳(昭和39年)の作、同文の碑が新潟県や千葉県にもあり代表句の一つといえよう。また、高齢者対象の施設に適した句だと思う。

 風生は1885年に生まれ若いときから俳句に親しみ、1979年94歳で逝去するまで俳句の世界に生きた人。妻を阿多古の大富部家から迎えていることもあり、天竜に関係深い人物でもある。建立者は二俣町の歯科医鈴木幸平氏。除幕は昭和51年9月9日と92歳の風生の年譜にある。

 風生の句碑は、1992年の調査段階では全国に73あり、愛媛に15基、山梨・千葉に12基、4番目が静岡県の9基である。その内の6基は天竜区内にある

 昭和57年、三ヶ日町都筑に「藺を干してこの村にわが身寄あり」という句碑が建てられた。見寄とは風生の姉である「もと」のことで、わが家の風さんの母に当たる。ふわーと風のように来るから「風さん」と名付けたが、風生の風とも言えるなー、などと思ってみる。coldsweats01

2008年9月 2日 (火)

掛川史跡めぐり

 相変わらず近場の史跡めぐりを続けている。今日は掛川、浜松同様、徳川家康と武田氏との戦いの史跡が多い。国指定文化財横須賀城址。徳川家康が武田氏に奪われていた高天神城を奪取するために、大須賀康高に命じて作らせた平山城で、幕末まで大須賀藩の城。現在は史跡公園になっていて、この日もDsc01686地域の老人クラブの方々が集まっていた。Dsc01691 きれいに積み直された石垣を見ながら登ると天守閣跡が広がる。

 天守閣近くに「翠鳥」の「天守閣 まぼろしに見る 落花かな」の句碑がある。 最近こうした句碑にも興味が湧き、写真に収めてカードにしている。作者の「翠鳥」がどういう人でなぜここに句碑Dsc01692があるのか、今後の課題。

 この城の南は入り江になっていたそうだが、宝永の大地震により土地が隆起し今は住宅地、遙か向こうに遠州灘が広がっている。

 ここはまた、私の住んでいる天竜区から信州に繋がる「塩の道」の起点ともなっている。Dsc01684 Dsc01685

2008年8月18日 (月)

手筒花火をみる

 夏祭りが各地で行われている。かつての「村」「町」単位で行われることが多い。当地二俣町では、8月9、10日が西鹿島(私の住んでるところ)、14,15が山東と船明、23,24が二俣で行われる。各地とも屋台が引き回され、そのやり方や内容はそれぞれに特徴があるようだ。

 好奇心でこの3回とも夜出かけることにした。14日の船明の祭り、運動広場で手筒花火が行われた。地域の若者が手筒花火を学んできて昨年からここで上げるようになったとのこと。打ち上げ花火の半ばで、手筒花火が披露された。最初は一人ずつ名前が紹介されての花火、後半は複数で最後は5人くらいが一斉に、降り注ぐ火の粉の中で黒子のような人たちが動き回りとても勇壮な感じだった。Dsc01609 Dsc01616 Dsc01619

 

  

     習ひ来し 手筒花火の 黒子かな

2008年7月27日 (日)

田沼意次の史跡を訪ねる

 猛暑が続く。夕立でもあれば、と思うのだがここ数日全く雨が降らない。畑のナスやキュウリ、里芋にバケツで水やりをしている。

 その一日、遠州の東端、牧之原市へ。かつては大井川町が遠州の東端だったが遠州と駿河の境となった大井川の川筋が変わり、今は牧之原がその位置となった。Dsc01447

  榛原町と相良町が合併して誕生した牧之原市の庁舎、富士山静岡空港が来年3月海港との横断幕がある。ここで地図をもらい史跡めぐりをする。

 目標は田沼意次、14歳で徳川家重の小姓となり1万石を拝領、1758年遠州相良城主となり、1768年から12年かけて相良城を築城、その後10代将軍家治の側用人を経て老中となり幕府財政立て直しの諸政策を実施した人物。その後失脚、相良城は完成から僅か12年で取り壊された。写真は相良城二の丸の松と土塁Dsc01439

  築城の際、仙台藩主から寄進された石材により作られた船着き場は「仙台河岸」として残されている。Dsc01443 城のすぐ近くを流れる萩間川には白鷺がゆっくりと歩いていた。Dsc01446

 遠州では最も古い禅寺と言われる平田寺、国指定重要文化財大鐘家住宅など探訪後、一面の茶畑を通り抜けて戻る。

2008年6月18日 (水)

矢車草と矢車菊

 種から苗を育て花を咲かせる、と言うとき、何の花を選ぶかというと、やはり小さい頃よくDsc01358 見たり聞いたりした花になることが多い。「矢車草」もそうだった。きれいな青紫の花をたくさん付けていた記憶がある。ここ2年八重の「矢車草」が夏の花となり、近所の子どもたちにも「矢車草って花だよ」と言っていたのだが。

 過日、天竜区内の道の駅「いっぷく処横川」に立ち寄ったところ、写真Dsc01357_2 のような矢車草があったので買ってきて調べてみた。これはユキノシタ科で山の湿気の多いところに生える多年草、白い小さな花をたくさん付ける。

 我が庭にあるのは、正しくはキク科の矢車菊という。ドイツの国花「皇帝の花」。麦畑に生えていた雑草だったとか。まあ、矢車草で呼び習わしているのでどちらでもいいことだが、こんな小さな知識が増えることも何か楽しい気分になります。

 梅雨の中休みも終わり、また梅雨空に。ガッポガッポと収穫できたジャガイモの後には、昨日「フダンソウ」「人参」「モロヘイヤ」を蒔いた。

2008年6月15日 (日)

浜松には家康伝説が多い

 浜松城は若き徳川家康17年間の居城だったこともあり、市内のあちこちに家康に関わる史跡や伝説の地がある。その一つ、三方原古戦場犀ケ崖(さいががけ)に出かけた。

 犀ケ崖は浜松城北1㎞にある断崖。三方原の戦いで甲斐の武田信玄に大敗した家康が命からがら浜松城に逃げ帰り、何とか一矢を報いようと野営する武田軍を急襲した地。地理に不案内な武田軍が混乱し崖に転落して多くの死者を出したという。市街地の中に今も深い崖が残るDsc01350 Dsc01351

 この資料館裏に「ねずみ小僧の墓・供養塔」などというのもあってDsc01348 「教覚速善居士」と戒名が刻まれていた。

 因みにわが家近くの八幡宮には、敗走する家康が鞍を松の木に掛け社殿で休息し湧き水で身を清めた、という伝説がある。今も近所の方々が、この湧き水で野菜などを洗っている。60年に1度回ってくると言う当番に当たり、毎月社殿を清掃している。

 わが家から見える二俣城は、家康の子信康が信長の命により自刃させられた地でもあり、30年ほど前に読んだ小説、山岡荘八「徳川家康」を思い出しながら、しばらくはこんな小さな史跡・伝説めぐりを楽しめそうだ。

2008年5月29日 (木)

古民家・中村家住宅を訪ねる

 浜松市西区雄踏町に、江戸時代今切軍船奉行や代官を務めた中村家の住宅がある。五月晴れの25日、見学に出かけた。18代当主中村正吉は徳川家康に仕え、その側室お万の方が家康の次男於義丸(結城秀康)をこの地で出産した。重要文化財に指定されている。寄せ棟造り茅葺きの建物に入ると、重厚な梁や柱が組み合わされいかにも日本家屋、という感じだ。Dsc01305 ゆっくり部屋を見て回る。

 外には於義丸の胞衣(えな)を埋めた胞衣塚があり、その門扉には葵の紋Dsc01308 。家の脇には樟(くす)の大木がそびえ、一層歴史を思わせる。Dsc01310

 浜松は徳川家康と関係の深い地。「史跡だより」もこのブログに多く登場することになろう。

  古民家の 梁の太さや 樟若葉

2008年5月18日 (日)

「ホルトノキ」雑感

 いろいろな史跡や展覧会を巡っていると、「これは何?」「どうしてこうなるの?」といった疑問が次々湧いてくる。「知る」ということへの関心を「好奇心」というのかどうかは知らないが、いつも何かを調べている、調べようとするのは性分なんだろう。が、すぐ忘れる

 ある人に、「花の名前を知るって楽しいよね」と言ったら、「私は名前なんて覚えようとも思わないよ、知らないで見ているのが好きなの」といわれて「ふーーん」と感心したことも。人様々。それはともかく、過日、遠州気賀(旧細江町)にある長楽寺を訪ねた。現在は無住寺となっているが、満天星(どうだん)の庭は県の指定名勝。Dsc01281 そこで「ホルトノキ」に出会った。木については「無知」に等しい私が初めて聞いた名前。

 早速調べる。千葉県以西にあり別名モガシ、徳島市の木、樹皮はタンニンを多く含み大島紬の黒褐色の染料・・等など。荒れた寺院を見下ろす木にはちょっとした迫力あり。Dsc01282   青嵐 廃寺見守る ホルトノキ

 今日18日、浜松市緑化推進センターの公園内を歩き数本のホルトノキを見た。「1年中一部の古い葉が紅葉しているように赤い」ことを実際に見る。Dsc01295_2 Dsc01297知らないことを2度見たり聞いたりすると、衰えつつある記憶力が少しは働いてくれるかもしれないなー。

2008年4月14日 (月)

遠州と駿河・・・東西に長い静岡県

 静岡県は東西に長い。新幹線の駅でも熱海から浜松まででは1時間以上かかる。かつての国名は遠江と駿河。私がこの2年住んだのは浜松市だが、同じ県内でも静岡というと何か遠い感じがする。

 4月から10年以上にわたる単身赴任生活に終止符を打ちいっしょに住むようになったつれ合いと、この間あちこち小さな旅をしている。彼が中学・高校を過ごしたのが富士宮、と聞いて行ってきた。新幹線の新富士駅から身延線で行けば、と思っていたところ、降りてみて初めて知った。新幹線の新富士駅と在来線の富士駅は数キロ離れているということを。

 さてその富士宮、今は焼きそばの町として売り出しているが、何と言っても富士山登山の入口で麓には富士山本宮浅間大社がある。

 本殿は二層からなるとても美しい建物。Dsc01228_2 近くの湧玉池は国指定特別天然記念物で、溶岩の間から雪解け水がこんこんと湧きだしている。Dsc01229あちこちゆっくり歩いて最後はやっぱり焼きそばを食べて帰る。Dsc01232こしがあって花カツオがかかっている富士宮焼きそば・・・。静岡県に住んで初めて食べた。           

2008年4月 7日 (月)

目線を上げてみると・・木

 植物の話続きついでに木について。もともと植物には疎かった私だが、この2年で花や野菜を育て少しは知識を増やしてきた。が、木については殆ど知らない。

 浜松市の飯田公園に緑化推進センターがある。ここの園芸教室で花を育てることを学び、受講生で「日だまり花壇」に花を植えた。また、毎年の土作り教室や堆肥の無料配布には大変お世話になっている。

 園内にはたくさんの木々が植えられている。最初に目についたのはそびえたつ「メタセコイア(アケボノスギ)」。Dsc01193_260年ほど前に化石として学会に報告され、その後中国四川省に現存することが確認、「生きている化石」といわれる。戦後日本に挿し木や種が送られ、今は全国の公園や学校などに見られる一般的な木になった。桜の季節にはまだ写真のように枝のみが空を突き刺している。桜の花びらが木々の周りに舞って、やがて発葉して緑の大木となることを予測させ木の生命を感じる風情。

 列(つら)なりし アケボノスギに 花の塵

 「ナンジャモンジャ」は下野にある国分寺養護学校のシンボルの木であり、在所の恵那には「ナンジャモンジャ」というお菓子があったので養護学校に届けた等懐かしい思い出。「多羅葉(エカキバ)」の葉をもらい、裏に文字を書いてみる。

Dsc01195 写真は浜松空襲で生き残った「プラタナス(すずかけ)」、市民の木と命名されている。種を拾ってきたので蒔いてみよう。

 これから少し目線を上げて、木をみていくのも楽しいこと。当地は天竜杉の名産地。 

2008年4月 4日 (金)

遠州花便り

 桜は言うまでもなくあちこちの土手や花壇が花盛り。ガーデニング教室でオープンガー  デンの見学に行く。最初の写真は大隅さん宅。バラが好きで始められたとのことだが、この時期はDsc01183種から育てた、紫はなな、デイジー、パンジーなどの春の花が咲き誇っていた。知らない花の名前を尋ね知識を増やしていくことはとても楽しい

 続く3枚は滝川ご夫妻の庭。私が種から花を育てるようになったのは滝川さんの講座を聴いてから。紫、白、ピンクが好きという奥様がデザインされた庭は、見ているだけで幸せな気分になる。「花を通した仲間っていいですよね」とは滝川さんのお話。 Dsc01187 Dsc01191 Dsc01192

2008年3月 7日 (金)

掛川めぐり

 春うららか、の言葉がぴったりする今日7日、住んでいる二俣の東に磐田市・森町を越して掛川めぐりをした。NHK大河ドラマで取り上げられた、山内一豊とまつに因んだ地として知られている。

 Dsc01146 まずは、しだれ梅を見に龍尾(たつお)神社へ。

 白、ピンク、濃ピンクのしだれ梅が咲き誇る。

   山懐 水芸の如く しだれ梅

Dsc01151 次いで、掛川城主に関わる記録を沢山蔵している世楽院へ。倉真(くらみ)城主松浦倉真頭城址跡とあるがきれいに整地され、お墓にもその面影は少なかった。

 その後温泉「ならここの湯」でひとっ風呂浴びて帰りました。 

2008年2月20日 (水)

終(つい)の故郷「二俣巡り」

 美濃、尾張、下野と住処を移し、ここ遠州が終の棲家故郷となる。が、ここのことを私は殆ど知らない。で、社会福祉協議会主催の「高齢者のためのウオーキングセミナー」に参加して、先ずは地元をしっかり知ることにした。

 陸軍中野学校跡→旧二俣町役場→清瀧寺→二俣城址→鳥羽山公園→筏問屋田代家→毘沙門堂→栄林寺のルートで観光ボランティアの案内でゆっくり歩く。旧二俣町役場脇には防空壕あとがあり鉄扉で閉じられていた。そこから家康の長男で信長の命によって自刃させられた徳川信康の霊をまつる清瀧寺に行く。霊廟にも入れていただき五輪の塔に手を合わせる。周りは丸い石で敷き詰められていたが、その石はすべて五輪塔の方を向いている。3番目の写真「井戸櫓」は、二俣城に水を得るために作られたものがここに復元されているという。二俣城は武田・徳川争奪の城。今は野面積みの天守台が残る。

 Dsc01089 Dsc01093 Dsc01090    Dsc01097残塁に戦国非情梅白し  富安風生

 わが家の風さんは俳人風生の姪、天竜には風生の句碑が数カ所あるようだ。句碑巡りもこれからの課題。鳥羽山公園、筏問屋田代家などについては後日書くことにする。

    大手門跡や潰えて蕨萌ゆ  沖 青魚

  

2008年2月18日 (月)

苔玉をつくる

 わが家から車で15分くらいの所に「万葉の森公園」がある。もと浜北市、現在は浜松市浜北区となった地は、万葉集にゆかりの歌が4首あることから、万葉植物300種を中心に万葉文化に親しむよう整備されたユニークな公園だ。時々利用している。

 ここで「万葉植物を使った苔玉作り」が開催されたので参加した。ケト土にミズゴケと赤玉土を混ぜて捏ね玉にしそこへ植物を植え込む。

 Dsc01076 Dsc01077 植えた植物は、紅紫檀(紅い花と小さな紅い実がなる)・ウツギ(いわゆる卯の花)・やまスゲ。3年間くらい大切に育てれば素敵な苔玉植物になるはず。今は仮の皿に乗せたが、今この苔玉を乗せる焼き物をてびねりで作成中。

 隣の植物は「イワオモダカ」、シダの一種だが葉っぱがおもだかに似ているのでこの名がある。こんなかわいい植物を育てるにも楽しい。

2008年1月22日 (火)

遠州で蕎麦まつりに出会う

 栃木県にいたときは蕎麦の話題は事欠かず、自身もあちこちの蕎麦を食べた。今市の蕎麦まつりにはセッセと出かけ並んで蕎麦を味わった。

 遠州は暖かいし蕎麦にはあんまり縁がないかな、と思っていたら、20日「佐久間そばまつり」というイベントがある、とのことで早速出かけてみた。わが家から37キロ、佐久間町といえば、天竜川に1950年代に作られた佐久間ダムでも有名な地である。

 Dsc01044地元佐久間の手打ちDsc01045_2蕎麦を始め、福島県磐梯、長野県飯田、愛知県常滑などの蕎麦がその場で食すことができる。たくさんの人で行列ができていたので、ほどほどの並びだった信州飯田そばを食べた。やわらかな味だった。

 年末年越し蕎麦を打つのに、蕎麦粉を手に入れるところが分からず、やむを得ず天竜区熊の真空パックの蕎麦粉を使ったが、やっぱり挽き立ての粉を使いたかった。今年は佐久間で入手してみよう。

2008年1月21日 (月)

油揚げ(あぶらげ・あぶらあげ)あれこれ

 油揚げ、といえば新潟県栃尾市(長岡市と合併)のジャンボ油揚げが有名だ。また、宮城県定義山の三角油揚げもよく紹介されている。

 結婚して、つれあいの実家遠州に帰ると、お昼のおかずによく「おあげさん」が食卓に上った。地元のお豆腐屋さんが作っている、厚さ4センチはある油揚げを焼いて生姜醤油で食べるものだ。宇都宮に住んでからも、時々新幹線を途中下車したり高速道路を途中で下りたりしてこの油揚げを買い求め食べたものだ。

 50年以上昔、小学校の裏手に倉庫があり、そこでおじさんが鍋で油揚げを揚げていた。親から頼まれて油揚げを買いに行き、油のしみ出した新聞紙にくるんだ三角油揚げを持ち帰った記憶があり、油揚げには結構思い入れがある

 ここにDsc01049移り住んであの厚い油揚げがいつでも食べられる、と喜んでいたら、半年ほど前、そのお豆腐やさんが店を閉めてしまった。がっかりしていたところ、最近近くの野菜の直売場で店は違うがあの分厚い油揚げを見付けた。で、本日の昼食は中に納豆を挟んでのはさみ焼、熱々を生姜醤油で食べた久々の「おあげさん」、とてもおいしかった。

 

2007年12月 9日 (日)

身近な紅葉名所及び金太郎のこと

 12月に入り紅葉の話題も時期を逸しているのだが、この間パソコンのトラブルもあったので1週間ほど前の話。週1回通う光明寺の近くの「老人憩いの家 やまゆり」駐車場付近に写真のような紅葉を見付けた。Dsc00949 Dsc00950 一つの紅葉の木が、赤、黄色、緑に彩られている

 朝、太陽の光を浴びて黄色部分が金色に光り、思わずシャッターを押したもの。

 8日は天竜区図書館で「お話しポケット」のクリスマス会が開かれた。「天竜おはなしの会」の末席に加えていただいているので参加した。ホールの装飾などの準備をし、「赤鼻のトナカイ」と「ジングルベル」の合奏で幕を開けた。様々な団体が参加し、大型絵本、手遊び、素話、紙芝居、クイズなどが続く。最後に「金太郎」の大型紙芝居。本当にたくさんの時間をかけたであろう手作りの紙芝居だ。

 金太郎の歌や金太郎飴、赤い腹巻きではなじみ深い金太郎だが、源頼光や坂田金時などの話は今回初めて知ったこと。その金太郎の台詞を担当、今までと全然違う自分に出会う機会だった。

2007年11月28日 (水)

遠州の紅葉所

 東海地方は今が紅葉狩りのシーズン、昨日・今日と連チャンで、高齢者クラブでもみじ狩りを行った。行ったのは、「遠州の小京都」を称する森町にある遠州一宮・小國(おくに)神社。千葉県や愛知県から観光バスも来ている。「隠れた紅葉の名所」とバスのツアー名にあった。

 Dsc00926 Dsc00945 赤、黄、緑のもみじが美しい。足が不自由な高齢者Aさんに手を貸しながらゆっくり歩く。Aさん曰く、「こんなに足が不自由で、息子達はみんなに迷惑をかけるから行くんじゃない、と言うけれど、ホントに来て良かった」

 そう、人の迷惑なんて考えないで、見たいものは見た方がいい、見られるときに見ておかないとホントに見られなくなってしまうよ、と心の中で思う。

2007年10月 4日 (木)

「十月の小夏」

 朝夕はかなり涼しくなったが、日中は結構暑く27度。10月に入って最初のはつらつクラブでは、衣替えした会員さんが集まって来られた。私は、というと半袖のTシャツのまま。

 集まってきた会員さんの話

 「ホントに暑くなったり涼しくなったりで何を着ていいかわからない。夏服を出したり入れたり」

 「このあたりでは”十月の小夏”って言ってね。十月に暑いときがあるって昔からよく言ったんだよ」

 十月の小夏、と言う言葉を初めて聞いた。辞書を引いてみるが、「小夏」という言葉はない。遠州地方の方言なのだろうか。

2007年8月24日 (金)

下野から熱くもさわやかな風が・・。

 昨日、今日とかつての下野時代の仕事仲間7人が、遠路はるばる浜松に来てくださった。3年ぶりにお会いする人を含め、懐かしい人たちとのまる1日間のおしゃべりは本当に楽しいものだった。メールや電話もいいが、顔を見て話す楽しさ。

 仕事を辞めて以来1年半、新しい土地での「奮闘ぶり」を何の気兼ねもなく話せる、今考えていることを聞いたり話したりする、こんな関係はまだ、ここ浜松ではわずかである。お互いともに仕事をしてきた心やすさがあるのだな、と思う。

 明日からまたゆっくり頑張っていこう、と改めて思う下野からの熱くもさわやかな風をありがとう。ウナギは堪能していただけましたか?幹事長さんの尽力にも感謝。またお会いしましょう。それぞれの持ち場でのご活躍を祈ります。

2007年8月17日 (金)

ご当地自慢

 浜松市(4月からは天竜区)二俣町、この間、当地の名がマスコミに出てくるのは、「日本一気温が高いところ」としてである。昨日・今日は岐阜県の多治見市に「負けた」ものの、それでも39度を越した。暑い、暑いというのも今日で終わりかもしれない。

 どの町にも全国に誇れることはあるものだが、当地に本町出身の「秋野不矩美術館」がある。Dsc00735 暑い中ではあったが、「平山郁夫素描自選展」が開かれていたので出かけた。

 緑に囲まれたベージュ色の落ち着いた建物の近くで、「オーシンツクツク」とツクツクボウシ(法師ゼミ)の声を、今年初めて聞いた。インドの力強さを描いたこの画家の美術館は、小さいながら全国に誇りうる

 その足でお隣の磐田市にある「桶ヶ谷沼」へ行く。Dsc00739 トンボの楽園として過日もテレビ報道された所だ。沼の周りを、汗をふきながら1時間ほど歩く。世界では5、500種類のトンボが生息し、日本には200種、当桶ヶ谷沼からは67種が確認されている。歩きながら見付けたのは、ハグロトンボ、ギンヤンマ、コバネアオイトンボ、ハラビロトンボ、シオカラトンボ、チョウトンボの6種。カメラで捕らえるのは難しく、写すのがことができたのは金色の羽を持つコバネアオイトトンボのみ。Dsc00736 さてどこに写っているか分かりますか?

2007年8月15日 (水)

再度鹿島の祭典のこと

 11,12日に行われた鹿島の祭典。鹿島の氏神は鹿島八幡宮。社殿の脇には湧き水をたたえる池があり、そこからきれいな水が流れ出している。これまで何回か涸れたことがあったが現在はかなりの水が出ている。総代さんから当地の伝説を聞く。

 武田信玄との戦いに敗れ浜松城に帰ろうと天竜川を越えた徳川家康が、しばしの安堵をと思い、当地に差しかかったところ、神社がありその傍に霊水がわき出していたので、鞍を松にかけ社殿で休息した、という伝説が残っているとのこと。

 Dsc00728 Dsc00729 写真のように花屋台と本屋台が地域内を練り歩く。

   

  湧き水に 祭具浸して 夜宮(よみや)かな

  熊蝉や 祝詞の声と 競ひ合ひ

2007年8月 6日 (月)

庭から花火を見る

 4日は「鹿島の花火大会」、遠州の夏は二年目だが花火をゆっくり見たのは今年が初めてだ。庭にバーベキューセットを取り付け、備長炭で火をおこしゆっくり飲み食いしながら。わが家は坂道の上にあり花火見物には絶好の場所。

 花火そのものもいろんな色が混じり目を楽しませてくれたが、一番良かったことは、風さんが、「私も外に出ていいかね?」といっしょに見物できたことだ。さらに、畑で収穫した、枝豆、ジャガイモ、トマト、ピーマン、オクラ、茘枝などが大活躍。家族はもとより親戚の人が「おーーーいしい!」と言っていっぱい食べてくださったこともよかった。Dsc00689 Dsc00713 Dsc00687 Dsc00704

 ただし花火は撮影が難しい。それに食べたり飲んだりで一瞬のきらめきを見逃してしまったことも。

2007年6月21日 (木)

遠州花便り

 暑い日、ここ遠州も30度を超した。こういう時期に「花便り」も少し変だが、先の極楽寺(アジサイ寺)に続いて、本日、遠州の花所を巡ったので、百合とキキョウの話題を。

 3万坪に広がる「可睡ゆりの園」、世界150種の百合が咲き競うのが写真5枚。 Dsc00567 Dsc00571 Dsc00572 Dsc00574 Dsc00575 Dsc00578 Dsc00579

日本一キキョウ寺」を名乗るのは、遠州森町香勝寺。百合に比べては地味だが味わいがある。白やピンクも。2カ所で苗(球根)を買い、花壇に植えた。わが家に花が少しずつ増えていく。楽しみが広がる。

2007年6月19日 (火)

「森の白糸」というアジサイは

 「四季花こよみ」(講談社)にあったアジサイの名所、遠州森町にある極楽寺に行った。「森の白糸」とはどんなアジサイかと。「天浜線」というローカル線に乗り往復40分歩いて。

Dsc00548 Dsc00549 Dsc00554 最初の写真がDsc00552それ。昨日知人にもらい挿し木したものによく似ている。 Dsc00551 Dsc00553 Dsc00557

アジサイの顔は実に多様。

楽しかったのは、歩いている途中にあった立て札。「イネに耳あり レタスに目あり あなたの心にゴミはなし」とある。「遠州の小京都 森町」の心か。

2007年6月18日 (月)

アジサイの挿し木

 雨に咲く花、アジサイ。以前、高齢者との折り紙の記事でも書いたが、今回は挿し木の話。

Dsc00544 Dsc00545 わが家には今、ピンクの西洋アジサイと薄紫の日本アジサイの2本がある。道々歩いていると実に多様なアジサイがあり、この時期とてもきれいだ。

 写真のものはガクアジサイで「よひら」部分が八重になっている。いただいてきて挿し木にすることにした。水をあげ挿し芽用の土に、「ルートン」を付けて三本挿した。根が出ますように。

 アジサイの名所は鎌倉明月院を始め各所にあるが、ここ浜松の東にある森町の極楽寺も全国的に有名だ。ガクアジサイが変化した、花が糸で結ばれた形になる「森の白糸」という花があるという。まだ見てないのでぜひ見てこようと思う。

2007年6月 9日 (土)

地域の歌手が来てくれた

 Dsc00509 Dsc00508 Dsc00507 高齢者クラブ「はつらつ教室」に地域出身の歌手、美咲綾さんが来てくれた。「掛川しぐれ」を持ち歌にさまざまな演歌を熱唱、トークも楽しくさすがプロ、と参加者も大喜び。作曲者の小川ひろしさんは地元二俣の出身、マイルドな声の「星影のワルツ」を聞かせてもらう。また、清水次郎長の出で立ちよろしく、これまた地元のめぐみまりさんが「清水港の名物は・・・」と踊りを披露。ボランティアで来てくださった由。人を楽しませることのできる人っていいなー、と思う。

2007年5月 4日 (金)

百七十二大凧乱舞・・浜松祭り

Dsc00456 Dsc00451 Dsc00458  毎年この時期、浜松祭りの凧揚げ合戦の様子を新聞やテレビの報道で見ていた。浜松に住んだ以上、ぜひ現地で見よう、と中田島砂丘まで出かけた。

 各町の凧印を付けた1,5㍍平方から3,64㍍平方の凧がすっきりとはれた青空にあがり、そのうち各所で糸切り合戦が始まる。太鼓や「進軍ラッパ」の音とかけ声が響く。町内の人々の「作戦」などの声も聞こえる。その雰囲気は会場でないと味わえない。ゴミ処理や交通手段などが整然としていたのも良かった。来年もぜひ行きたい、こうした思いをした祭りを経験したのは初めてだ

2007年4月29日 (日)

浜松の隣の市めぐり

 この数日、天竜図書館の図書館まつりへの参加や隣保のお葬式のお手伝いなど忙しく、久々に疲れてパソコンに向かう余裕がなかった。

 29日Dsc00440、絶好の行楽日和、大型連休というテレビの話に乗せられ、浜松市の隣、磐田市豊田町のDsc00443あちこちを巡った。香りの美術館、新造形創造館、池田の渡し、熊野(ゆや)の長藤を見た。

すばらしい長藤、いい香りが漂う。ほぼ満開。1000㎡に及ぶ藤棚の下を歩きながら、この地に伝わる平安時代の熊野(ゆや)御前の物語を思った。写真はゆや御前のお神楽と藤棚の様子。

2007年4月 3日 (火)

センバツ高校野球 常葉菊川優勝

 菊川市は平成17年に小笠町と菊川町が合併してできた、人口5万人弱の市である。中学校の地理の学習で、茶の産地として牧ノ原台地を学ぶが、菊川市の東に位置する。

 センバツ高校野球で「常葉学園菊川」が優勝した。「にわか遠州人」としてテレビで観戦し、しっかり応援した。同校の森下監督が浜松商業で主将だった時以来29年ぶりの、静岡県勢の優勝とのこと。

 遠州の各地には、栗の実が1年に三度みのる「三度栗」という木があり、菊川町にも伝わっている。「遠州伝説集」によれば、弘法大師や徳川家康にまつわる伝説を伴い、「遠州七不思議」の一つに数えられている。常葉菊川の主将がインタビューで、「夏も」と言ったとき、この「三度栗」の話が思い浮かんだ。遠州人になりつつある山椒の実です。

2007年4月 2日 (月)

新年度 発進!

 「3月」までの、年度で区切る生活をずっと続けてきたが、今年の4月は3月からの継続、変化なしだ。でも、風さんと、「新しい年度だね。気分新たにやっていこうね」と話した。かつての職場や友人から、いわゆる「人事異動」の話題が届く。一人一人に返事を書く。退職した人には、1年先輩として訓を垂れたりする。現職の人にはぜひ「生き生き楽しく」教育に取り組んで欲しい。Dsc00387 Dsc00386 子どもの表情を読み取って欲しい

 奥浜名の有名な寺の一つ、方広寺・奥山半僧坊を歩いた。後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開創された臨済宗の寺院。五百羅漢を見ながら、ひととき「人の表情」の豊かさ、おもしろさに浸った。人の表情は必ずしも真の心や気持ちを表現するものではないだろうが、この石仏たちは正直な気持ちを表しているのでは、できればかくありたいなどと思っていた。

2007年3月31日 (土)

姫街道の姫様道中を見る

 江戸時代、東海道の見付宿から御油宿にかけては、浜名湖の南と北を通る道の二筋Dsc00385 があった。その北の道は、風流を愛する文人や名僧、今切を嫌う女性の通る道として、「姫街道」と呼ばれるようになった。そのほぼ中央に「気賀の関所」があり、そこでイベントとして「姫様道中」が毎年行われている

 風さんたち一家が半世紀ほど前、6年間住んだ地でもあるので、姫様道中を見ながらかつて住んでいた家や道を歩いてみた。「浜名湖ビール」を片手に小さなギャラリーをのぞきながらの散策はなかなかいい気分だった。デジカメが電池切れで、その風情をここにアップできないのは残念。明日からは4月だ。2年目の浜松、気分を入れ替えて生活していこうと思ったことだ

2007年3月28日 (水)

井戸端会議へのあこがれ

 「無職・主婦」になって1年が経とうとしている。時間に追われご近所つきあいもあまりなく、と過ごした勤労生活35年間は、ご近所とのおしゃべりにはほど遠い生活だった。そして、実はそのことに内心あこがれていた

 今、時間はたっぷり、時には井戸端ではないが道路に数人でたむろして、花や野菜、趣_6 味のことなど、時間に追われることなくしゃべっている自分があることに、不思議な気分である。

 今日は今日とて、畑仕事をしていたら近くの一人暮らしのおばあちゃんに話しかけられ小一時間話す。昔の苦労話や一人暮らしの寂しさなど。畑仕事ができなかったがまあ、明日やればいいや、と家に戻ったら、玄関口でボランティアの仲間にばったり、そこにご近所とその親戚が加わり4人でまた小一時間、ちっとも焦らない日々だ。ちなみに遠州弁で、おしゃべりのことを「おしゃっぺ」「おしゃんべー」という。おしゃんべーな山椒の実です。

2007年2月18日 (日)

岩水寺星祭りに行く

 近くにある岩水寺の開運厄除け星祭りに行く。たくさんの露店が立ち並び多くの人でDsc00297 Dsc00296  賑わっていた。ちょうど餅投げが行われているところで、幸運にも一つゲット。嬉しい気分。

 

Dsc00300この近くに「根堅(ねかた)遺跡」があるので足を伸ばしてみた。今から1万3千年前の浜北人骨の出土地である。往復2時間ほど歩いた。暖かい日で、周りの畑や花々の様子を見ながら歩きいい運動になった。

2007年1月14日 (日)

どんど焼き

 氏神様の椎ヶ脇神社で、「どんど焼き」が行われるとの知らせを回覧板で知った。で、20分ほどかかる神社へ一人で出かけた。ご近所に聞けば良かったのに、どういうふうに行われるか、近所の皆さんは行くのか、よく分からないままに出かけたわけだ。誰も知った人がいないので、昨年の二荒山神社の破魔矢と立派な橙のお飾りを係の人に渡したら、深く掘った穴の中に入れ焼いてくださった。帰りに甘酒をいただく。

 私の故郷、岐阜県恵那市東野では、各集落ごとに行う。竹を中央に立て、周りに「そよご」の門松を積み上げ燃やす。その残り火で菱形に切ったのし餅を焼いて砂糖などを付けて食べ、無病息災を願う。小さい頃のいろいろな思い出がある「どんど」、ここ天竜西鹿島では当地のやり方に従う。宇都宮25年間では全く縁のなかった行事に、今年から参加することになった。帰りにご近所の人に出会う。そして顔は見かけたがお名前を知らない人とおしゃべりをし知り合いになれた。来年はご近所の人といっしょに来よう。

2006年12月21日 (木)

浜松へご挨拶の俳句

 月一回の句会に浜松文芸館に行く。5人の初心者ばかりの集まり、ベテランの先生が実に丁寧に教えてくださる。みっちり3時間話したり聞いたりするが、時間の経つのを忘れるくらい楽しい。20日の句会には5句出したが、そのうちの2句は浜松に来たご挨拶の句。風さんの世話はヘルパーさんと義姉に頼んで外へ出る。

    初めての遠州の冬風強し   

    茶の花の蘂(しべ)に負けざる花弁かな

2006年12月 5日 (火)

遠州の冬

 昨日から気温が下がりいよいよ遠州も冬、冬の生活は初体験。朝夕、姫を散歩させているとさすが風が冷たい。でも宇都宮に比べればなー、などと思っている。東向きの花壇にはパンジーやベゴニアが「咲き誇って」いるしまだまだ、ってかんじ。満月の月が皓皓と光っていて、静かな夜だ。     寒晴れや 臥す母といて しづかなり

2006年12月 3日 (日)

地域防災訓練

 東海地震を想定した地域防災訓練が自治会で行われた。有線放送で地震の知らせがあり、3カ所の分かれて班ごとに集合しその後、油火災消火、テント張り、消化器、バケツリレー、水の浄水、自家発電、担架運び、怪我の応急処置などがグループごとに実施され、私も結構積極的に参加した。感心したのは参加者はほぼ全戸から出ているし、中学生や高校生も参加していることだ。宇都宮に住んでいたときは、自治会の役員以外の時は一度も参加したことがなかった。私にとっては今まで名前が分からなかった地域の方を知ることができたのも収穫だった。地域の一員に近づいた気分。

2006年11月19日 (日)

万葉の花

Dsc00214  私の住んでいる天竜の南に「万葉の森公園」がある。当地ゆかりの万葉歌が4種あることから整備された公園で、万葉植物300種類を中心に公園が作られ、あわせて万葉文学や文化に触れることのできる施設である。ここで今日、「万葉植物を折り紙で折ろう」という催しがあり参加した。写真は本日の作品、椿を折り紙で折ったもの。万葉の植物名は今と違う言い方をするものが多い。みつまたはサキクサ、ヤブコウジはやまたちばなというふうに。また、ちょっと好奇心ムラムラ。

2006年11月 5日 (日)

北遠を歩く

 風のないとてもいい天気、浜松市の最北端、北は長野県という山あいの町、水窪(みさくぼ)をゆっくり歩いた。何せ浜松市は合併によって日本第2位の面積の自治体、ここ天竜から車で2時間近く走り、お神楽の出迎え(写真)Dsc00195 Dsc00205 を受け、五平餅やイモ串を頬ばりながら、かつての宿場町を歩く。その後さらに山に入って、標高1100Mの頂にある大杉に囲まれた山住神社に行く。延喜式内社、三方原の戦いで武田勢に敗れた徳川家康がここに難を逃れたと伝える。よくこんなところまで武田勢がせめてきたもんだ、と感心しながら、うっすらと紅葉した山々の空気をいっぱい吸って、秋の遠州でリフレッシュ。

2006年11月 4日 (土)

天竜浜名湖鉄道

 わが家は天竜浜名湖鉄道(第3セクター)<掛川ー新所原>と遠鉄電車<新浜松ー西鹿島>の西鹿島駅のすぐ上にある。窓を開けておくと電車の発着音や駅のアナウンスが聞こえ、それもまた楽しい。3日は「天浜線20周年記念 フェスタ」というイベントが開催されたので出かけた。Dsc00194 扇形車庫や転車台(写真)は国の登録有形文化財だ。全国の第3セクター鉄道の写真展も開かれ、野岩鉄道・真岡鉄道・わたらせ渓谷鉄道などの姿もあり懐かしかった。二俣の老舗鰻屋さんの「やっこ」で、祭り気分と連れ合いの誕生日祝いのビールと鰻重で昼食。東海林さだお「うなぎの丸かじり」にあるように、鰻重は食い散らかさずに右端からきちんと「清掃」しながら食べるのが作法。

2006年10月 2日 (月)

畑の柿がなった

 三十年ほど前、義父が畑に植えた柿の木、近所の方によればほとんど実を付けなかったが、ここ2.3年実がなるようになったとのこと。遠州は「次郎柿」の原木がある地、毎年親戚から野州に次郎柿を送っていただいていたが、今年は当地で食べることになる。ワセとみえて9月末には赤くなっていたので取ってみると、半分以上、鵯(ひよどり)(だと思うが)、がつついてしまっている。鳥が目こぼしをした柿を取って食べてみると甘い。いくつか取ってきて、先ずは仏壇の義父に供える。「自分も食べるつもりで植えたんだろうにね、おじいちゃん、柿の実がついたよ」と声を掛けた。少し手入れをすればもう少し収穫できそうだ。それにしても鵯の漢字の偏によれば「食べ物に卑しい?」、気の毒だがその通りだ、と人間の立場からは思う。次郎柿の味はすっきりしていて大好きだからよけい鵯がうらめしい。

2006年10月 1日 (日)

「海坂」との出会い

 この出会いは全くの偶然だった。風さんがやっていたから私も、と俳句の基礎を学ぶため、9月30日、浜松文芸館で行われた「俳句入門講座」に参加したときのこと、講師となった方が浜松の俳句雑誌「海坂(うなさか)」の編集長だった。

 東北の架空の小藩、「海坂」藩を舞台に小説を書いた藤沢周平は、小菅留次という本名で、昭和28年6月から30年8月までこの俳句雑誌に投句していた。肺結核のため東京都東村山市にあった病院で療養中のこと、この縁あって、小説の藩名を海坂藩にしたということだ。十数年くらい前から藤沢周平の作品を読み続けていた私にとって、ここ遠州でこの名に出会うとは思いもよらなかった。さて、知らないこと(言葉)が多すぎる私にとっては苦手な俳句だが、今日の入門講座の教えを受けて、先ずは歳時記を入手して言葉を覚え、少しづつ俳句を詠んでみることにしよう。今日の話によれば、今日本で一日に10万句の俳句が詠まれているという。     

     海坂の 名を聞く部屋に 吾亦紅

 

2006年8月27日 (日)

遠州で三猿に出会う

 今日たまたま立ち寄った浜松市宮口の庚申寺、山門の4隅に「見ざる聞かざる言わざる」の三猿がいた。日光東照宮で何度も見てきた三猿、全校集会の話題にもしたし、クラブで「三猿物語」の絵本を書いたりもした。全国各地に様々な形であるようだが、当地で出会って何か懐かしい感じがした。3iwazaru 2kikazaru Photoちなみにもう一匹の猿は宝珠を抱えている宝珠猿。(写真は庚申寺のHPから)

2006年8月20日 (日)

遠州と野州

 「遠州に 生まれ野州に 老いにけり」と、数年前、風さんが詠んだ。今また遠州に戻りゆっくり過ごしている。私の場合は、濃州に生まれ 尾州・野州で働き、遠州に「林住」することになったわけだ。ヒンズー教では、人生を、学習・家住・林住・遊行の4期に分け、勉強する・成人して職業と家庭を持つ・家督を子どもに譲り自然の中で生きる・宗教生活をして死を迎える、といった時期と説明されている。数学者の森毅氏も、昔読んだ文の中で、人生を4つに区切って考えるといい、というようなことを言っていた記憶がある。

  昨日4ヶ月ぶりに野州に行ってきた。結婚式とその後の二つの会合で、半日近く「飲んでいた」。懐かしい、という感情より、4ヶ月をワープした感じだった下野831さん(だと思う)が、「ブログの山椒の実を毎日見ているので、遠くに別れているって気がせず、毎日会っているような気持ちだ」と嬉しいことを言ってくださった。これからも話題を見つけ出し、がんばって書き続けよう、と思ったことだ。それにしても、野州の人たちとのお付き合い、遊行期まで続くだろうか。

2006年8月 5日 (土)

「鹿島の花火大会」

 本日は恒例の「鹿島の花火大会」。天竜観光協会が主催し、鹿島天竜川原で2時間にわたって花火の饗宴が繰り広げられる。昼間から何度も花火が上がっている。夕方親戚が来てくれる、ということで朝から掃除、料理と準備したところだ。近くに親戚があり、交流できる楽しみもまた新鮮な感じ。畑でとれた野菜を使ってゆっくり料理し、畑のコスモスを飾り、というとても平凡なことではあるが

 ところで前に「静岡県は花火大会が多い」と書いたが、インターネットで調べるとこういう思いをしている人は結構あるようだ。静岡県も、であるが、松坂、飯田、神奈川、千葉などの人たちにもある。大会総数、総花火数、人口比などの数値により違いがあるが、「きれいな水のあるところは花火大会が多い」という意見もあった。浜松での最初の花火大会を、これからゆっくり鑑賞することとしよう。浜松の地酒「花の舞」とともに。

2006年7月29日 (土)

花火大会・夏の風物詩

 静岡県には花火大会が多いように思う。今日29日には安倍川、舘山寺、沼津、伊藤温泉などで花火が上がっている。わが家の2階から北の方角に、今、花火が上がり見物してきたところだ。これから土日はあちこちで花火が上がる。太平洋に注ぐ大きな川が多いからだろうか。

 我が二俣も8月5日、「鹿島の花火大会」が行われる。桟敷は自治会分を確保し、割り振られる。親戚を集めて一席設けることにしよう。

2006年7月28日 (金)

日本一の我が町二俣ー温度計雑感

 7月になって気象情報で、当地二俣が「日本一」と報じられることが続いている。27日のニュースでは、「真夏日が続き、浜松市二俣では37度という日本一高い気温を記録しました」とのこと。我が家には各部屋に温度計がある。3時頃の台所は34度を示し、風さんの部屋は風通しが良く、31度前後だった。二俣の公認温度計は日向にあるんだろうか。

 今、私がブログを書いている、居間兼応接間兼作業場は、午前10時で31度を指している。我が家にある温度計は、私が小学校時に使っていたもの、子どもたちが理科や科学クラブで購入したもの、何かのおまけでもらったもの等で、多くは赤い「アルコール温度計」で、1本だけは見にくい水銀計である。デジタルはない。とにかく自分で買ったという記憶はないし何となく昔から使っていたもの。アルコール温度計というから赤いのはアルコールかと思っていたが、色を付けた灯油だとのこと。どうして「アルコール温度計」っていうのか知らない。こうした温度計ていうものの正確さはどの程度だろう。計器に狂いはないだろうか。時計や秤は確認もできるが、温度計が狂っているというのもあまり聞いたことがない。自分の部屋が何度であろうと、まあ、責任はないしどうってことはないが、昔からの温度計を見ながら日本一の暑さを感じている。   部屋ごとに 違う目盛りの 日本一

2006年7月22日 (土)

東海地震への備え

 私が浜松に引っ越すことを聞いて、多くの知人は、「温暖で魚がおいしくていいところですね」と声を掛けてくださった。それに対して「地震が心配なんですが」と応じるのが常だった。当地に来て、地震に対する意識や構えが日常化していることを感じる。駿河湾海底にある駿河トラフという凹みを震源域とする東海地震、国家規模での対策会議が開かれてきたこともあり、毎日のラジオ放送で「地震一口メモ」などが流され、スーパーには防災グッズがたくさん並べられている。小学校の児童は防災ずきんを身近に置いている。

 当地に来て3ヶ月、実は一度も地震を体感していない。むしろ栃木にいたときの方がよく地震を感じたような気がする。現在日本で唯一予知できる可能性があるとされている東海地震、私も水と乾パンなどの食料、防災グッズを常備した。地震保険にも入った。昨日、映画「日本沈没」を見て、中身にはガックリだったが、一応自分の防災対策を確認したところ。チケット売り場で「シニア(60歳以上、1000円で見られる)ですか?」と聞かれたのにはちょっとムカッと来たが、当然通常大人料金でお願いした。

2006年7月14日 (金)

迎え火を見ながら

 13日は全国的にとても暑い日、お墓に行き花と樒を供える。夕方、といっても日が長いので暗くなった8時頃、玄関で迎え火、麻ガラとたいまつを燃した。小さい頃のふるさと美濃では、迎え火といえば戦国時代のかがり火の如く、大きな火であったと記憶しているが、今回は当地最初だし、ご近所でも新盆以外のお宅ではやっているように見えないので、小さく燃した。木が燃えるにおい、けむりが何かとても懐かしい感じだ

 風さんに、「おじいちゃんが帰ってくるよ」というと、ちょっとキッとした顔になって「おじいちゃんてだれよ」という。自分の祖父、義父、夫の誰を指しているかという疑問だ。「26年前に亡くなった風さんの夫のことだよ」というと、困ったような考え込むような様子で、「私はそんなこと信じていないから、実家は神道だったし」とのこと。

 こうした年中行事は、やってもやらなくても人それぞれだが、私と風さん、考えが全く違うようだ。忙しく勤めているときはそんな違いにも気づかなかったが、毎日顔をつきあわせていると自ずと分かってくる。お互い相手の思いに踏み込まないで自分の感じ方でやるのがよかろう、と思った次第。ナスとキュウリの牛と馬を作って供えた。毎日食事もお供えしているところだ。

2006年6月29日 (木)

税金が百倍に!!!?

 浜松市は周辺市町村を合併し日本で2番目に面積の広い市となり、来年4月には政令指定都市を目指す。それに伴い市街化区域に線引きされた地域の農地は、宅地並み課税となる。遠州に移り住んでぼつぼつ始めた畑仕事、500㎡に満たない農地で、天竜市の時代には数百円の税金だった。ところが宅地並み課税になると何と約6万5千円になるという。市としてもいくつか対応策をとっているのだが、我が家のように住宅地に挟まれた500㎡以下の土地には策はないようだ。500㎡以上になるとほとんど税金のかからない策(生産緑地農地指定)がとられるのに。

 近所の人たちと少しずつ野菜を作りあっているのに、そこにこれまでの百倍以上の税金がかかるとは!法的にはやむを得ないとはいえ、町村合併と政令指定都市移行に対して「恨み」の思いがフツフツと湧いてきてしまう。市役所の説明会に参加し、質問事項を提出してきた。ここでぼつぼつ野菜作りをしていくには、この仕打ちを甘んじて受ける以外策はないのかと。

2006年6月23日 (金)

当地紹介その6

 「松平信康」は当地二俣の歴史を語る際、必ず登場する。この地で切腹したということで。父徳川家康、母今川義元の姪築山殿、幼少期は父と同じように今川の人質であったが、人質交換で父のもとに引き取られ、若くして織田信長の娘徳姫と結婚、12歳で岡崎城主となった。妻徳姫から、母築山殿とともに甲斐武田と内通していることを信長に讒言され、信長の命 うけた家康によって、当地二俣城で切腹をさせられた。1579年9月15日、信康21歳。今、二俣城は天竜川が大きく蛇行する川岸の丘陵上に、石垣や土塁などの遺構とともに天守台が残されている。

 かつて下野で教員として勤めはじめたころは、自動車免許を持っておらずバス・電車通だった。山岡荘八の講談社文庫「徳川家康」全26巻はこの通勤時間で読了した。築山殿と信康の悲劇の部分はとくに印象深いが、その地で今生活している。近くの清瀧寺に徳川信康の霊廟があるとのこと、近く行ってみたいと思っている。

 

2006年6月15日 (木)

墳墓の地での墓参り

 下野から遠州に移った「住所変更」の葉書に、「墳墓の地で住むことにしました」と書いた。先祖代々の墓のある土地「墳墓の地」という語は、私の人生で初めて使った言葉である。美濃に生まれ尾張、下野で働き、遠州が「終の棲家」の地となったわけだが、その理由は、夫の家の「先祖代々の墓」がある地だからだ。私個人としてはここに住まねばならない、という強い思いもなく、熱海や軽井沢に住んでも良かったのであるが、土地や畑があり墓参りもしやすい、ということで今ここにいる。

 墓参りをした。当地で「香の花」と呼ぶ木の枝を供える。正しくは「シキミ(樒)」といい「まっこうぎ」や「はなのき」「仏前草」ともいう。美濃の実家ではこの枝を墓に供えることをしなかったが、遠州ではスーパーに行けばこの木が必ず売っている。毎回買うのももったいないと、香の花の木を買ってきて敷地内に植えた。

 仏教にことさら信心があるわけではないが、お墓参りをすることには何か懐かしい感じがある。今まで遠くに離れていて墓参りをすることもままならなかったが、毎月13日には必ず墓参りをしようと決めている。義父の命日だから。

2006年6月12日 (月)

当地紹介その5 天竜川

 11日の日曜日は、二俣町の体協主催の「歩け歩こう会」が行われる予定だった。歴史を巡る良いときなので参加の準備をし、風さんの生活についていろいろ用意したのに、雨で中止。午後は雨が止んだので、エネルギーを発散させるべく、天竜川の土手を歩いた。1時間位だが多少汗をかいた。

 当地は天竜川河口から24キロ上流にあり、鹿島橋、飛竜大橋、浜北大橋といった大きな橋が架かっている。諏訪湖を水源として長野県、愛知県、静岡県を流れる全長213㎞の川(全国で9番目の長さ)だから、当然ながらこの地はずいぶん下流に位置する。小学校のころ、佐久間ダム完成記念切手を買った覚えがあるが、その後も秋葉ダムや船明(ふなぎら)ダムが建設され、日本有数の水力発電の川でもある。天の竜と書く名前が元気でいい。河川敷からはウグイスの鳴き声をはじめ、たくさんの鳥の声が聞こえた。うぐいすしか分からなかった。

 肝っ玉母ちゃんへ 子供は親の言うようには育たない。いろんな囁きも親の側の囁きでしかない。つかず離れず、ゆっくり見守り、お互い人間として付き合うことしかできない。でも、いっしょに蛍を見に行ったとは羨ましい。同じ虫でもこっちは未だにヤスデと格闘中。ヤスデの生態を調べたが、どうも特効薬はなさそう。また、畑の草取りをしていたら、ムカデの3センチ位のが5・6匹。土が生きている証拠だけど。虫には結構恵まれている。

2006年5月22日 (月)

当地紹介その4

 日常的な食べ物について、私が実感した遠州の味、①カツオを多く食べる・・・スーパーではカツオの刺身が多いように感じる。カツオの「アラ」まで売っている。血合いを含めて買ってきて醤油と酒と砂糖で煮付けて食べてみた。ショウガと梅干しで臭みを消すとおいしい。 ②油揚げが厚い・・・ざっとあぶってショウガ醤油で食べるとおいしい ③しろはん、くろはんというはんぺんが並んでいる ④しそ巻きがおいしい、など。「しもつかれ」に匹敵する郷土料理があるかどうか、今、探索中。そういえば、浜松が「餃子の浜松」で売り出し始めたとのこと。イベントも行われている。宇都宮と「餃子対決」をするテレビ番組がかつてあったが、そのときは宇都宮に軍配が上がった。浜松には焼き餃子の中央にもやしがたっぷり、というのもあるようだ。餃子の宇都宮から餃子の浜松に越してきたわけだ。

2006年5月21日 (日)

周平ファン

 <F町の虎さんへ>

 うれしいコメント、周平ファンとは。最近は山田洋次監督で次々と映画化され、しっかりと見てきました。そして何ともいえぬ余韻を感じています。当地に建てた家には、今までの、人から見ると実につまらないであろう私の「趣味」がいっぱい詰まっています。その一つ、周平の文庫本(残念ながら全集はもっていないのです)をズラーと並べて約30冊、ときどきぱらぱら読みをしています。ところで、虎さんはいっそ「寅さん」だったらよかったのに。趣味の二つめは大好きな「フーテンの寅さん」全作のビデオを並べていることですから。

 でも「猛虎」の如くF町でご活躍と言うことでやっぱり「虎」がいいかな?

2006年5月19日 (金)

当地紹介その2

  ここ二俣町にとてもすてきな美術館があります。「秋野不矩(ふく)美術館」といい、この町出身の日本画家、秋野不矩(1908~2001)さんの作品を中心に展示しています。実はここに引っ越す前に、宇都宮の友人からこの画家の名前を聞いており、なんとこの友人は2回もこの美術館を訪れているというのです。

  18日に行ってきました。緑に囲まれた小高い丘の上にあります。坂道を登っていくと木造の建物があり、展示室は履き物なしで入ります。足の裏に日本的なとてもいい感触が伝わってきます。ゆったりゆっくり時間が流れ「額田女王」や「源氏物語」の世界に浸ることができました。他方、10回にわたってインドを訪れ、インドの風土に魅せられてその姿を描き続けた人でもあり、その作品にも引きつけられました。いい時間でした。

2006年5月14日 (日)

当地紹介その1

 かつては天竜市であったが、合併によって浜松市となった二俣、天竜川の土手にはその名残を残す写真のような案内板がある。「森林都市宣言の町」とあるように「天竜美林」と呼ばれる材木の町でもある。我が家の近くにも大きな製材所があり、日中製材の音が聞こえる。また、材木のとても良いにおいがする。天竜川の土手には黄色と赤紫の花がいっぱい咲いていた。Dsc00019Dsc00021歴史的には、戦国時代、今川・武田・徳川の攻防の地となり、また、遠州と信州をつなぐ交通の要衝として重視され、江戸時代には天竜川の水運による物資の集散地としてにぎわった。これから徐々にこの地域を歩き、遠州人となるべく知識を得ていこうと思っている

2006年5月12日 (金)

柑橘類の宝庫

 どこを歩いていても柑橘類の木々に黄色い実がつい てい るのDsc00018_1が遠州。我が家の畑にも3本の木がある。20年も放置されていたので枝は伸び放題である。1本の木には夏みかんが枝もたわわについている。その数数百個。いくつか取って食べると実に酸っぱい。しかし新鮮でみずみずしい。袋を外して蜂蜜付けにして毎日食べている。その酸っぱさに気分がシャキッとする。もう1本には白い花がいっぱいついている。はっさくの木だ。甘いにおいを振りまいている。木の枝を折って花瓶にさした。はっさくの花、じっくり見たのは生まれて初めて。この花がどうはっさくに変わるのか、じっくり観察できそうだ。

2006年5月 3日 (水)

凧揚げ祭り

3日から5日まで浜松はたこ揚げ祭りでにぎわいます。
是非お越しください。

浜松からの最初の発信

 宇都宮から浜松に移って約2週間、ようやくブログで発信できることになりました。まだ、生活が安定していない中での発信ですが、とくに国分寺(下野市)の皆様と情報交換したくて、とりあえずの発信です。まったく新しい地、浜松での生活は、新鮮な気持ちで新しい地域、人、行政などへの好奇心に満ちています。まずは、「ごみの処理」から始まって近所の皆様への挨拶、スーパーの所在や住所変更などの諸手続き、義母の介護に伴う手続き、など仕事をしていたときより忙しい毎日です。これから徐々に環境を整備しつつ、さまざまな話題を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。