2009年2月24日 (火)

一生懸命な眼

  朝の読み聞かせに参加させてもらっている区内の小学校で、「表現活動を見合う会」が開かれたので参観した。

 本田宗一郎の「試す人になれ」の校訓碑を披露すると共に、学年ごとの表現を児童同士及び教員や保護者で見合う行事だった。Dsc02616 運動表現やオペレッタでは児童や指導教員の一生懸命な眼が印象的だった。こんな眼をして一つのことに取り組んだことはこのところ忘れてしまったような気がする。いつも「そこそこに」「ある程度」のところで手を抜いているなー、などと自身を顧みる時間でもあった。

 圧巻は校歌と「勝利の行進」の全校合唱、膝をかがめ息を吸い込み立ち上がって声を前へしっかり出す。Dsc02615 Dsc02614 1年生から6年生という年齢差をぐっと縮めてのまとまり、体育館いっぱいに響く声。

 見てもらう発表を作り上げることは教員のまとまりがなくてはなし得ないこと、そのご労力に心から拍手。

風光る 試す人との 校訓碑

 

2008年8月31日 (日)

子どもの世界って・・・

 少しだけ「読み聞かせ」をするようになって、絵本や絵本作家に興味を持つようになった。といっても椋鳩十さんの資料館へ行ったこととと五味太郎さんの講演を1回聞いたこと、あと図書館で絵本や読み聞かせについての本を時々読むくらいのことだけど。

 スズキコージの「てのひらのほくろ村」展をみた。Dsc01651 この人は天竜区のとなりの浜北区出身、ハッキリした色遣いで独特の世界を描く画家、展示場には大きな布に描かれた作品や段ボールなどで出来た立体の世界が広がっていた。

Dsc01650 私の目から見て、きれいとか、かわいいとか、そういうものではないけど、見に来ていた子どもたちが目を輝かせてたのしそうに見ていたのがとても印象的。     

 おりしも朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」で「絵本 きらめく」のシリーズが始まった。「子どもは大人と違って絵を読む」「絵本は読む人を映し出す鏡になる」などの言葉はストンと心に落ちる。

 子どもの世界は今の自分にはつかみきれない部分があるのでは、と言う気分もある。かつては子どもであった時間もあるのだが、ズーと昔のことだしその時の気分は多分忘れてしまったらしい。「教える」なんてことを小手先でやってきたからかなー、などと考えてしまう。今話題の「崖の上のポニョ」という映画を見たときにもそんな思いがあったが。心が枯れてきたかなー。

2008年3月19日 (水)

「良く育ちました」と語る教師

 縁があって当地の小学校の卒業式に「来賓」として参加させていただいた。一つは読書週間の読み聞かせ、もう一つは「元気はつらつ教室」の会員さんが卒業生の胸章を作った縁。とてもいい卒業式で、式場を出るとき温かい余韻が残った。

 Dsc01171感動したことの一つ、校長先生が式辞で、児童たちの表現活動や授業のがんばりの過程を話されたとき、児童がしきりに涙をぬぐっていたこと。おそらくその胸にその時の苦労や成し遂げたときの喜びがよみがえったのだろう。二つ、「巣立ちの言葉」の声、態度の堂々ぶり、とくに一生懸命授業に取り組んだことを思い出の一つに取り上げていたこと。

 卒業生の胸にはしっかりとおばあちゃんたちが作った胸章。この席に出られなかったおばあちゃんたちに写真を見せよう。「よく育ちました」と感慨深げに話す教師の言葉に、6年間の集大成の日の重みを感じた。 Dsc01173

卒業や 児を送る師の マンドリン(だったと思うが)

光明小卒業生の皆さん、自分らしく大きく羽ばたいてください

2008年3月16日 (日)

メディア漬けの危険と「質のいい読書」

 浜松市で行われた「子ども読書推進講演会」に参加し、脇明子ノートルダム清心女子大学教授の「読む力は生きる力」の講演を聞いた。講師は、「岡山子どもの本の会」代表で、ブックスタートから幼児児童生徒の読書活動に数々の提言をされてきた方である。読み聞かせに参加し、本の選択を考えるようになって初めて接する分野である。

 たくさんの内容の中で印象に残ったこと。必要なのは「読書推進」ではなく子どもがちゃんと育つこと、なんでもたくさん読めばよい、のではなく、「質の良い」本を選ぶこと。本は食べ物と同じで、健康に良くて栄養のある物を選んで手渡すのは大人の役目。今、子どもたちはテレビ、ゲーム、ネット、携帯電話などのメディア漬け状況にあり極めて危険な状況だ。・・・以上のことには大いに同感。

 小学校の読み聞かせに適した本のリストもあり大変ありがたいのだが、最近よく取り上げられている絵本の批判になると、しっかり自分で考えてみなくては、という気になった。批判的に取り上げられた絵本に、宮西達也作・絵の「ティラノザウルスシリーズ」、いわむらかずおの「14ひきのシリーズ」、レオニー「スイミー」などがある。子どもが主人公に感情移入しながら人としての感情を育み、それを必要に応じて制御していく力を身につけることが大切で、先に挙げた絵本は感情移入ができない、などとの指摘だった。

 この間いくつかの講習を受けて少し引っかかりを感じていた点、読み聞かせにいい本の範囲の「堅苦しさ」のようなことを感じてしまった。が、これは私自身の勉強不足ともいえるので、もう少し色々な本を読んで自分なりの考えをもたなければならないのだろう。

2008年2月 2日 (土)

小学校「表現活動発表会」参観

 浜松Dsc01057市立光明小学校で「表現活動発表会」が開催され、読み聞かせの会の方々と参観した。全校の長縄大会の後、 1・2年生の合唱、3~5年生のオペレッタの発表だった。全身を使って歌やオペレッタで表現する、子ども達のエネルギーに圧倒させられた。

 3年「手ぶくろを買いに」、4年「大工と鬼六」、5年「あほろくの川だいこ」、いずれも絵本などで読んだことのある内容だが、学年全員(60名前後)で、思いっきり息を吸い込んで台詞を言う、歌を歌う、体で表現をする、とてもいい発表だった。Dsc01059 ここまでにもってくるのには担任の大変な苦労があっただろうことがひしひし伝わってくる。前で児童と共に歌いながら全身で指揮をする教員の姿にも感動、かって斎藤喜博の「すべての子どもが自分の力を発揮できる学校」という文を読んだことがあるが、表現する子ども達全員の指先まで力が入っていた。

 2月Dsc010588日には全国の教師に向けて公開発表されるとのこと。体育館の正面には本田宗一郎の言葉「試す人になろう」が掲げられていた。 ここは本田宗一郎の出身校なのだ。

2007年12月15日 (土)

久々、小学生とともに

 頼まれて小学生といっしょに折り紙をやった。福祉の分野で何で折り紙か、ということは脇に置いておく。集まってきた5人の小学生と数人の大人、みんなでワイワイ、折り紙でサンタのツリーを作った。本当に久々に小学生に教えた。

 作り方を聞いてくる声、「ここがうまくいかないな」というつぶやき、出来上がったときのいい顔、2年前を思い出すなー。

 最近朝日新聞夕刊に「先生に出会う」という記事が連載されている。そこに出てくる「自分は格好悪く悩む教師だと思う。子どもにビシッと指導できず、親にもビシッといえない」という教師が取り上げられていたが、子どもと接していてよく悩んでいたもんだ、と自分に重ねて読んでいる。すでに過ぎ去ったことではあるが・・・。

2006年12月15日 (金)

赤ちゃん絵本・わらべうた

 現職中は、しばしば読書の大切さやおもしろさを語ってきた。読んだ本の量はそんなに多くはないが、今日この歳まで「読書」とはつかず離れず付き合ってきた。つん読も含めて身近には読書中の本数冊がいつもあり、時間があれば週に一度は図書館に通った。が、自分自身は小さい頃読書について「教育的」な対応をうけたことはない。我が子には幼児の頃よく読み聞かせをしたり図書館にも連れて行ったが、親としてそうするように他から教えてもらったことはなかったように思う。

 本日の読み聞かせ講座は「赤ちゃん絵本」について、その意義や絵本の選び方などを聞き、あわせて「わらべうた」もいくつか教えていただいた。今やおなかに赤ちゃんのいるお母さんやお父さんを対象にした講座から、0歳児や2・3歳児対象の絵本講座も開かれている。家庭で自然になされてきたことが、こうして公共機関などで熱心に取り組まれるようになった、という時代の変化だが、その幅の広がりに少しとまどいのようなものを感じ、自分がやろうとしていることを少し絞らなくてはいけない、と思ったことだ。

2006年10月30日 (月)

学校ガンバレ!

 教育をめぐって悲しいニュースが相次ぐ。いじめ自殺、高校の必修科目未修問題。現役の方々は触れる機会はないだろうが、昼間のワイドショーはこのニュースでいっぱい。無責任な発言も多い。いじめ自殺については、とにかく何らかの兆候(児童の変化、児童・教員・保護者の情報など)があったらすぐに関係者で対策会議を開き真剣に対応を検討することだ、と思う。対策を考えてもうまくいくとは限らない。とくに「いじめた」とされる側の保護者の理解を得るのは大変難しい。でも、ひるまないでやって欲しい。一番苦しんでいるのはだれか、を考えればできるはず。高校の科目未修問題、学校にはつじつま合わせをしたり、児童生徒のためと称して「正しさ」を踏み外す行為がままみられる。現場は杓子定規に正論ばかりでは通らないところもあるが、「みんなでやればこわくない」といった「なれ合い」や逃げはだめだ。泥をかぶる人も必要。日頃一生懸命やっている誰かがしっかり指摘すれば是正できる。評論家や批評は必要ない。そうした正義や本当の意味での強さを持った教員はいっぱいいるはずだ。制度いじりや政治家の上からのもっともらしい押しつけではない、現場からの取り組み・立ち上がりなくてはどんな制度ができてもだめだ。ガンバレ学校

2006年6月18日 (日)

久々に小学校の空気を吸う

 18日(日)は当地の小学校の「自由参観会」。日曜日だというのにランドセルを背負って登校する児童を見て、出かけてみた。我が家は学区の南端にあり、小学校まで3キロくらいある。天竜浜名湖線(第3セクタ・単線・東海道線掛川駅から新所原駅まで浜名湖を取り囲むように走る)に乗り一駅、少し歩いて到着。1時間目の授業と「あじさいコンサート」(地元のアマチュア吹奏楽団の演奏と児童の合唱)を参観した。久々に小学校の空気を味わった。以下印象に残ったこと。

  ① 校舎のすぐ後ろが山、竹林と雑木林、自然豊かな学校で落ち着いた授業が実施されている。男性の担任が半数。ゆっくり真正面から児童と向き合っているように感じる 

  ② 机・いすは頑丈な木製、安定性があり金属音がない。もちろん床や壁にも木材が使われておりさすが「遠州美林」の町の学校。秋野不矩さんの絵がたくさん紹介されている。

   ③ 保護者は全員事前に配布されているとみられる名札着用、地域の人は玄関で名札をもらう。名札のない参観者はほとんどいない

  ④ 全員のいすに「防災ずきん」がありコンサートでは座布団代わりにしていた。地震が予測される地の学校らしい    

2006年5月31日 (水)

親が家にいること

 「教育」のカテゴリーについて初めて書く。毎日の生活が「教育」一辺倒だった二十数年、読むモノ、見るモノ、聞くモノ、語ること、黙っていても「教育」の内容から逃れることはなかった。課題や難題があれば夢にも出てくるのがこの職業の因果なところ。しかし、いったん職業を離れると、このことに関して、みごとに語ることがなくなってしまった。まして、身近に関係者はおらず子供もいないとなればなおさらのこと。

 朝登校する児童や生徒に、花に水やりをしながら「おはよう、行っていらっしゃい」と声掛けをする。家の前を通る児童たち、数は少ないがみんな礼儀正しく挨拶を返す。隣の奥さんは中学生の娘さんがズーと先の角を曲がるまでじっと見送っている。角を曲がるとき、娘さんは振り向いて「バイバイ」と手を振る。「小学校入学から9年間続けているんですよ」とのこと。ふーん、といたく感心してしまった。こうした家族の緩やかな関係、いいな。自分には「できなかった」ことだから。常に、子供より先に出勤していたから。6月18日に近くの小学校で自由参観日がある。出かけてみよう、と思っている。

2006年5月 3日 (水)

浜松からの最初の発信

 宇都宮から浜松に移って約2週間、ようやくブログで発信できることになりました。まだ、生活が安定していない中での発信ですが、とくに国分寺(下野市)の皆様と情報交換したくて、とりあえずの発信です。まったく新しい地、浜松での生活は、新鮮な気持ちで新しい地域、人、行政などへの好奇心に満ちています。まずは、「ごみの処理」から始まって近所の皆様への挨拶、スーパーの所在や住所変更などの諸手続き、義母の介護に伴う手続き、など仕事をしていたときより忙しい毎日です。これから徐々に環境を整備しつつ、さまざまな話題を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。