2009年8月30日 (日)

在宅介護がだんだん大変になる

 先週、風さんが全く歩けなくなった。両肘を抱えて手引き歩行をしようとするが、体重を私に預けたまま全く足が出ない。この日は家の中を車いすで移動した。 今までも朝夕の着替え、ベッドから食堂やトイレへの移動にはすべて介助が必要だったが、ゆっくり両手引きをすれば自分の足で歩くことが出来た。これからまた大変になるなー、と少し頭を抱えた。

 在宅介護4年、風さんが何とか自分で歩けたころから比べると、介護にかかる時間が多くなり、それに伴って精神面に少し「重荷」のような感情が出てきたようだ。在宅介護の難しさはこの介護者側の「重い気分」なのではないかと思う。じっと寝ている座っているだけの風さんにかける言葉の「貧しさ」が自分に返ってくる。いやな気分になる。それをなくそうと話題を楽しくしたり歌を歌ったり・・・。その意欲が落ちてきているのがわかる

 介護保険の様々なサービスは、平均して1ヵ月デイケア70時間・ショートステイ108時間・ヘルパー3時間で風さんの全生活時間の25%。残りの75%は在宅でみていることになる。 在宅介護は私自身が選んだ道だ。

 こうした気分は理屈ではなかなか割り切れないもの。ここ数日こま切れの自由時間を使って、今話題の「1Q84」を読了。二つの月、空気さなぎ、リトルピープル等私にとってなかなか難しい世界を覗いたりして気分はますます「もやもや」。要気分転換。

 気分を切り替えて、写真は高齢者教室の会員さんで作った折り紙の「花火」饗宴Dsc02984

 8月も終わり、気分さわやかに秋本番の9月に入りたいものだ。ブログもご無沙汰が続いているし。

2009年3月12日 (木)

医療と介護・・・風さんの入院で思ったこと

 元旦に風さんがよろけて腰を打ち、大腿骨骨折で入院・手術をした。入院したのは地域の総合病院で、手術前に「術後2週間でリハビリの病院に転院をお願いします」と言われた。手術後どういう状況になるのか見当も付かない段階では、そんなものか、と思っていた。でも、同室の人で1ヵ月以上入院している人もいて、特別の治療もしていないみたいだけど、と疑問が残ったのも事実。

 総合病院だが、同じ階に入院している人の高齢化率が大変高いのも実感。現状では看護師は、介護の知識や経験が必要であり、特に高齢者への対応には十分注意して欲しいと思った次第。

 転院先を、自宅から出来るだけ近いところのお願いしたところ、「ベッドが空いていないので個室対応なら」とのこと、背に腹は替えられず承諾。1ヵ月35万前後の負担は結構重いものがあるが。

 今月中には退院をする予定。その後は在宅介護となり介護者はもちろん私自身。入院前よりは大変になることは事実。その覚悟はしているもののいろんな思いがある。

 それにしても定期的にDsc02568Dsc02569「リハビリ」がDsc02570行われるということは、個人差もあろうが実に有効。事実風さんの会話・感情は手術前より豊かになった。病室にも節分には鬼の折り紙、またわが家の食堂のように「今日の一句」を貼り、話題を出来るだけ作ろうと努力中。

 高齢者の医療、療養、将来の自身も含めて考えさせられることが多い。   

2008年8月 4日 (月)

今日の一句・・介護には工夫が必要

 この暑さのせいでもないだろうが、在宅で介護している風さんがめっきり元気がない。食欲もなく食事とトイレ以外ではベッドに横になっていることが多い。脳を活性化して気力を起こしてもらうために一工夫。

 ラジオ深夜便で明け方に、「誕生日の花と今日の一句」というコーナーがある。平成19年度放送分が冊子になっていたので購入し、その日の句を食卓の横に貼ってみた。食事の時間などにその句を話題にし、アーダコーダと話すのだ。Dsc01573 Dsc01572

 最初は興味なさそうだった風さん、そこは昔取った杵柄でチラチラ見ている。

 7月26日は「白木槿言葉短く別れけり(石井路月)」、「風さん、この句からどんな様子が見られる?」と聞くと、しばらく考えて「朝かなー」との答え。朝短い言葉を交わして出勤する人と白木槿との取り合わせを想像したんだろうか。

 8月2日は「鷺草のそよげば翔つと思ひけり(河野南畦)」、鷺草についてあれこれ話す。夕方風さんのメモ帳に、「サギソウハ母ノコノミシ草ナリシ」とメモってあった。久々の句。介護に一工夫あり、と自分を褒める。三日坊主にならないように続けねば。

2008年2月22日 (金)

「地域福祉」という言葉から

 「社会福祉」という言葉は今まででもよく聞かれた言葉だ。「社会的弱者」という保護を必要とする人々への援助の仕組みを言う。それに対して地域住民や団体が地域を単位として福祉の実践をする活動を「地域福祉」という。前者は行政の施策として、後者は民間団体や個人的な地域ボランティアを主体とするようだ。

 過日、浜松市の社会福祉協議会主催「地域福祉活動研究発表会」に参加した。会場に入ってちょっとビックリした。参加者の多くが白髪・ロマンスグレーの男性が多かったからだ。私にとって地域の福祉の担い手は、配食サービス、家事支援、介護予防ボランティアなどどう見ても女性が主体だと思ってきたのでそのギャップが大きかった。実際に動いている人ではなく福祉の組織を作っているのは男性が多いと言うことだろううか。でも、よく考えれば男女関わりなく地域で助け合っていくことがこれからの大きな流れなんだろうと思う。

 今日、風さんはデイサービスに行く日だ。足腰が弱り自宅から出るのも一苦労。一歩一歩ゆっくり足の運びを援助しつつやっと駐車場まで連れ出し、いすに座っていたときのこと、ご近所の方々が実に親身になって声掛けをしてくれる、こんな姿が本当の地域福祉だなー、と実感した次第。

2008年2月12日 (火)

だんだんできなくなっていくこと

 「這えば立て、立てば歩めの親心」は、子どもが成長していく親の願いを言っている。できないことができるようになり成長していく。老いていくことはその逆で、できていたことがだんだんできなくなる。

 私が介護している風さん、室内では何とか自分で歩いていたものが、近頃とみに歩行が困難になってきた。歩けなくなると今度は姿勢が保てなくなり足腰に力が入らなくなる。歩行器を使ってみるが体がその器具についていかない。リハビリをする、という段階ではないな、などと思いながら、それでも寝たきりにならないよう少しでも残っている能力を生かそうと、補助しながら歩いてもらう。だんだんできなくなっていく、ということは本人はもちろん、まわりも辛いモノがあるなー、と思いながら、それでも気を取り直して、「誰も行く道、明るく行こうぜ」と思い直す日々だ。

2007年12月10日 (月)

佐野洋子さんのエッセイから

 絵本作家でエッセイストの佐野洋子さんが、新潮社の読書雑誌「波」に掲載していた「シズコさん」というエッセイが今月最終回だった。24回2年間にわたる連載。

 絵本「100万回生きたねこ」は何回か読んだし、年齢は私より10歳ほど上だが、還暦を迎えた頃のエッセイ「神も仏もありませぬ」は結構面白く自分の問題として読んだものだ。「私にとって六十とはついに来たかどんづまり、人生の山場の尾根まで登って、あとはころがり落ちるばかり死の谷に向かって立っているとしか思えなかった」と後書きにある。この文章を半分はうなずいて半分は否定している私だった。

 さて、エッセイのシズコさんとは彼女の母親、9歳で関東大震災を経験、結婚し北京で生活、終戦後引き上げその間3人の子供を失う・・波乱に満ちた人生の終末は「呆けて」施設に。そこで娘の佐野洋子さんが思い出と共に認知症になった母親を語ったエッセイだ。

 佐野さんは乳ガンの再発が骨に来ている、という。呆けてしまったお母さんの死、介護しているときの様々な思い。自分とは違うが似ているところもある、印象に残ったエッセイだった。

2007年11月 2日 (金)

応急手当講習・・・必要なのは勇気

 昨日共にヘルパー講習を修了した人たちが、自主的に、消防署の救命士による講習会をもった。介護予防や訪問介護・施設介護などでは、命に関わる場面に遭遇することがあり得る。基本的な理論や技術を学んでおいたほうがいい、という理由からだ。

 かつて宮仕えをしていたときも2度ほどこの講習を受けたが、その時に比べて今回は実に「身の入った」研修となった。義務としていやいや受けた研修ではなかったから。

 救命処置として、心肺蘇生法を中心に、異物除去、出血などの救急処置を学んだ。救急車が連絡を受けて現場に到着する時間の平均は6分以上、その間に現場に居合わせた人が心肺停止状態になった人に対して行う心肺蘇生法の実習。

 反応確認→助けを呼ぶ(119番通報・AEDの依頼)→気道の確保→人工呼吸→胸骨圧迫の手順を実際にやってみる。次いでAED(電気ショック)の使い方。

 理論と技術も必要だが、何より必要なのは勇気と落ち着き、ということを学ぶ。今回のヘルパー研修のおまけ・副産物。

2007年11月 1日 (木)

ヘルパー研修修了

 8月22日から始まった130時間の研修が本日修了。めでたく修了証明書をいただいた。(個人名はふせてあります)Dsc00843 正直、実に楽しい研修だった。その理由

福祉に経験豊かな方々の、実践に裏打ちされた、また課題も含めた福祉の現場の様子を聞くことができたこと。豊富な講師陣だった。

福祉に関する多くの情報を得られたこと。知識面でも技術面でも。さらに介護に携わる人の人間性、生き方を考えさせられたこと。

いろんな考えや個性、経歴を持つ多くの友人を得たこと。

 人は必ず死ぬ、自分自身の終末を考えることは、今周りの人たちの老いを見つめることから始まる。その人たちとどう関わっていくか、関われるか、関わろうとしているか、そんなことが問われているように思う。

2007年10月15日 (月)

介護の本音・本気

 介護老人福祉施設での2日目の実習、1日目で大体の様子を体験しているだけに、2日目の今日はまた、改めて「人が老いること」を考えさせられる。自分の肉親が、また、自分自身の老いること、について、正直答えのでない迷路のような感触を味あう。

 「何にも分からん」をつぶやくAさんにどう接触するか、声を掛けてもなかなか目を合わさないBさんとどう話したらいいのか・・・・老いの姿は個人個人全部違う。

 家に帰って風さんに、「ねー風さん、自分で食べて自分でおトイレに行く、そんな状態がいつまでも続くといいね」というと、「食欲は 十分すぎる ミイラなり」との答え。

 新潮社の読者関係の月刊誌に「」がある。そこに連載されている、佐野洋子「シズコさん」は、作者自身の母親の介護についてのエッセイ。一人一人老いの姿が違うとすれば、「私の風さん」でエッセイでも書こうとか思ってしまう。読む人もあるまいが。

2007年9月20日 (木)

私の庭にバラが咲いた

 朝食を食べていた風さんが、「あの花は何の花?」と聞いた。Dsc00787 確か後ろは山椒の木、まさか山椒の花?、何の花だろう、と近くに寄ってみると、以前挿し木にしたツルバラが山椒の木にからまって花を付けている。

 バラの花だよ、と答えると、風さん、「バーラが咲いた、バーラが咲いた♪♪♪♪~」と歌い出した。そう私の庭にまっ赤なバラが咲きました。

 残暑の厳しい9月、我が花壇にはピンクのオジギソウが沢山の花を付け、あちこちにツルを絡ませている朝顔の花も元気だ。Dsc00788 Dsc00789

  毎日ヘルパー研修に通い、花壇の手入れもままならないが、植物はしっかり花を付けている。研修も11日目を終わりようやく折り返し点。 ブログも一週間ぶり。

2007年9月14日 (金)

娘のような人から教わる

 ヘルパー研修で、娘と同じ位の年齢の「先生」から、「利用者さん」(この言葉にもようやくなじめるようになった、ヘルパー制度を利用する人たちのこと)の体位交換、シーツ交換、パジャマの着替えなどについての説明を受け実習する

 昔、茶道を習っていたとき、一つ一つの動作にはすべて理由がある、と教わったが、それと同じ、介護の仕方にもそれぞれ理由がある。シーツのたたみ方、広げ方、崩れないようにシワなくシーツをかえる方法、「利用者さん」への声掛けなどなど、「なーるほど」と感ずることしきり。

 シーツの畳み方や体位の交換など、すぐにでもわが家で実践できそう。電話してきた夫に、「脳梗塞になって半身不随になっても面倒見るから大丈夫だよ」と伝えた。やってみるのが最も大切。自分が介護される立場になっても介護する立場になっても役立ちそう

 このブログ、ヘルパー研修が終わる11月はじめまでこの話題が中心をしめることになりそう。興味のない方々には、ごめんなさい。今のところ我が生活の中心なのです。

2007年9月12日 (水)

自分が介護される立場になること

 介護講習7日目終了(全課程の3分の1)。9月と10月は週3回講習があり、弁当持ちでセッセと教室に通っている。忙しく畑も趣味も少し棚上げ。在宅介護の風さんの世話は、ヘルパーさんの援助をうけて何とか両立させている。

 講習で隣に座る男性の受講生の言葉。

 「この介護教室を受けてきてだんだん気が重くなる。自分が介護される立場になるってことが、今まったく想像できなく感じてもいないのに、老いていくことを次から次へと突きつけられる」・・・同感。

 加齢による老化は40代には既に起こってきており、45歳以上を「初老期」という。法令的には65歳以上74歳までが前期高齢者、その後が後期高齢者。隣の受講生も私も、15年ほど前に初老期に入り、前期高齢者に後一歩で突入。

 加齢の事実は素直に受け入れ、「介護」を含めてこれから起こりうるであろうことを学びつつ、元気な高齢者になるべく自身を磨くことが必要なんだろう。今日から介護技術の演習に入る。

2007年9月 7日 (金)

60歳を過ぎて働く、ということ

 今、受講している「ヘルパー2級取得講座」に参加しているのは、65~59歳の人たち18人、6回目ともなれば前歴や現況も徐々に分かってきて、お互い話も弾む。

 会社の取締役、主婦、ブラジル帰り、定年退職、これから稼がなくてはならない人、自分の老後を考える人・・・様々、そんな人たちとの出会いができるのも楽しい。

 還暦過ぎて何かやろうとしてしている人たち、そうだよ、60歳になったから隠居、自分の楽しみだけに生きる、なんてのももったいないし、前歴で天下りするのもつまらない。

 還暦過ぎて、それまでの経歴に関係なく「自分の力のみで未来を開こうとしている」人たちとの出会い、そう、これから今までと全く違う世界を生きる楽しみがある。

 それにしても高齢者を対象にした産業、これはもうけ主義では絶対いけない。損をしてでは続かないが、仕事として成り立ちその意義を十分感じて仕事ができる人々の集まりでなくてはいけない。そんな思いを痛感する日々。

2007年9月 6日 (木)

自分が子どもの頃の年寄りの存在

 ヘルパー研修の五日目、社会福祉の理念などについての研修。看護師25年、介護士12年、ケアマネ6年の経歴を持つ講師の話。実践に裏付けられた良い講義だった。

 「子どもの頃、周りにはどんなお年寄りがいたか、その人に対してどんな思いを持っていたか、今だったらどう思うか」という問いがあった。私は曾祖母のことを考えていた。小学校6年生の時88歳で亡くなった曾祖母は、隠居部屋にいつもいて、私が親から叱られた時いつもかばってくれたな、などと思い出す。回想、という、高齢者に対してよくとられる対応だという。こうして改めて問われると、如何に自分が高齢者に対してクールだったか、でも年寄りがとても懐かしい存在だったか、ということを考えさせられる。

 で、家に帰って風さんに同じ問いをしてみる。「えらいおじいさんがいたことは覚えているがその人と話したことはない」とのこと。自分がそのお年寄りになっている、という思いにはなかなかたどり着かないようだ。老いを自分の問題としてとらえるいい話だった。

2007年8月31日 (金)

福祉理念・・自身の課題としてとらえる

 ヘルパー講座4日目は、「福祉理念とケアサービスの意義」。日本最初の特別養護老人ホーム(昭和36年開設)「特養浜松十字の園」の平井園長さんの講義だった。企業の営業マンから福祉の世界に入って32年、ここで出会う劇的な死や感動的な死に触れながら、福祉の仕事の理念を教えていただく。

 「福祉」の目標は「お互いに幸せになること」。これがはっきりしていないと仕事が楽しくない。福祉は自分の思い通りにはならない、なぜなら「自分のためではなく」相手のために世話をするのだから。それも「頑固でわがままな人」を相手に。この仕事の中でいろんな人と関わることによって人間らしい人間になってきた、と講師は語る。

 帰ってから風さんに接する自分の気持ちが柔らかくなっていることに気付く。その人が何をして欲しいと思っているのか、それを「思い」「やる」気持ちが少し芽生えてきたか。

 高齢者介護の問題でいやなニュースが多い。事業者の不正、高齢者虐待、お粗末な施設運営、介護職員の離職などなど、これも、日本社会の現状としてよく考えねば。

 

2007年8月28日 (火)

学生気分で・・お勉強

 いろんないきさつから、「ヘルパー2級」の資格取得のための勉強をすることになった。22日間、総時数130時間。

 今日は2日目。介護概論と訪問介護サービス概論を受講。「介護」という用語が出てきたのは1963年の老人福祉法、当初は資格などなく「素人の寮母」がその仕事を担当したが、1987年から介護の専門的従事者についての規定ができてきた、など介護の歴史の勉強は大変面白かった。

 わが家の風さんは介護認定を受け様々なサービスを受けている。訪問介護、デイサービス、ショートステイの「在宅3本柱」のすべてについて「契約」を交わしているので実態については多少は理解しているし、介護予防については、はつらつ教室でほんの一部ではあるが仕事として担当している。そうした現状を理論的にも実践的にもとらえ直し、自分のよって立つ立場を明確にする機会になりそうだ。弁当持ちで一日お勉強・・学生気分。 

2007年7月12日 (木)

在宅介護支援施設で

 高齢者のための施設には、養護老人ホームを始め沢山の施設がある。そこに集う人たちの生活を豊かにするためにさまざまなボランティア活動が行われている。今日出かけたのは、介護認定を受けた方のデイサービスや要支援とされた方々の訓練を行っている施設である。午後1時間ほど、属しているサークルの一員として参加した。

 「花咲じいさん」の大型紙芝居や寸劇、ゲームのプログラム。午前中練習し6名で参加。「花咲じいさん」のお話しもいろんなパターンがあるが、今回のは松谷みよ子原作、この紙芝居で、犬の名前はポチかシロか、花咲じいさんの「ポチ」がどこから来たのか、など初めて知った。また、ポチはおじいさんを背に乗せて山の「ココ掘れわんわん」の場所に連れて行くんだ、ということも。歌の内容とのずれもある。昔話を通して読んだことがなかったのか、記憶に残っていないのか。

  こうした場所にボランティアで行く以上、数個の出し物を自分のものにしておかないといけない。時間が余ったので2つほど指遊びをやったが、これでネタ尽き。

2007年6月22日 (金)

夏は来ぬ

 高齢者の「元気はつらつ教室」で、朝、「夏は来ぬ」の歌を歌った。初夏にふさわしいイメージだ。板書された歌詞は1番から5番まであった。1番と5番はよく知っていたが、2~4番は歌ったことがなかったのは、戦後文部省が「5年生の音楽」で1と5番のみを教材として採ったからである。

 おそらく明治大正頃の人で、誰もが歌っただろう有名な唱歌だが、歌詞の情景を今、どれだけの人が思い浮かべることができるだろうか

 卯の花とは、時鳥の忍び音とは、橘の花とは、樗(おうち)とは、水鶏とは・・・。

 「おうち」の話を家ではなしていたら、風さん「センダンのことじゃないかな」という。さすがである。この歌そのものを実体験として持っているのだ

2007年6月15日 (金)

「シルバーサポーター」養成講座

 浜松市社会福祉協議会が、浜松市から委託を受けて、地域の高齢者グループや老人クラブにサポーターを派遣してレクレーションなどを提供し、健康維持・増進への支援を行う事業が昨年度から始まっている。そのサポーターの養成講座に参加した。全4回の1回目。市内全域から43名のサポーターになろうとしている人たちと行政関係者など約60名が集まり、担当の野末あけみさんの軽妙な語り口やグループワークを通して事業のねらいや心構えなどを考えた。

 「ご当地」体操「やらまいか」も練習、これは15年前に小椋佳さんが作詞・作曲した「浜松わたしの歌”やら舞歌”」に野末さんが振り付けを考えたもの。自宅で練習までした。

 最近、物事に対する考えが変わってきたなー、と思う。行政の施策に関わることに批判的だったころもあったのだが。地域の中で生きていく、という思いからかもしれない。

2007年6月 4日 (月)

アジサイを折る

 アジDsc00520_1サイの季節、犬の散Dsc00521歩をしながらさまざまなアジサイを見る。高齢者クラブ「はつらつ」で、小さな季節の色紙を作ることになった。自分で凝って時間をかければいろいろできるが、大切なのは、きれい・簡単・安価・作って嬉しいこと。相棒と相談。写真は、今までに作った物だが、改良しもう少し手際よくせねば。別名「よひろ」というように四つの萼なので折りやすい

 アジサイの話をしていたら、風さんが、「紫陽花や 七色尽きて 秋に入る、という句があったなー。誰の句だったかなー」とつぶやいた。「風さんが作ったんじゃないの?」と茶化したら、「私にはこんなしゃれたことは言えん」とのこと。手元にある「四季花ごよみ」(講談社)や「角川大歳時記」などをめくってみるが出てこない。誰の句かな?             

2007年5月21日 (月)

沈思黙考

今朝の風さんとの会話

風さん:ねー、「チンシモッコウ」ってどう書くの?漢字が書けない。

:何、それ。四字熟語?

風さん:「ありがたや チンシモッコウ 老いの幸」という句ができたんだけど。何にもしなくてじっと考えている状態で、ほんとに極楽ってこと。

:じゃ、「沈思黙考」と書くのかな?風さんが毎日ボーとしていたり寝ていたりしていたのは「沈思黙考」というすごいことだったんだ。何を考えていたの?<意地悪嫁の質問>

風さん:何も考えてないっていう状態が理想なの。解脱って事。悟らなくちゃ分からない。

禅問答みたいだが、風さんに「解脱」でなく「脱帽」。何にもしないことにも十分意味あり。但し、何かしていなくては気が済まない、という性格の私にはとてもできないこと。

2007年4月17日 (火)

出張理容

 ほとんど外に出ない風さん、昨年までは私が自己流で髪の毛を切ってあげていた。悲しいかな、技術もなければ道具もない。当然うまく切れなくてギザギザになる。新聞の広告に、「理容お宅まで伺います」とあり、早速利用した。バッグを抱えて理容師さんが来ててきぱき準備を始め髪の毛を切ってもらって、風さん満足。

こういう制度もある。大いに利用し、快適な生活をしなくては。

2007年3月14日 (水)

介護問題を考える

 介護保険を受けて生活する人と受けないで生活する人、その線引きはとても難しく微妙な問題だ。風さんを介護したり朗読ボランティアで前者の様子を身近に感じ、一方社会福祉協議会で高齢者の集まりのボランティアをして後者の様子をつぶさに見る。手足の自由がきかないなどの肉体的に介護が必要な人、認知症が進んで介護が必要になった人、その程度によって線引きされる。そこに関わる職員も、その実態に合わせた対応が必要になってくる。自分で学んだり、関係者と話し合ったり、勉強することがいっぱい出てきた。

 

2007年3月 8日 (木)

老いることを自分の課題として

 いろいろ高齢者対象のボランティアをしてきて、分からないことがある。人は寝たきりになり人の世話になって生きることをどうとらえたらいいのか、ということである。私は今、介護者の立場、世話をする義母がいる。いずれ自分がそうなるかもしれない。「そうならないようにピンピンころり、でいきたい」とか「そうなるのはいやだよなー」という声がちまたに反乱している。でも、それでいいのだろうか。

 一生の終わりをそんなふうにとらえていていいのか、いや、いいはずないじゃないか、と頭の中は堂々巡り、昔聴いたことのある「姥捨て山」の話を思い出す。

 そうではない、人間の最後についての考え、自分なりに解答を見つけ出さねば・・・。

 上野千鶴子「老いる準備」(学陽書房)を読んでいる。

2007年3月 6日 (火)

介護者教室に参加して

 地域の在宅介護支援センターが開いた教室に参加、「認知症介護指導者」による認知症の基本的理解についての講演を聴く。かつて「痴呆」とか「ボケ」と言っていた言葉が2年前から「認知症」という言葉で言われるようになった。きちんとした知識もなく、今、介護予防の「教室」のボランティアに参加してきたが、正確に理解したいと思って参加した。

 認知症の医学的な定義は、「いったん発達した認知機能が、後天的に生じた脳の器質的な障害によって、持続的かつ短期間の家に低下し、日常生活に支障を来すようになった状態」。脳の病気そのもので、アルツハイマーが60%、脳の血管の異常が30%という。

 基本症状は、記憶障害、見当識障害(時間・日時などが分からない)、実行機能障害(段取りが立てられない)、判断力障害、言語障害などがある。ただし、快不快、悲喜などの感情は失わない。

 さて、わが家の風さん、ほぼすべての症状が当てはまる。「何も分からない」が口癖で文字通り日常生活で手取り足取りの支援が必要だ。そうした世界を体験している風さんの不安を少しでも取り除く環境を作ることが大切か、と改めて思った。東西南北をわかりやすく表示する、デジタルの数字が大きい時計を設置する、時々つぶやく川柳を書き留めて投句する、と具体的な支援を考えてみたことだ。

2007年2月23日 (金)

ゆっくり介護

 外に出ることを全くしようとしなかった風さん、従って私自身も、世話をしてくれる人がいない場合、短時間しか家を空けることができず行動範囲が極めて制限されていた。しかし、この間私も考えた。このままだとストレスもたまり自分自身が生き生き生活できなくなり、風さんにも優しくできなくなる、と。

 少しずつ風さんを説得、まわりの援助も調べて今日は初めて外泊する体勢を取った。風さん自身は「嫌々ながら」といったところだろう。いわゆるショートステイ。かつて子どもを宿泊学習に出したときのように、着替え・上履きなど名前を書いて準備をする。

 ゆっくり介護を目指し、明日はかつての職場仲間とともに河津桜を見たりハイキングを楽しむことにしよう。

 

2007年2月 6日 (火)

デイサービスの見学

 昨日まで8ヵ月以上、我が家の風さんは一歩も家を出なかった。従って私自身も誰かに頼まなければ外出もできない。人に会いたくない、デイサービスに行くのはいやだ、と、食事以外は日がな一日、ソファーにもたれじっと座っていたり眠くなればゴロンと横になる生活だった。時々体操を教えたり手先を使うこともやるようにしてみたが、続かない。このままだと本当に寝たきりになってしまう、という危機感があり少しでも刺激を受けるべくデイサービスのことを熱心に話したところ、本日の見学となった次第。浜松へ来て初めての外出、連れ出す自分の方が緊張したが難なく行ってこられた。あんまり乗り気でないようだが、週1回のデイサービスを行くと言ってくれた。

 外に出ない、と言う高齢者について、個人差があるのでなんとも言えないが、あの「カモカのおっちゃん」も嫌々ながらデイサービスに行っていたという。無理矢理ではないが介護する自分の立場を優先しているかなー、と少し胸がチクリとしたりする。

2007年2月 5日 (月)

繰り返し聞き繰り返し答える

 「今日は何日の何曜日」「今日来たのはUさん?Sさん?」「東にある家はWさん?北は?南は?西は?」「あーあ、何にもわからなくなっちゃって」。毎日繰り返される風さんの話である。時折ノートにメモをしたりするが、「書いたことが分からなくなった」といつも言う。黙ってじっと座っている時が多いが、食事時は相手が理解しようとしまいと、私が時事問題から近所のこと、感じたことをべらべらしゃべりまくる。まあ、お互い繰り返し聞き、繰り返し話していると言うことだ。相手の問いかけを絶対に拒絶しない、風さんも私の「弁舌」をよく聞いてくれているのだから。

2006年11月29日 (水)

高齢者同伴教室

 私のことではなく、ご近所の方で、自宅でお母さんを介護しているOさんの話。昨日図書館で本を借りていたらどこかで聞いた声がした。「さあ、自分で歩かなくてはだめよ、歩かないと本当に歩けなくなるってお医者さんが言ってたでしょ」。杖をついたおばあさんを連れたOさん、図書館の2階にある公民館で行われるデジカメ教室に参加するとのこと。「おばあちゃんを連れて行っていいですか?って主催者に聞いたら、なかなか返事がもらえなかった。でも介護をしている人が多い時代だもの、こういうことを考えてもいい時だ、と言ったら同伴でいいと言われた」ということで、おばあちゃんを傍に座らせておいてデジカメについて学ぶ、とのこと。天晴れ!在宅介護をしながら自分の生活も楽しむ、その行動力に感服。

2006年11月27日 (月)

在宅介護者の会

 見出しのような名称の会が浜松市の社会福祉協議会に事務局を置いて設置されている。介護の必要な家族を家庭で介護している人たちの集まり、今日はそのレクレーションとして、焼津の温泉に行ってきた。知り合いの全くいない集団に一人で入っていけるのは私の特技のようなものだ。5人の人といろいろ話した。父や母を介護している人たちはもちろん、自分がおこした交通事故で片足を失わせてしまった義母を介護している、目の見えない兄弟を介護している、脳梗塞で倒れ傷害の残った夫を介護している、など立場は様々、いろいろ考えさせられた一日だった。昔の東海道の面影を残している道(花沢の里)を長屋門や水車小屋を見ながら黙ってゆっくり歩いた。万葉集に「焼津辺(やきつべ)」と詠まれている。

2006年11月 8日 (水)

静かな戦い

 今日も風さんと静かな戦いが始まる。92歳、もうひと月もすれば93歳の風さんが昼間ベッドの上で寝てばかりいるので、「そんなに寝てばかりいると寝たきりになっちゃうよ、デイサービスとか外に出て少しでもいいから人と触れ合ったり話してみたらどう?」とこの数ヶ月繰り返されている話をする。「今のままで幸せだからいいの、何にもせずに寝ていたい」と言い、ガンとして外に出ようとしない。ボランティアの経験から、94歳の人が来てがんばっていること、デイサービスに行ってくれれれば私の時間が少しは取れるからありがたいこと、などを話すがだめ。あげくに、「一句できた、叱られてその気になってまたねまる(寝ていること・閉じこもることなどを意味する古い用語)」。「私は叱っているんじゃないからね」と言うと、「叱られて、という言葉は私も気に入らなかった。諭(さと)されて、としたほうがいいかな?」とのこと。かくて嫁・姑の静かな戦いが続く。週1回でいいからデイサービスに行ってくれると私も助かるし、風さんにとっても刺激になるんじゃないかなー、と思うんだけど。

2006年10月 4日 (水)

「キンモクセイ」雑感

 昨日キンモクセイの香りに気付いた。宇都宮ではもっと寒くなってからだったと思うが、見ると浜松の庭に植えたキンモクセイはすでに花を付けている。秋の深まりや冬の訪れを感じさせる香り、と記憶していたが、当地では少し違ったようだ。

 枝を折って花瓶に挿し食卓に置く。風さんに「キンモクセイ、匂わない?」と聞く。首をかしげ「匂わない」との答え。「キンモクセイってどんな匂いだったか、覚えてる」と聞きながら、匂いを言葉で表現する、ってのは難しいことだ、と思ったことだ。年を取ると匂いも失うんだ、と改めて知った。せめて目で匂いを感じ情景を思い出して欲しい。

     木犀の にほひ失ひし 老母かな

2006年9月21日 (木)

続 敬老の日の会話

 18日の敬老会の案内が来ず、「心外」だった風さんの疑問を解決するために、市役所に電話をしてみた。簡単だった。案内状を出す対象者は、4月1日現在の住民としているとのこと。転入は4月18日、まあ、一件落着で風さんにも説明したが、ちょっと割り切れないところがある。勝手な言い分だが、9月に行う会の案内であればせめて8月1日現在位でも良いのではないか、8月末に敬老会の案内を町内回覧しているのだから。税金は4月からバッチリ払っているんだし・・・。

 75歳以上の人には一律1,500円の商品券が渡されたとのこと。当事者になるとみみっちいことも多少気になる。風さんの2006年敬老の日、浜松市の行政からの祝賀は全くなしということ。9月のテーブルには、以前に、宇都宮市から敬老の日にプレゼントされた藍染めのテーブルセンターをおいてみたことだ。

2006年9月19日 (火)

「老いた」ときの思い

 人が老いていくときの思いは様々だ。風さんを見ていて、自分の老いを重ねている気がする。今日の朝日新聞に、吉本隆明が現代の老いについて文を寄せている。その中に「年を取ると何が一番辛いか、それは自己の意思と、現実に自分の体を動かすことが出来る運動性との乖離が、健康な人には想像できないぐらいに広がることだ」とある。今の風さんはそうかもしれない、と思う。だから介護している人はそういうことに心を砕かなくてはいけないのだ、と思う。おそらく言葉にはしていないが、一番辛いのは本人自身で、介護している側ではない、と言うことを心に刻まなくてはいけない、と近頃の風さんを見ていて思う。

2006年9月18日 (月)

「敬老の日」の会話

山椒の実:今日は「敬老の日」だよ。茶碗蒸し作ったから食べよう。

風さん:「敬老会」のお知らせ来た?

山:そういえば来てないね。栃木と違うのかな?

風:毎年何かもらっていたのにね。今年はどうしたんだろう。ここは宇都宮かい?

・・・時々風さんは認識が変になる。今いるところがよく分からないようだが、敬老会の案内が来ないのは心外らしい。明日役所に確かめてみよう。

 

2006年9月 9日 (土)

「虫の声」雑感

 夕食を食べながら風さんに聞く。「虫の声聞こえる?何の虫の声?」。風さんは、じっと耳を澄ませているが「うーーん、聞こえないね」との答え。私にははっきり聞こえる。風さんは耳は少し遠くなった程度で会話には不自由しないが、遠くの音や声は聞き取ることが難しいようだ。コオロギは「肩させ裾させ針なきゃ買ってさせ」と鳴くと、昔、親から聞いたような気がするが、今日のコオロギは、「ちっ、ちっ、肩させ裾させ、ちーちー」とずいぶん下手な鳴き方だ。

 家の近くに「遠州浜名湖鉄道」が通っており線路際は草むらで、虫が生活するのに格好な場所だ。今もよく聞こえる。風さんも昔はよく聞いていただろうに、と思いながら、虫の声をバックミュージックに黙って夕食を食べたことだ。風さんの耳には何が聞こえていたんだろう。自然の虫の声に耳を澄ますのはとてもいいこと、と思うが、ひとによっては「騒音」「雑音」と感ずるようだ。ここに、ギス(キリギリス)の「ぎーすちょん」やスイッチョ(ウマオイ)の「すいっーちょっ」の声が聞こえると、なおいいのだが。

2006年8月24日 (木)

高齢になるとは好奇心が薄れることか

 風さんの毎日は、朝起きて食事をし一日何をするでもなくゆっくり過ごし、午後9時にベッドに入って「おやすみなさい」という静かな毎日。年を取るということは、いろんなことへの関心や好奇心が薄れることなんだ、ということをよく感じる。

 風さんの女学校時代の同窓会報が届いた。大阪の女学校で、これまで何度となく思い出話を聞かされた学校である。ずいぶんとがんばって過ごした女学校時代だったようだ。今回の同窓会報を見て、「私はもう関係ないし会報を読まないから」と、関心を示さない。でも、私は本人の言葉に反して、そっと会員継続の手続きを取った。好奇心こそ薄れたものの、風さんの心の中には「豊かな女学校時代」が息づいていることが、日々の会話から感じられるからだ。好奇心や様々なことへの関心が持てなくなるときが、私にもいつか来るのだろうか。         いにしえの まなびや失せし 隠居部屋

2006年8月 9日 (水)

「うそをつく」ということ

 風さんが、「ラジオが何にも言わなくなってしまった、何にもいじってないのに」と言う。チューナーが動かされているので直してあげる。「今日はヘルパーさんには何にもしてもらってない」ということもよくある。「電気がついているんだけど、消さない方がいいかな?私はつけてないんだけど」ということもある。最初の頃は、「ラジオは自分では黙らないよ」「ヘルパーさんに牛乳をだしてもらったでしょ」「電気は勝手にはつかないよ」などと応じていたが、うそを言っているという意識ではないので、最近はそういう直接的なことは言わなくした

 朝食の時、「おばあちゃん、うそってついたことある?私も時々つくんだけど」と聞いてみた。答えは「うそだって つかねばならぬ ときがある」。うーん、そうきたか。「どんなときにつくの?」と聞くと、「お世辞の時」。そうか、相手のことを思ってついついいろんな理由をつけるのか、と一応は納得。あんまり目くじらを立てるのは止そう、と思った次第。

2006年8月 6日 (日)

記憶の糸車

  人は自分の子ども時代や数十年前の記憶を、どこで覚えているのだろうか。覚えていなかったことが、あることをきっかけに思い出されることもあるし、記憶が事実と違うことも多い。90歳を過ぎた風さんに、今朝、「今日は広島に原爆が落とされた日だね」という話をすると、遠い記憶をたどるような表情で、「息子がおなかにいたんだよ。産婆さんのところへ行く日だった。出かけようとすると、確かに何とも言えない音というか振動を感じた」という。「そのときどこにいたの?」と聞くと「どこだったかなー。浜松の実家かな」とのこと。詳しい様子を聞き始めると、下を向いてしまった。その後小さく、「記憶の糸車の口が見つからない」という答えだった。広島の原爆投下が浜松で感じられた、というのは、どこかで記憶がごちゃ混ぜになっているのかもしれないが、「ふーん、そうなんだ」とだけ応じた。

  私自身、戦後生まれで空襲などの体験はしていないのに、幼児のころアメリカの攻撃機にねらわれ逃げまどった、という経験を確かにした記憶がどこかにある。家族の話か、夢を見たのか、本などで得た知識なのか、は、分からないのであるが。

2006年7月23日 (日)

こうきしん

 工藤直子さんの「のはらうた」にある、「こうきしん」という詩が好きで、在職中も何かに書いた覚えがある。「こうきしん こぶたはなこ   わたしは なんにでも はなを つっこみます つまり”こうきしん”なのね ”こうきしん”をパラパラっと ふりかけると せかいじゅうが おいしくなります」という詩。

 この好奇心という言葉は、私にとって、興味、知識、関心とも言い換えられるけっこうずさんなカテゴリーで、当地に来たときの住所変更の葉書に「新しい地での生活を好奇心いっぱいの気分で始めた」とも書いた。

 風さんが難しい顔で俳句の雑誌を持ってきて、字の読みが分からない、という。「潜く海女の 片足波の 外に立つ」「古巣見て 諾う鳥の 智恵いくつ」の「潜く」と「諾う」の読み方である。92歳にしてこの好奇心、脱帽である。私も調べなくては読めなかった。「かずく」「うべなう」と読む。「好奇心や知識によって景色がずいぶん違ってみえる、見えなかったものが見えてくる」ということを実感した次第。 しかしこの質問、実は3回目。「昨日教えたでしょ、ここに書いてあるよ」というと、「あっ、そうか、聞いたことを忘れたんだ」。私もしっかり漢字を覚えました。

2006年7月19日 (水)

「文字になる」のはまだ早い

 高齢になって何かをやろうとすることはとても大変。風さんに、「今、大人の塗り絵がはやっているからやってみる?」「奥の細道の全文を書き方のようになぞるテキストもでているから買ってこようか?」「はつらつ体操ってあるんだけどCD手に入れようか?」などなど、何とか「何かをさせよう」と声をかけてみる。ついでに「うまくできなくてもいいんだよ、結果じゃなくてやろうってことが大切なんだから」とお説教までしてしまった。

 最初は「そんな意欲はない」と言っていたが、繰り返しあきらめないですすめる私に業を煮やしたのか黙ってしまった。しばらくの沈黙の後、「幸せと いう文字になった 今の私、今のままで幸せだし、文字になったんだからなにもしたくない」との回答。私は、「文字になるのはまだ早い、死んだら立派な戒名の文字を付けてやるから」とまたしても憎まれ口をきいてしまった。今日7回目のボランティアで、元気な高齢者と折り紙を作って遊んできたから、ついついお説教がましくなってしまったようだ。反省。

2006年7月12日 (水)

在宅介護者の会

 今日ボランティアに出かけSさんと知り合った。74歳のさわやかなおばさん。95歳の義父を自宅で介護しているとのこと。気があっていろいろ話した。「畑で草取りしていると無心になって何とも言えず気分が解放される」「みんなで知り合いになる時の楽しさ」など、そして「在宅介護者の会」に誘われた。二つ返事で承諾。またひとつ世界が広がってきた

 今日は10人のクラブの人たちと「音当てクイズ」をした。音を聞いて何の音か当てるもの。竹、お茶碗、ビー玉、タンバリン、トライアングル、マラカス、うちわ、など最初に見せておいて音を出し、今度は見えないようにして音を出して何の音か当てる、というもの。これが結構難しい。耳からはいる音を何の音か識別し文字に書き込む、脳を活性化させるにはとても良いゲームだ。しかし、耳が遠い人については個別の対応が必要。

2006年7月10日 (月)

「時の流れ」の感じ方

 最近の風さんは、掛け時計や置き時計をじっと見ているときがある。そして、「時計が分からなくなった」ということを何度も言う。時には正確に時間を読み取ることもあるのだが。時計を見て、今何時か、を言えないことに大きな不安があるようだ。その嘆きを和らげる意味で、「昔はね、時間なんか知らなくっても十分生活できたんだよ。明るくなって起きておなかがすいて食べて暗くなって寝れば良いんだから。今何時何分、ということを知らないで生きていけるって楽しくない?」などと言ってみると、「そりゃそうだ」とのこと。でもまた、「時間が分からなくなったの」と悲しそうにつぶやいている。

 時間を気にしないで毎日の生活ができる、ということが本当に楽しいことなのか、口をついて出てきた言葉ではあるが、本当のところは私にもよく分からない。

2006年7月 1日 (土)

暑さ忘れてオッホッホー折り紙色紙

 当地に来て初めて折り紙をした。ややゆとりが出てきたというところか。日本折紙協会の雑誌「おりがみ」に出ていた作品で、両手を口元にもっていき笑おうとする女の子「お、ほ、ほっ」を折って色紙に貼った。「暑きこと 忘れる出会いの オッホッホ」と割り箸で文字を書いてみる。折り紙は「模倣」だが、色紙に組み合わせDsc00059 たり文字を入れたりすると自分なりの作品となり下手でも楽しい。ヒマワリは8枚のパーツを組み合わせてつくる。(ブログの写真、もうちょっとハッキリできないカナー。デジカメはバッチリ文字まで写っているんだけど。)

 風さんに見せて、「ここにもっと良い句を書いてよ」と言ったら少し考えていた。でも、句は出てこない。以前はいっぱい句作をしていたのに、近頃はほとんどしなくなってしまった。暑くて食欲も減退気味。寝てばかりいないで、「何かに取り組む」元気が欲しいのだが。何にしても意欲を持つことが高齢者にとって大切。私は俳句はできないので、こんな機会を作って風さんに少し教えてもらおうと思っていたが。こっちが作って添削してもらえばいいんだな。俳句は苦手だがやってみよう。

2006年6月 6日 (火)

主治医を決める

 加齢とともに「お医者さん」にお世話になる事が多くなる。高齢の場合、とくに治療を必要としなくとも健康状態を見ていただける主治医が不可欠。当地付近の医院をインターネットで調べ、近くの親戚にも情報を聞いてみる。家の風さんは移動することが困難だし知らないひとには緊張感があるので、往診してもらえること、気軽に相談できることが条件。

 一番頼りになったのは介護保険の事務に携わっているケアマネ、介護認定を通して多くの病院や医師に関わっているので情報量が多く、医師の人となりも伝わってくる。町内の医院に行きじっくりお話してくることができた。「治療が必要なときは、”痛い・苦しい”時です。本人が望まなければ余分な投薬はしません」の言葉に信頼感が増し、定期的な往診を依頼した。宇都宮でもいいお医者さんに巡り会いずいぶん助けられてきた。紹介状も書いていただいたが、ここでもそんな出会いができた。5日、往診。基本的な健康状態をチェックしていただく。「いいお医者さんに出会えて良かったね」と言うと、風さんも安心した様子。

2006年6月 2日 (金)

極楽や天国は明るい話・・・続き

 タイトルにあるのは数日前の風さんのことば、92歳の人が言うと「そうなんだ」と納得するところがある。「死」をどう感じているかにつながる。昨日の夜中に栃木の友人からメールが来た。数日前にいっしょに食事をした友人がくも膜下出血で急死し落ち込んでいる、とのこと。急死はまわりに辛い思いを残す。

 これが高齢になるとちょっと違う。俳優の松村達雄は90歳のとき「みんな死ぬんっていうのは安心できるね」と新聞のインタビューに答えていた。山田風太郎は「コレデオシマイ」の中で「僕は来世はないと思っている。若いときからそう思っていた。墓石には”風ノ墓”と刻みたい」と言っている。今日は、久世光彦が森繁久弥の語りを文にした「大遺言書」を読んだ。その中で、「生と死の連続」のようなことを感じ、家の風さんが、隠居部屋と天国がつながっている、という気持ちが少しわかるような気になった。介護をしていると、「死」をどうとらえるかについて考える、という副産物もある。風さんは森繁久弥と同じ年。

2006年5月29日 (月)

介護される人の「希望」

 ヘルパーさん・ケアマネさん(H)と風さんの会話

風:「みんなに面倒ばかりかけてね。ぼけちゃってしょうがないね」 

H:「これが仕事だもの。まだまだ自分でやれることがたくさんありますよ」 

風「”ありがたや ここが天国 隠居部屋”、ここが極楽のほうがいいかな」

H:「天国とか、極楽とか、そういうのではなくもっと明るい句を詠みましょうよ。花やお天気とか。これからのこととか」

風「天国や極楽は明るい話ですよ。こんな事言ってかわいくない年寄りですね。」

2006年5月21日 (日)

今日は何日の何曜日?

 風さんの朝の日課、「おはよう」と私が部屋にはいると、この質問をすることになっている。そして小さなカレンダーに○を付ける。1年ほど前から、今日の日付と曜日がはっきり意識されなくなった。そして風さんはそれを大変気にしていた。一日何回も同じ質問で聞き、そのたびにメモをしたり印を付けるので、いっそう混乱してしまう。そこで、朝のおはようと○付けを関連させ、そのとき以降は、○が最後についているときが今日の日付と曜日、ということにした。なかなか定着しなくて、そのたびに根気よく話す。「朝、私がおはよう、と言ったときにカレンダーに印を付け、それからは日にちと曜日が気になったら、カレンダーを見て最後に○がついている日付が今日の日付だよ」と。ここ数日そのルールが定着してきたようだ。何せ小学校の頃から80年間も日記を付け続けた風さんだから、この質問はもっとも大切なことなのです。そしてこれに真正面から何度でもしっかり答えることが、私の仕事のようです。

2006年5月16日 (火)

介護保険あれこれ

 在職していて風さんに倒れられたときは実に大変だった。仕事を休むわけにはいかないから、近所の人を含めて頼めることは誰にでも頼んだ。そのときほど「介護保険」のありがたさを感じたことはない。介護認定までの手続きは結構煩雑だったが、かかりつけのお医者さんに無理して夜の往診を頼んだり、ケアマネージャーの訪問日を土曜に設定してもらったりして認定にこぎつけ、何とか仕事を休まずに乗り切ることができた。

 今退職して在宅で介護するとき、一番の困難は、風さんが「他人に会いたくない」と言うことだ。本人は至って冷静で、「年を取ると人には会いたくない、このまま静かに枯れたい」と言う。「近所の人もヘルパーさんにも会いたくない、これは老いの見栄だ」とも言う。その気持ちはよくわかる。が、こうしたサービスを利用しない手はないし、私自身も外へ出たい時もある。介護保険利用は他人が家にはいること、それをいとわない老人であることが今求められていると思うのだが、気持ちを変えることは難しい。

2006年5月12日 (金)

家の風さん

 大正初年生まれの義母と暮らしているが、この「義母」という文字と音がなにかギクシャクした感じを与えている。で、今後は「風さん(ふーさん)」と呼ぼうと思う。いつも私の近くにいて、あっちへ行ったりこっちへきたり、台所などへに入るときにも、「はいっていい?」と言うように、一挙手一投足何でも聞いてからフワーと移動する。いつも何か考えているような顔をしているので、「何を考えているの?」と聞くと、「なーんにも」と答え、「”天国は この部屋だったと する納得”、これは辞世の句だよ」とのたまう。「まだまだ生きられるよ」というと、「5,6年 まだ生きるぞと おどかされ」と返してくる。「もう一度言って」というと「もう忘れた」と言う。そんな姿は「ふーさん」という音によくあう気がする。私自身、まあ、いずれ行く道、その道の先輩と思ってゆったり付き合っている。仕事をしていればこうはいかないが、無職となった今は、時間に追われずフワーと風さんと付き合っていられるのです。

2006年5月11日 (木)

「わからなくなった」とは

義母の口癖である。朝「おはよう」と部屋に行くと必ずこの言葉「わからなくなった」が出て、とても不安そうな顔つきになる。わからないのは、今日の日付、曜日、これからすること、などいろいろが含まれているらしい。一日に何回もこの言葉が出る。「わからないということがわかるというのは、すごいことだよ」と私はいう。「わかるとはどういうことか」というちくま新書があったが、この題材で1冊の本が書けるのだから、この言葉の意味は深い。何でもすぐにわかった気になる私は、「わからなくなった」とつぶやく義母の本当の不安が理解できないでいる。

2006年5月 3日 (水)

浜松からの最初の発信

 宇都宮から浜松に移って約2週間、ようやくブログで発信できることになりました。まだ、生活が安定していない中での発信ですが、とくに国分寺(下野市)の皆様と情報交換したくて、とりあえずの発信です。まったく新しい地、浜松での生活は、新鮮な気持ちで新しい地域、人、行政などへの好奇心に満ちています。まずは、「ごみの処理」から始まって近所の皆様への挨拶、スーパーの所在や住所変更などの諸手続き、義母の介護に伴う手続き、など仕事をしていたときより忙しい毎日です。これから徐々に環境を整備しつつ、さまざまな話題を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。