2009年10月29日 (木)

今日すべきことの多すぎ・・・

 いやはや、仕事一筋だったといえば格好がいいが仕事しかなく仕事の追われていた時期が過ぎ、介護と家事以外は全部自分の時間、という素敵な今なのだが・・

 今日すべき ことの多すぎ 時計草

 一日を 働きづめたり 月今宵  というような現状に陥った。

 我が作業場(通常これはリビングという)といえば、編みかけのベスト・マフラー、作りかけの秋の七草の色紙、読みかけの文庫本(今は山崎豊子「沈まぬ太陽」司馬遼太郎「坂の上の雲」など)、推敲しかけの俳句とNHK講座や俳壇の新聞切り抜き、練習途中の朗読本、作成途上の元気はつらつクラブの作品群、書きかけの手紙などがぶっ散らかっているという惨状。

 仕事は優先順位をつけて一つ一つ処理していくのが原則だったが、今はやりたいことを次から次へと手を付けた結果のこの体たらく。ブログに書くことの焦点も定まらぬ。

 一応完結している寄せ植えの写真などでざわめく心を落ち着けよう。Dsc03120 Dsc03121 Dsc03123 Dsc03125

 最後のイチジク、一昨年植えたら今年今日までに62個収穫。味をしめて畑をミニ果樹園にしようとレモンと姫柚を植えた。そう外の世界では花苗の植え替えやタマネギの植え付け、豌豆類の種まきもまだなんだ。Dsc03122

 今必要なのは、一日が24時間しかなく、やれることは限られている、ということを自覚することかもしれない。

2009年8月13日 (木)

地震見舞いのお礼

 11日早朝、駿河湾を震源とする地震が発生し震度6弱という数字もあって、多くの方から電話やメールでお見舞いを頂きました。わが家は浜松市の北部で震度4,それでもこちらに移って以来経験したことのない揺れを感じました。棚から物が落ちることもなく被害はありませんでしたのでご安心下さい。

 近くの牧之原市や焼津市では、けが人や土砂崩れなど大きな被害が出ており東名高速道路は今も不通です。当地は東海地震が予測される地域で、ここに家を建てるに当たっては地震対策をしっかりしたつもりではありますが、なにが起こるか分かりません。出来る対策はしっかりとっておきたい、と改めて感じた次第です。

 暑い日々ですが、白い花がそれを少し和らげてくれています。Dsc02970 Dsc02975Dsc02976 今年はサギソウがしっかり咲いてくれ、またホソバテッポウユリが家の周りや畑にたくさん咲いています。

 山でとってきたフウセンカズラの種を蒔いたところ小さな白い花が咲き涼しげなフウセンがゆらゆら。Dsc02977

 こんな花々で地震お見舞いのお礼にかえさせていただきます。ありがとうございました。

 

2009年7月28日 (火)

雨がふります雨がふる

7月も終わるというのに梅雨が明けない。よくふる雨だ。畑仕事を中心に介護をし、その他を趣味の時間にしている私の生活(まあ、畑仕事も趣味の内だが)は、勢い暇になる。体力を使い汗をいっぱいかく畑仕事がないと運動不足、体重増、ストレス発散欠如となり不健康この上なし。

 そんなときは北原白秋作詞の童謡「雨」の如く、「雨がふります雨がふる いやでもお家であそびましょう 千代紙折りましょう たたみましょう」となる。最近の作品。Dsc02875

 「ポニョと妹たち」、雑誌「おりがみ」の折り図と昨年見た映画のパンフを参考に作ってみる。次いで魚屋さんと天狗さんDsc02964 Dsc02965 ・・・折り紙も飽きてきたな。

 では、と総選挙の各党のマニフェストを考えてみる。当面私の直面するのは「介護」、在宅介護への支援及び介護現場の待遇改善が切実な課題。「長生きして良かった」と思える社会はどの政党が一番具体的で現実性ある方針を示しているか。

 

 

 

 

2009年6月13日 (土)

「鮎解禁」の恩恵

 6月に入り鮎釣りが解禁された。わが家全員大の鮎好き、下野にいたときは那珂川や鬼怒川の梁に何度も行ったものだ。当地に来てとても幸せなことに、ご近所や知り合いの中に鮎釣りを趣味とする方がおられて、釣果のおすそ分けがたびたび

 塩焼きは定番だが、今日は鮎ご飯を作ってみた。鮎を塩焼きにして、新生姜と茗荷を入れてだし汁で炊く。炊きDsc02823あがったら鮎を取り出して、頭や骨を取り除いて身をほぐして混ぜる。

  Dsc02824 もちろん天然鮎だからこそのこの味。感謝。

 鮎届き 仕切り直しの 夕餉かな

2009年6月 1日 (月)

5月の花めぐり

  ブログも4年目になり更新もまばら、先月は実に3回のみの体たらく。日々新しい発見や出会いはあるものの、生来の貧乏性、バタバタ動き回り落ち着いてパソコンの前に座ることがなかった。リアルタイムではないが、記録として花の美しい5月を振り返る。

 5月20日、高齢者クラブの皆さんと、浜松市中区の「ばらの都苑」へ。天野和幸さんが亡くなられた奥様のために開園されて10年、アーチフェンスや塔などの立体物や地植えの色とりどDsc02751Dsc02747Dsc02746Dsc02750ばら。Dsc02744_5ブルームーン、正雪、ゴールドバニー、ダイアナプリンセス、などの名前も楽しい。

 Dsc02797 次いで富士芝桜祭り、少し時期は遅かったが富士山がくっきり、小さな花ながら芝桜にもいろんな種類があることを知る。 Dsc02785 Dsc02780

 最後にわが家の寄せ植え、初夏に移りゆく時期の花々。Dsc02804 Dsc02805 6月も花を楽しめますように。Dsc02806    

2009年5月10日 (日)

母の日

 相次Dsc02757いで子どもたちからDsc02758花が届いた。息子のは連れあいの名前で、娘は姓が変わった名前で。母の漢字の成り立ちは二つの乳房を持った女の人である。育てるという意味では二人ともたった18年間いっしょに暮らしたのみ。勢いよく東京に行ってしまいそのまま落ち着いてしまった。

 私自身がそうだったから、まあ、親の背中を見て育ったんだろう、と思っている。

 花にはいずれもメッセージが入っていた。「いつもありがとう」の文字。

 そう、毎朝私はお天道様に手を合わせ、二人の幸せを祈っているんです。親子って不思議な関係。つかず離れず、一旦緩急あれば何をおいても駆けつける。

 母の日のちょっとした思い。

2009年5月 3日 (日)

連休・・お江戸で文化の香りに触れる

 娘の新居訪問を機会にお江戸ぶらぶら歩き、ゴールデンウィーク初日のこと。

 先ずは阿修羅展Dsc02729、朝一番に並びゆっくり見学、正面に向かって手を合わせその後右・後ろ・左と回る。興福寺で何回かお会いしてはいるが、ガラス越しではなくまた全体像が見られるのはうれしい。阿修羅像を含む八部衆像のお顔は、「何を考えておられるのか」と考えてしまう。

  阿修羅像 若葉のもとで 見てみたし

 夜は高村光太郎の詩に出てくる牛鍋屋「米久」へ。Dsc02721 明治初年、近江の米屋久次が近江牛3頭を連れて上京、浅草に開店したのに始まる、と説明にある。

 二次会は明治13年創業の「神谷バー」へ。Dsc02725 萩原朔太郎が「一人にて酒をのみ居れる憐れなるとなりの男なにを思ふらん」と詠んだお店。つれ合いたちは「デンキブラン」を嗜んでいたが、アルコール度が高いので私はご遠慮もうしあげた。

 出かけるのはこの日のみ、渋滞のニュースを尻目に、風さんと他愛ない話の合間に、専ら畑仕事、ガーデニング、読書の連休。

 

2009年3月31日 (火)

沼津一見

 一見Dsc02698、チラッと見ただけでは沼津に失礼とは思うが、おいしいお魚を食べたいと数時間この地で過ごした。先ずは沼津港へ。

 魚Dsc02696市場付近に展開されるお魚の旨い飲食店街へ。そこで地魚のにぎりを食べる。海無し県岐阜県に生まれ同じく海無し県栃木県で過ごした身にとって、新鮮なお魚料理はあこがれですらある

 沼津港には大型展望水門「びゅうお」がある。Dsc02699 眺望を楽しみに行ったのに「休み」!で、お魚を食べ、干物を買って戻ってきた。

 「エー、新幹線使ってお魚食べてきただけ?!」と知人に言われた。介護の骨休め・・・と自分を慰めてみた日。

 平成20年度も本日で打ち止め。明日からまた気分新たに浜松生活4年目の始まり。

2009年3月19日 (木)

春の山

 15・1Dsc026696日、娘の結婚にむけての用事で東京へ、その往復、新幹線の窓から見えた富士山がすばらしかった。

 往路Dsc02674富士山の右下には薄い雲がショールのようにたなびく。

 帰路 富士山は雲一つ寄せ付けない雰囲気。

 あまりに気分が良かったので昨日の句会に

 結納の 往きも帰りも 春の富士  と出したら、先生に「往きか帰りかどちらかにしてください」と言われた。そう、俳句は一瞬の景を詠むんだった (;´д`)トホホ…

 「春の山」は「草木鳥獣の命の喜びが満ちている」「明るく生気を高ぶらせ始めた山」と季語の説明にある。春の富士には雪があっても春の雰囲気・光を感じさせる。

 畑もDsc02667春の様相、土を耕すと耕すほどに柔らかい土の嵩が増す。豌豆やソラマメの花が咲きアスパラやニラが収穫できる。ジャガイモの芽が少し出てきた。春大根、絹さや、枝豆の種を蒔く。また忙しくなってきた。

  

2009年3月 9日 (月)

「万葉食」初体験

 浜松市浜北区に「万葉の森公園」がある。万葉集に浜北ゆかりの歌が4首収められていることから、合併前の浜北市によって設立された。ガーデニング教室の主催で椿園の見学及び万葉食体験に出かけた。

 地域Dsc02647の研究会によって万葉食が再現されている。赤米(古代米)のご飯、貝とノビルの羮、鯛の醤(ひしお)酢、ナズナなどの万葉植物の揚げ物、フユアオイのお浸し、大根の浜納豆煮、にぎめ(アオノリ)の酢の物、蘇(チーズの類)、ヒシの実、碁石茶・・といった初体験の食べ物。 おいしさというより珍しさで食べる

Dsc02635 園内にDsc02639は約300種Dsc02644類の万葉集に関わる植物があり、中でも数多くの椿が植えられ、係の方から詳しい説明を受けた。紅白の写真は「胡蝶侘助」。また、葉の先が割れているピンクのものは「金魚葉椿」と椿の名前もたくさん知った。Dsc02640

 春の木とDsc02638書いて椿という漢字は和製、早春の花にふさわしい。油料や染料として古くから使われていた。散るときは殆ど上を向いている。 まるで地面から直接咲いているように

 生家の裏口に椿の木があった。小さいときみんなでよく登った。実が落ちると集めて母に渡すと喜ばれた、椿油を髪の毛につけるのだ。小さな瓶に入った椿油が鏡台の前に置いてあったことを思い出す。

2009年3月 3日 (火)

ひな祭り・・子どもたちの育ちを酒の肴に

 日本全国雛まつりの日、最も私の故郷美濃では月遅れの4月3日がまつりの日だったが。各地でお雛様の展示が盛んで、町ぐるみ、地域ぐるみで公開しているニュースも聞く。

 子どもDsc02631が巣立って一Dsc02652昔以上だが、わDsc02653が家も小さなお雛様Dsc02654を飾ってみた。娘が生まれた頃は狭い団地住まいだったので、ケース入りのものを母が買ってくれた。そこに子どもたちが幼児の頃、描いたり作ったものや、最近折り紙で作ったものなどを併せてごちゃごちゃ並べてみる。

 これを作った頃はどうだったなどと子育ての思い出話を酒の肴に、つれ合いとちびちび酒を飲む、定年後の夫婦。

段飾り 吾子のつくりし 雛添へて

    

2009年3月 2日 (月)

自分の作品が展示されると・・・

 二つの公民館まつりにDsc02607参加した。2月中旬は光明公民館、折り紙と絵手紙の教室の一員として作品を展示したDsc02606Dsc02604色紙に貼った様々な折り紙作品と新しくペーパークイリングの短冊を出した。この日は一日、館内で行われた折り紙体験で小学生たちの作品つくりのお手伝い、猫や犬などの顔を楽しく折った。

 3月最Dsc02649初の日曜は二俣公民館まつりDsc02648Dsc02651ガーデニング教室の一員として額縁の寄せ植えで参加した。先生が「マチスのパッレト」という素敵な名前を付けてくださった。左は会場のもの、右はそれをわが家の門扉に置いたところ。

 今の時期、天竜区内では多くの公民館まつりが行われ、多くの同好会やサークル活動の発表が行われる。仕事をしているときには縁のなかった分野で、その反動か、やってみたいことがありすぎてやや「虻蜂取らず」の様相を呈している。たが、こうして自分の作品が展示されると結構嬉しいもの。

六十路超え あれこれかじり 鳥雲    

2009年2月23日 (月)

身延山へ行く

 わが家の「先祖代々の墓」は当地妙雲時、日蓮宗の寺の墓地にある。この宗派というものは不思議なもので、たとえばその教義を把握した上で属するものではない。たまたま嫁いだ家がこの宗派に属していたということ。生まれは濃州で曹洞宗の寺だった。

 で、縁あって日蓮宗の寺にお世話になっている。毎月義父の月命日にはお墓参りに出かける。宗教の教義とは関係なくこうしたことが出来るのは、日本の仏教だけなんだろう。実父母の法事には曹洞宗のお経を頂きありがたいお説教も頂く私である。

 そこで日蓮宗の総本山身延山久遠寺へ出かけた。静岡から身延線に乗る。車中から見る富士山は雲一つなく車窓から方向を変え長時間楽しむことができる。

 身延に着きDsc02584_2、  名物の湯葉定食Dsc02585 を食べ、三門から287段の急勾配の菩提梯を登る。Dsc02601

 そこからロープウエイで登った身延山から見る富士山もまた絶景。Dsc02592 日蓮に関する様々な史跡などを見学。

 年のせいか宗教やそれを開いた人物、またその史跡にも興味を抱くこの頃。 

2009年2月 8日 (日)

立春もすぎたのに・・丑の干支のはなし

 干支に因んだ話しが出るのはお正月、と決まっているものの、今年はこの話題を書きそびれたので、今さらとは思うが、年賀状を整理しながら一言Dsc02488

 写真は元気はつらつ教室の会員さんが作った「羽織を着た牛」のミニ色紙。干支の因んでその年への思いを書くことはよくあること。ここに書かれた文字や年賀状の文字を書き出してみると。

 ことしモー元気taurus もうと御慶をもうす牛殿taurus たとえ牛歩でも展望を開くtaurus ウッシ!!気合い十分taurus モーしぶんのない年にtaurusDsc02509 Dsc02508

 小さい頃、自宅の三和土(たたき)には牛小屋があって農耕牛と共に生活していた。切り藁に小糠をまぶしたものを飼葉桶(かいばおけ)に入れるとのんびり食べていた。牛の鼻輪に棒を付けそれを引っ張ると、牛はその方向に歩く。鋤を突けた牛の鼻輪をとるのは子どもの仕事で手伝った覚えがある。強く引くと牛は真っ黒の大きな目に涙をためていたような記憶もある。そんな時代もあったね、という話。

 で、私の干支に対する思いは、この小さい頃の経験から、自分の道をゆっくり勤勉に、というこれまた平凡な話。

2009年2月 5日 (木)

箱根の山は天下の険

 東京に住む息子夫婦が、箱根にある区の保養施設の抽選に当たったからいっしょに「初春ゆったり温泉旅行」をしないか、と言ってきた。つれ合いの手術後初めての旅行としてはいいのでは、と参加。現地集合で娘のカップルも合流。

 小田Dsc02546原からバスで箱根の関所へ。箱根駅伝のルートを1時間余り、「天下の険」を実感する。 一昨年に新しく復元公開された大番所等の建物や資料館をじっくり見学。記録に寄れば関所破りで処刑された例は意外と少なく、むしろ山で迷ったとして返した例が沢山あること、関所での生々しいやりとりなどの様子を知る。

 子どもたちの育った時代は、今のように手厚い子育て支援もない時で、産後6週間で共同保育所に預け、私自身は働くことに重心を置き、大した育児もしなかった。そのせいか二人の子どもたちは早くに「自立」し共に18歳でわが家を出ており久々のゆっくりした出会いとなった。夜のカラオケ大会では大人社会でもまれている子どもたちの姿を垣間見た感じがした

 翌日は全員で大湧谷へ。箱根ロープウエイや大湧谷からの富士山は最高。Dsc025517年寿命が延びるという黒卵を食べ 、その後3組はDsc02559それぞれ、桃源台、彫刻の森美術館、小田原城と別れて旅を続けた。いい時間だった。 Dsc02556

2009年1月26日 (月)

これは「つぐみ」でいいのでしょうか?

 「オ!!来た来た」とカメラを構える。といっても簡易なデジカメ。それも台所のガラス越し。

 Dsc02518 Photo 写真を撮ってはみたものの、「ほんとにツグミだろうか?」との疑念。鳥についても知識がなく、「野鳥図鑑」と見比べてみる。

 「クリーム色の眉班と黒い胸の斑点が目立つ、栗色のつばさ」、これはクリア。私の目では「鶫(つぐみ)」 と断定。冬鳥として主に日本海を横断して本州中部に渡ってくる。最初は山林で群れているが、やがて平地へ移動してくる。

 今も時々えさ台にやってくる。ちょっと小太りの愛嬌のある鳥だ。ヒヨに追われてもまた見つからないように下で餌をついばむしたたかさ。「口をつぐむ」に関係ある命名かな。

  鶫は秋の季語。春も盛りとなるとまた飛び立っていく。

   隙人や 冬の鶫を 見つめ居り

2009年1月16日 (金)

「つぐみん」が我が庭にやって来た

 植物の話題が続いたところで、本日はの話。我が小さな庭にえさ台を作っている。昨年は、何度もメジロが来てずいぶん楽しませていただきブログの話題ともなった。

 今年Dsc02389もセッセとえさ台にリンゴをおいたところ、12月はじめ頃からメジロが来るようになった。かわいい姿でキョロキョロ、時々私が近づくと、「きりきり」と警戒音を出す。ヒヨやキジバトもきて、昨年の俳句に詠んだように、「冬の鳥 庭のえさ台 賑はえり」、ここまでは昨年と同じ。

 で、今年、ツグミが来た!!。「つぐみんだ!」とつれ合いとともに大喜び。今日は実に面白い光景を見た。えさ台でリンゴをついばんでいたツグミに突然ヒヨが襲いかかり激しくツグミを突っついたのだ。空中で地上でもつれ合う二羽の鳥。写真を撮る時間もなかった。

 「とDsc02505りぱん」という漫Dsc02504画がある。息Dsc02503子・娘そして我が夫婦ともに愛「読」書。過日、息子夫婦がとりのなんこさんのサインを並んでゲット。そこに出てくるツグミが「つぐみん」。

 ツグミは小さい頃わが家の正月のごちそうだったことがある。麹漬けにしたものを焼く。もちろん今は禁止されているカスミアミで採られたものらしい。

 ツグミが我が庭に姿を見せてくれてとても豊かな気分。ちょっと太っていて弱気な鳥。ヒヨにつつかれても地面を歩いていて、ヒヨがいなくなればまたえさ台に登ってくる。シャッターチャンスがあれば是非写真に撮りたい、と思っている。

  

2009年1月 8日 (木)

新年おめでとうございます

 今日はもう8日、松明けの地も多く「おめでとう」もないものだが、この正月大事件があり、お正月どころではなかったので、本日がブログ初めとなった

 Dsc02423 玄関にお正月飾りをし、お節を並べお雑煮を食べ、すばらしい初日の出をわが家の門から遙拝し、着Dsc02429 物姿の娘や長男の妻ら一族揃って氏神様参りをし、家族写真を撮ったところまでは順調な出足だった。今年はいいことがありそう・・・。

 その時事件勃発、風さんがよろけて腰を打ち緊急で行った病院で大腿骨骨折と診断され即入院。在宅介護をしていて骨折させるとは・・・、と自身を責めてみてもあとのまつり。

 95歳という年齢からして対応をいろいろ考えてみたものの、先ずは痛みを取らなければ、と手術することにした。その準備や毎日の病院通い。併せて3日にはお世話になった先生宅の葬儀もあった。

 ともあDsc02426れ、この難儀を乗り越え、今年も元気にいきたい、と新年の決意。「ほどほど」と「一生懸命」をバランスを取って生活していこうと思う。ブログもまた然り。今年の賀状は、昨年庭に植えた「ジュズサンゴ」の木版画。「孟陽」と新春を寿ぐ。

 本年も「山椒の実」をよろしくお願いします。

2008年12月21日 (日)

e-taxに挑戦はしたけれど・・・

 「オンラインでラクラク e-taxで確定申告」の宣伝に乗せられ、もちろん「最高5000円の税額控除」ってのが一番魅力的だったんだけど、挑戦してみることに・・・。

 先ずは区役所に行って住民基本台帳カードをつくってもらうところまではいい。どうやってこのカードを読むんだ、家電量販店でICカードリーダラーターを買わなくては。そのあといくつかのソフトをダウンロードしなくては。

 えーよくわからないよ、今までのように国税庁のHPからプリントアウトして送れば80円ですむからあきらめるか。いやいやブログをやっている私としてはここであきらめるわけにはいかない、と思い直し、で、浜松東税務署主催の講習会に出た。

 2時間以上の講習で、なんとなく分かっては来たような気もするが、訳の分からないJREとか公的認証サービスクライアントソフトのインストールなんてみているうちに面倒くさくなってしまって封筒ごと放り投げてしまった次第。

 パソコンの基本が分かっていない身にとっては、どこがラクラクだ!ともかくここまでで旅費も含めると5000円超しちゃったし、今年度しなきゃ税額控除なくなっちゃうし。正月過ぎにもう1回考えてみることにしよう。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

2008年11月27日 (木)

糸杉が折れちゃった

 浜松で家を新築したとき、知り合いから戴いた糸杉、最初は30㎝くらいの鉢植えでかわいかった。少し大きくなったのでわが家の北東の角に植え直して2年半、スーと伸びて5㍍近くになった。通る方に、「この木は何という木ですか」と聞かれることもあり、結構珍しい姿だった。

 電線に届きそうになったので、そろそろ何とかしなくては・・・、と思っていたところ、ちょっと強い風が吹いた日、地上から1㍍少しのところでポッキリと折れてしまった。犬の姫もビックリ。Dsc02258

 背の高い木が折れる、ということでは皇帝ダリアも然り。今年も11月中中からたくさんの花を付けた。今年は脇芽が伸びるままにしておいたとこDsc02261ろ、7本も斜めに出てその高さ4メートルを越す。その内2本が折れた。

 植物を育てるには自然のままに放置しちゃダメ、という教訓。背の高い植物は概して苦手だなー。 Dsc02201                                                                                                         

2008年11月23日 (日)

人参の叫び

  野菜を作っていると、時折面白い形のものが出てくる。一昨年はサツマイモのお地蔵さんが出来た。

 今年は人参の「叫び」Dsc02263Photo ムンクの絵の人物によく煮ている。

 飾るにはチト抵抗があるので、屋敷神の近くに埋けておくことにした。

 今一番叫びたいことは・・・・ 「しっかりして欲しいな、日本の政府!」

2008年11月22日 (土)

展覧会あれこれ

 芸術の秋、あちこちで展覧会が開催されている。プロのものもあれば地域の小さな展覧会もある。一人一人の思いが凝縮された作品が並べられ、おそらく出品者には展覧会の規模に関わらず深い思いがあることだろう。11月に出かけた身近な展覧会あれこれ。

 その1、これは私が関係する陶芸教室の展覧会、11月上旬なゆたで開催された。陶芸を月1・2回習って1年半、何て不器用なんだろう、と思った時間だったが、日用雑器(焼き魚皿、多肉植物植木鉢、苔玉鉢、ビールジョッキなど)を専ら作りすぐに使ってきたので、いわゆる展示会に並べる品がない。花器、茶器、飾り皿、インテリアなどの作品がなく、もちろんその技術もなく・・・という現状でちょっと恥ずかしかった。しかし出品されたものはすばらしいものが多かった。Dsc02167 Dsc02171

 来年は頑張ろう、という気分。

 その2,切り絵の展示会「でんでんむしの会」30周年記念展。会場マイン・シュロス・ギャラリー。幼稚園の保護者の集まりから生まれた主婦5人の30年間の歩み、遠州を題材に絵本や郷土誌を出版してきた。地道な取り組みで30年間続いたことは本当にすばらしい。一冊しかない手作り絵本などにはひき付けられた。Dsc02205 Dsc02206 Dsc02207

 その他、私の関わる高齢者グループの展示会(やまゆり)、創造美術会陶芸展(なゆた市民ギャラリー)などじっくり作品を見る機会が続いた。

 11月30日には二俣町光明公民館で、相生地区に住む人たちの展覧会が開かれる。日々の生活の中で趣味として作ってきた作品の展示。住む地域で普段の生活にある「文化」の展示、小さい催しだが心から応援したい、と思う。

2008年11月16日 (日)

山の幸堪能・・・竜川物産展

 当地から車で北へ20分、竜川で物産展が開かれるとのことで出かけた。雨が時折降るあいにくの天気だったが、現地の皆さんの活気ある店が並んでいて、興味津々見て回った。Dsc02223_2 写真は会場の横山小学校グランドを高台の八幡神社から撮ったところ。 最初に「ズガニ汁」Dsc02220_2をいただく。「ズガニ」とは足に毛ある蟹Dsc02217_2で「モクズガニ」のこと。これをダシにした味噌汁でとてもおいしい。Dsc02215_2一鍋90杯がすぐに売り切れ!       

 次に手作りの「あんもう」。これはあん餅のことでこの地方の方言。柚のおまけ付き。

 手作りの 「あんもう」お負け 柚ひとつDsc02222_2

あんもうに 柚のお負けや 山の市・・・ Dsc02226_2 のほうがいいかな?

 その他、鮎の塩焼き、串いも(里芋を串に刺して山椒味噌をつけてやいたもの)、自然薯のトロロ蕎麦など山の味を満喫。毎日が日曜のような生活だからこういうのもヘンだが、日曜は日曜、おいしく楽しい日曜日。風さんの昼食もお土産の鮎と串いも。

 

                  

2008年11月 5日 (水)

「浜松餃子」を初めて食べる

 餃子、焼きそば、ラーメン、そばなどの食べ物で地域起こしをしている地は日本全国たくさんある。その餃子を宇都宮と浜松が観光の一つとし、かつては「餃子対決」をしたということを知り、宇都宮から浜松に引っ越した私としては、ちょっとした縁を感じたものだ。

 宇都宮では「みんみん」や「正嗣(まさし)」の餃子が懐かしい。で、浜松餃子、当地へ来て2年半になるのに食べたことがない!一度は食べなくては。

 浜松餃子の人気ランキングをインターネットで調べる。あるブログに1位福みつ、2位丸和商店、3位むつ菊とあったので、時間的にも距離的にもマッチした「むつ菊」に出かけた。

 そこは「えっ、こんなとこで餃子が食べられるの?」という住宅街にあった。Dsc02088数人が外で待っており、しばらくすると10台ほどのバイクツーリングのグループも爆音を響かせてやって来た。大皿(餃子26個)を二皿頼み、かりっと仕上がった餃子に舌鼓。むすっとしてひたすら餃子を焼いていたご主人の顔。真ん中にもやしがあるのがその特徴Dsc02087 何人で食べたって?ご想像にお任せします。

 あわててパク付き、上あごからかなり出血するほどのやけどをし、今も血豆のようなのが口の中に出来ている。熱くおいしく痛かった「浜松餃子」との出会いでした。教訓:餃子は熱さを確かめて口に入れること。

2008年10月22日 (水)

きつね君、こんにちは

 犬の散歩の途中、畑で穴を掘っているきつねに出くわした。Dsc01870 「どうして人間がここに来るんだ?」というような顔をしている。逃げようともしない。わが家の犬「姫」とじっとにらめっこをしている。友人の畑でちょうど畝を切ってある所を掘り返しているので、「そんなことするんじゃない!」と泥をぶつけたら、サーと逃げたものの木陰でまたこっちの様子をうかがっている。

 野生のきつねを見たのは初めて。天竜区ではイノシシやハクビシンなどが畑を荒らして困るということをよく聞く。生産する側にとっては作物被害は深刻だ。農家の方には申し訳ないが、「きつね君、こんにちは」などと言ってしまいそうだった。

 最近、小学校の読書週間に椋鳩十の「金色の川」の読み聞かせをした。カワウソの親子の話。また、地域の高齢者サロンで新美南吉「ごんぎつね」を朗読する機会もあった。いずれも野生の動物と人との関わりを描く。きれい事ではすまされぬ現実だが、きつねに会えて何か得した気分の夕方だった。

2008年8月23日 (土)

団塊世代が団塊ジュニアの同窓会に出る

 中学校卒業後20年になる人たちから同窓会の案内が届いたので、もう栃木県に行くこともそうないだろう、最後かな?などと思いながら泊まりがけで出かけ出席した。風さんをショートステイにお願いして。

 成人式に出会っていた人もいたが、多くの人は20年ぶりの再会。当時の学級の雰囲気や事件などが話題となり、「どうしてあのときはそうなっちゃたんだろう」と振り返ってみる。かつては教師と生徒の関係だったが、この日はお互い大人として20年前の様子を「確認」した、という感じだった。未熟な担任だったと申し訳なさが先に立つ。なぐさめられたり励まされたり、結構不思議な感覚を得た時間だった。

 _6 8クラス300人を越す団塊ジュニアの学年で、当日は100名以上が集合、8人の担任全員も揃った。よく準備されたさわやかな同窓会、運営担当の幹事さんたちに感謝

 わいわいとよくしゃべり笑った3時間でした。

2008年8月 9日 (土)

スズムシが鳴いている

 昨日から、飼っているスズムシが鳴きはしめた。今も袋井の花火の遠い音をバックに「リーリーリリーン」と澄んだ音が聞こえてくる。あっ、もう一つ鹿島の祭りのお囃子の音も。

 立秋も過ぎたがいろんな音が聞こえる。夏でもあり秋に入ろうとしているようでもある。Dsc01595

 スズムシの幼虫を分けていただいて、わが家では40匹位のスズムシが成虫となって玄関に鎮座ましましている。一匹は脱皮の真っ最中、乳白色の殻を器用に脱ぎ捨てる。一匹は羽をしっかり立てて鳴いている。Dsc01593 Dsc01596

  しばらくはこの音色を楽しめそうだ。

 さて、お囃子。今日で60年に一回回ってくるという宮当番が終わった。宵宮の今日、最後のお勤め。新屋台も完成した西鹿島八幡宮のこれからの発展を祈りつつ。蚊遣りの煙がゆらゆらと美しかった。  祭壇に蚊遣り燻ゆれる宵宮かなDsc01592 Dsc01594  

2008年8月 5日 (火)

庭から見る花火

 2日はここ鹿島の花火大会、7時から9時まで北の空いっぱいに花火の花が咲く。子どもが小さかった頃、毎年この花火を見るため、最初は名古屋からその後は宇都宮からここに来た。夏休みの一大行事で、子どもたちは多くのいとこと共に花火を見た。いまは東京に住む子どもたちや親戚も花火の日には鹿島に集まってくる。

 天竜川の河川敷で行われるので、10分も歩けば会場で見られるがわが家の庭からバッチリ見られるので、 Dsc01542 昨年からバーベキューをしながら庭から見る。この2時間はわが家の祭りみたいなものだ。Dsc01534 Dsc01557 Dsc01558 Dsc01563

 風さんも短時間ながら庭に出てこられた。大切にしたい時間。

2008年7月18日 (金)

2年ぶりの再会・・・下野時代の友人と会う

 暑い暑い日、栃木県からはるばる友人二人が訪ねてきてくれた。2年以上会っていないので積もる話を、と舘山寺温泉に泊まった。お互いの現状及び周辺の様子などを話しているとすぐに時間が経ってしまう。3人とも仕事を離れて「年金生活」。何をして日々を過ごし、何を生きがいにし、どんなことに充実感を得、これからの目標が何でどんな新しいことに挑戦しようとしているか、等など話は尽きない。

 浜松は初めて、と言う二人をどこに案内したらいいか、考えて先ずは奥浜名湖遊覧をし、その後二俣で秋野不矩展を見た。ちょうど生誕100年記念の特別展が開かれており、私が住み始めた当地の自慢を紹介できてとても良かった。その後わが家にきてもらい、_8畑の様子を含めてこの2年間の私の奮闘ぶりをみていただいた。

 お互い健康に気をつけ再会を約して別れたが、懐かしく嬉しい時間だった。暑い中来てくれたAさん、Mさんに感謝。

 

 

2008年7月13日 (日)

千年の杉を探しに

 我が町浜松市天竜区二俣の地名がニュースになった12日。日本で一番暑かったのだ、37.3度

 こういう日は何かいい物を見たいと北へ。区内春野町に樹齢1300年という「春埜杉」があるというので車で向かう。気田(けた)川沿い国道352号線から東に折れ県道に、途中から春野山目指して林道に入る。クネクネした細い山道を登っていったのだが・・・・。途中落石があるわ山崩れの跡があるわ、だんだん心細くなって来たところに「この林道での事故に責任は負えません」との立て札。 

 多Dsc01427分あと数百㍍で山頂の大光寺につくだろう、と言うところで身の危険を感じ引き返してきた。そういえば屋久島の縄文杉にもずいぶん歩かねばたどり着けないと言うではないか、車で行こうとしたのがそもそもの間違い。県民だより6月号の表紙写真 を見て、「春埜杉に会いに行こう!」と単純に考えてしまったんだが。。帰り、秋葉山瑞雲院Dsc01425 に立ち寄り、歩くことを前提に再挑戦せねばと誓った次第。

 瑞雲院は15世紀末の開基、曹洞宗。きれいに整備された墓地には、犬居(いぬい)城主天野氏歴代の墓がある。

2008年6月29日 (日)

折り紙を楽しむ

 29日遠州地方に大雨洪水警報、畑にも出られずこんな日は台所で何か始めるに限る。先ずは「アロエ酒」を作る。昨日友人が届けてくれたアロエ、洗ってトゲを取り氷砂糖とともにホワイトリカーに漬け込む。砂糖なしで化粧水も作ってみる。ここまではいいのだが、飲む段、使う段になると・・・・。何年もそのままになりそう・・・。

 次はDsc01373机に向かってごそごそ。高齢者教室で季節の小さな色紙を作っているので、それを入れる色紙額を手作りしてみる。簡単にできるのでまた教室でおばあさんたちと作ってみよう。

 月に1~2回、公民館で折り紙を楽しんでいる。一昨日は講師先生による辛口Dsc01375の指導を楽しみDsc01377つつ、梅雨の様子や七夕、シャツDsc01374のポチ袋を作った。最後の写真は手ぬぐいとハンカチで作ったDsc01376法被。

  折り紙をしているときの会話。「折り紙作品を最初に考えた人はエライよね、私たちは真似するだけだけど」「真似してやるんだけど折り方を教えるってのは難しいよね」「教えるのもそうだけど、教えられて折るってのも難しい」。楽しいときだ。 

2008年6月22日 (日)

ターシャ・チューダーさんを悼む

 昨日の朝刊に、アメリカの絵本作家ターシャ・チューダーさんの訃報が載っていた。92歳。がーデングを楽しむようになって手を取ってみた著作、特に80代後半からの写真集や言葉に癒されてきた。

 「老いていく自分を慈しむ」「完璧なのは咲いたばかりの花ぐらい」などの言葉は、雨の日に本なんか読んでいるときにぴったり。

 手作Dsc01370りを大切にしたDsc01371人でもある。最近下手ながら、あれこれ作ってみたい私にとっては、お手本のような生き方だな、と思う。

 最もこんな文章もある。「みんな、わたしを理想化してみています。わたしも人間だということを忘れ、現実のわたしを見ようとしない。マーク・トウェインも言っているわ。”人にはみな月と同じように、だれにも見せない裏側がある”」。

  「わたしの若さの源泉は、想像力」とも言っている。最近「○○力」などと言う言葉が氾濫しているが、解説や評論ではなく、実際の生活から生まれた言葉で、ふと自分の生活に想像力があるのか、を思い返してみる。 

2008年5月11日 (日)

家族形態の違いが生活内容も変える

 4月から始まったつれ合いとの同居生活により、生活形態が変化した。風さんの介護は私の一存でほぼ生活が決められたのだが、日がな一日いっしょに生活するとなると、「独立した」相手であるので、「相手に合わせる」「自分だけの趣味に走らない」という、協調というか妥協が必要ということになる。

 ということで、映画館へは一度も行かず、お互い一応趣味が一致し折り合いのつく「展覧会めぐり」や「史跡めぐり」をすることとなった。先ずは市内北区井伊谷(いいのや)にある龍潭寺。彦根井伊家の菩提寺で国指定の庭園がある。東京お茶の水にある「折り紙会館」、次いで三島市佐野美術館での「吉澤章 創作折り紙の世界」展、静岡市登呂遺跡にある芹沢美術館。「一枚の紙を我が子のように慈しみ折る」吉澤折り紙には興味津々。さらに、静岡市にある県立美術館でシャガール展と、伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」を見る。

 その後私だけの個人的な趣味、折り紙を作成する。最近の作成物。武者人形色紙、兜、卒業女学生など。映画と食べ歩きはお預け。しかし、家庭内に複線の会話があると言うにはとてもいいことなんだ、と実感している40日間です。Dsc01261 Dsc01262 Dsc01263

2008年4月25日 (金)

炎のような虹を見た

 数日前夕方、わが家の東の空に写真のような虹が「かかった」。かかったというのはアーチのようになることだろうから正確な表現ではない。向かって左側だけに強い赤みを帯びた、まDsc01234るで炎が立ち上るような虹だった。よく見ると、その左に薄く二本の虹が出ている。

   Dsc01233多分大きな円弧の一部なんだろうが、初めて見る風景だった。こうした虹は結構見られるものらしく、いろんなブログにも紹介されている。

2008年4月21日 (月)

地域社会の「担い手」となる・・・回り番だけど

 遠州に来て2年だというのに、今年度はいろんな「地域の役割」が回ってきた。先ずは地域自治会の班長、当自治会は約600世帯、38班からなる大きな自治会だ。そして我が班は30軒からなる、これまた大きな班。

 宇都宮にいたときも自治会の副会長、子ども二人が小学校6年の時は育成会会長などはやったことがあるが、仕事を持っていたので、どうしても片手間になり最低ぎりぎりの仕事しかしてこなかった。今回は終の棲家となる地の自治会だし何せ新しいから仕組みも分からず、結構気を遣い張り切ってやることになる。4月に入ってすでに7回の回覧を回した。4年に一度回ってくる「椎ケ脇神社」の掃除も20日に済ませた。

 二つ目は60年に1回まわってくるという鹿島八幡宮の宮当番。年間5回の祭祀の準備と参加、月2回の清掃を行っている。

 三つ目は数年に1回回ってくる資源ゴミ当番が5月。月2回、15種に分かれたゴミの分別の準備や後片付け。

 回り当番だが、ともかく住む地の実情がよく分かるので結構楽しくやっている。これも仕事を持っていないから気楽にやれるというもの。

2008年4月14日 (月)

遠州と駿河・・・東西に長い静岡県

 静岡県は東西に長い。新幹線の駅でも熱海から浜松まででは1時間以上かかる。かつての国名は遠江と駿河。私がこの2年住んだのは浜松市だが、同じ県内でも静岡というと何か遠い感じがする。

 4月から10年以上にわたる単身赴任生活に終止符を打ちいっしょに住むようになったつれ合いと、この間あちこち小さな旅をしている。彼が中学・高校を過ごしたのが富士宮、と聞いて行ってきた。新幹線の新富士駅から身延線で行けば、と思っていたところ、降りてみて初めて知った。新幹線の新富士駅と在来線の富士駅は数キロ離れているということを。

 さてその富士宮、今は焼きそばの町として売り出しているが、何と言っても富士山登山の入口で麓には富士山本宮浅間大社がある。

 本殿は二層からなるとても美しい建物。Dsc01228_2 近くの湧玉池は国指定特別天然記念物で、溶岩の間から雪解け水がこんこんと湧きだしている。Dsc01229あちこちゆっくり歩いて最後はやっぱり焼きそばを食べて帰る。Dsc01232こしがあって花カツオがかかっている富士宮焼きそば・・・。静岡県に住んで初めて食べた。           

2008年3月26日 (水)

年度末・桜だより

 23日、東海道の脇道、姫街道の桜並木を、つれあいと娘と3人でゆっくり歩いた。つれあいが小学校時代を過ごした地、気賀。その頃の思い出を聞きながら桜の木を見上げる。つぼみは今にも開かんばかりに脹らんでいるのだが、花がなかなか見つからない。

 あった、あった。つぼみの中に一輪の花、しばらく行くと一本だけかなりたくさん花を付けている木を見つけた。Dsc01174いずれ全部咲くのだから、満開のその時を楽しめばいいようなものだが、こんなふうに咲いた桜をさがし、咲きそろうまでの過程を見ているのも、またいい。 Dsc01177                           

 元気はつらつ教室のある光明山(天竜区二俣町)の桜は、今日26日には満開に近い枝もあった。その桜が見える窓を背景に、年度末の写真をパチリ。腰にはみんなで作った紐の三つ編みベルト。

 「思い出のアルバム」のメロディに合わせて、はつらつ教室の一年間を替え歌で歌いさまざまDsc01180な活動を思い浮かべた。一年間、週1回の「仕事」として勤めさせていただいた。会員さんたち、社会福祉協議会の職員の人たち、ボランティアや講師の方々、そして主任さん仲間、これらの人から受けた情報や思いは、2年目の浜松生活をとても豊かにしてくれた。来年度も体操・手芸・おしゃべりなどに楽しい時を過ごそうね。  「~♪はつらつ仲間、いつまでも♪♪」。                                                                                                                   

2008年3月14日 (金)

命について考えた日々

 この一週間は、人の命について考えさせられた日々だった。自分の周りの世界が昨日までと違って見える、ということを経験した。つれ合いに重大な病気が見つかり告知を受けた。人が必ず死ぬことは自明の理であるしそれを予知することはできない。だから自らの命がなくなることを意識せずに、未来はズーと続くような気分で生活できるんだろう。

 限りある命を自覚せざるを得ない状況になったとき、考えることはひと様々だろう。最初は混乱して考えをまとめることもできなかったが、数日経って、嘆いてもふさぎ込んでも泣いてもその事実を変えることができないとすれば、その時までどう過ごすのか、を考えることが先ず第一、と自分に言い聞かせている。

 春雷に 目覚めし夫の 告知の日

2008年2月 3日 (日)

わが家の節分

 今日は立春の前日、節分。豆をまき鬼を退散させ、齢の数だけ豆を食べる。物心ついてからズーと続いている行事。Dsc01063 Dsc01064

 折り紙でその雰囲気を折る。豆に追われる鬼は可哀想なので、「追われても 僕らいっしょさ 家族だもの」と文字を添えてみる。

 今年は自家製の「恵方巻き」を作った。人参やキュウリなどが入ったヘルシーな太巻き。南南東の方向を向いてかじる。併せて柊の葉っぱと鰯の頭を鬼門の方向である北東の角にさした。Dsc01062 こんな遊びも楽しいもの。あとは夕食後「鬼は外 福は内」とやるのみ。 Dsc01061_2 

2008年1月21日 (月)

油揚げ(あぶらげ・あぶらあげ)あれこれ

 油揚げ、といえば新潟県栃尾市(長岡市と合併)のジャンボ油揚げが有名だ。また、宮城県定義山の三角油揚げもよく紹介されている。

 結婚して、つれあいの実家遠州に帰ると、お昼のおかずによく「おあげさん」が食卓に上った。地元のお豆腐屋さんが作っている、厚さ4センチはある油揚げを焼いて生姜醤油で食べるものだ。宇都宮に住んでからも、時々新幹線を途中下車したり高速道路を途中で下りたりしてこの油揚げを買い求め食べたものだ。

 50年以上昔、小学校の裏手に倉庫があり、そこでおじさんが鍋で油揚げを揚げていた。親から頼まれて油揚げを買いに行き、油のしみ出した新聞紙にくるんだ三角油揚げを持ち帰った記憶があり、油揚げには結構思い入れがある

 ここにDsc01049移り住んであの厚い油揚げがいつでも食べられる、と喜んでいたら、半年ほど前、そのお豆腐やさんが店を閉めてしまった。がっかりしていたところ、最近近くの野菜の直売場で店は違うがあの分厚い油揚げを見付けた。で、本日の昼食は中に納豆を挟んでのはさみ焼、熱々を生姜醤油で食べた久々の「おあげさん」、とてもおいしかった。

 

2008年1月10日 (木)

えさ台にメジロが来た!

 年末、小さな庭に鳥のえさ台を作った。最も、私は杭を打ち込むのを支えていただけで、実質的な作成者は、時々ご帰宅されるつれあい。Dsc01022

ミカンと餅米を並べておいたのに10日間は閑散としていた。板が白すぎたかなー、後ろにあるクロガネモチの赤い実の方がおいしいんだろうか、などと見ていたら・・・。

 今朝、ヒヨが来て、お昼にメジロが来た!Dsc01024

 ミカンの上に乗っかり、実においしそうに果肉をついばんでいる。途中、もう一羽が来て交代、30分近くご滞在遊ばした。鶯色の羽、白目にぽつんと黒い点。飛び立ったあとに早速新しいミカンを切って置いた。

 とりのなん子「とりぱん」(講談社)はわが家全員の愛読書。東京の子ども達が買って自分が読んでからわが家に届けてくれる。えさ台についても詳しい。似たもの家族。   

2008年1月 9日 (水)

今年は定年だね・・・ご同輩諸君

 新年の挨拶の数通は、私と同学年の人たちからだった。「今年3月からは自由の身です」、「いよいよ第二の人生です」、「市場原理の持ち込みで教育現場も様変わり、複雑な気持ちで退くことになりそう」・・・。

 一足先に定職から離れた私にとっては、ウン、これで同じ立場だ!とひと「安心」の気分

 団塊世代の退職の話題は日々事欠かない。起業したり資金運用に熱心になったり、ボランティアや地域活動をしたり、それを当て込んだ商魂もあちこちで見え隠れする。定年後も働く場合、「何のため」かハッキリさせて、との提言もある。

 言えることは、勤めているときは組織勝負、定年後、組織を離れれば個人勝負。どんな人生で締めくくるかは、個人勝負なんだね。

 10日に届いた寒中見舞い(この人も3月に定年だが)にこんな文章が、「昨年十月、郵政事業が民営となりました。これにより、本年をもちまして、年賀はがきによる新年のご挨拶を終えさせていただきます」。これもまた、一つの区切りの付け方か。

2008年1月 7日 (月)

年賀状のない新年?

 わが家は毎年版画による年賀状を出してきた。30年以上続くわが家の伝統行事、12月になると、図案を考え、版木に掘り、刷り、色を付け、宛名を書き、添えの文を書き、投函する、という結構面倒くさく時間のかかる作業を続けてきた。元旦に着くよう、最後の日は徹夜に近くなるときもあった。

 今年は12月始めに年賀欠礼の葉書を印刷して出した。今年は年賀状のない新年か、ちょっとつまらないな、などと思っていたところ・・・・。本日現在で百通を超える賀状が来た。

 で、お正月は返事書きに追われた。欠礼の葉書を受け取った方々の殆どからは、もちろんのこと年賀状は来なかった。年賀状をくださったかなりの方は、新年を迎えて様々な思いを書いてくださった人たちだ。だから儀礼的な印刷ではなく、いろんな文章を書いてきてくださる。勢い返事はそれに応えた文章で書くことになる。

 結構時間もかかったが、本来の「手紙」を書いた気分だ。これもまた良し。

2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

 Dsc01001 わが家の近くの高台へ愛犬「姫」の散歩に行き、そこで2008年元旦の初日の出を遙拝しました。今年一番の寒さでしたが、すがすがしい朝です。家族の健康と子ども達の幸せな生活、自分の生活が豊かであることなど欲張りなことを祈念しました。  枯れ野から 見下ろす如き 初日の出

 あけましておめでとうございます。今年も時々「山椒の実」にお立ち寄りください。

 昨年1月に父が亡くなったので、年賀状は欠礼し戸外のお飾りは遠慮しましたが、家の中の飾りとお節は例年のように作りました。Dsc01003 結婚以来35年間手作りお節を作ってきました。30日は一日台所に立ちっぱなし。お煮しめ・黒豆・昆布巻き・伊達巻き・たつくり・なますなど定番を始め20種位食卓に並べ、わが家伝統のお雑煮で新春を祝いました。子ども達が、「お母さんのやってきたわが家の料理のレシピを残しておいて欲しい」と嬉しいことを言ってくれたので、今年の一つの課題としようと思います

2007年12月24日 (月)

クリスマスイブに因んで

 12月24日クリスマスイブ、本日のわが家のようにどこにも出かけずテレビもつけず・・・というとイブの雰囲気は全くない。多分スーパーでは赤鼻のトナカイかジングルベルの音楽が響き、町ではケーキを買って帰る人があり、テレビをつければあちこちのイルミネーションや楽しそうな人々の姿が映し出されているのだろう。

 それでは、と言うわけではないが1週間ほど前に行ってきた「時之栖イルミネーション」の様子を写真で。Dsc00968 Dsc00970

 御殿場高原に300メートルにわたって繋がる光のトンネル。その中をゆっくり歩く。きれいなのだが・・・・けちを付けるつもりは毛頭ない、が、この人工的な大がかりな電気の催しに何か素直に楽しめない自分がいる。

 わが家でDsc00977は、小さな明かりに照らされた千両の赤い実を見ながらゆっくりすごす。

   脇役の 光に照らされ 実千両

     

2007年12月19日 (水)

毎月第三水曜が過ぎると・・・ほっ

 今の私にとって、月の第三水曜が一つの節目。「句会」があるのだ。俳句を5句作り提出しなければならない。「ちょっと俳句でも」と始めて1年、句作は苦作、四苦八苦の末一応それらしきものを作り参加する。内容はともかくこの日が終わると「ほっ・・・ほっ・・・」。

 その場に行って元気よく活動すれば良い、その他の多くの趣味やボランティアはある意味では気楽だ。だが、この句会だけは違う。この日が近づくと「机に向かって考えなくちゃー」という脅迫観念が働く。何とか乗り切って本日もまた終了。

 で、今日は開放感いっぱい。正月まではひたすら趣味、年末の仕事、新年を迎える準備にいそしめそうだ。こんなに開放感を与えてくれる俳句だ、あと2年間は頑張ってみよう。人にとってこうした節目はとても大切なことだ、と思う

 因みに本日の五句  始めの2句以外は「要再考」    

 湯湯婆に足乗せ姑の寝顔かな   土器に新嘗祭の濁酒かな    ひとつ木に赤黄緑のもみぢかな  冬ざれや畑に野良猫逆毛立て 冬の暮外科待合の腰談義  

 

2007年12月10日 (月)

佐野洋子さんのエッセイから

 絵本作家でエッセイストの佐野洋子さんが、新潮社の読書雑誌「波」に掲載していた「シズコさん」というエッセイが今月最終回だった。24回2年間にわたる連載。

 絵本「100万回生きたねこ」は何回か読んだし、年齢は私より10歳ほど上だが、還暦を迎えた頃のエッセイ「神も仏もありませぬ」は結構面白く自分の問題として読んだものだ。「私にとって六十とはついに来たかどんづまり、人生の山場の尾根まで登って、あとはころがり落ちるばかり死の谷に向かって立っているとしか思えなかった」と後書きにある。この文章を半分はうなずいて半分は否定している私だった。

 さて、エッセイのシズコさんとは彼女の母親、9歳で関東大震災を経験、結婚し北京で生活、終戦後引き上げその間3人の子供を失う・・波乱に満ちた人生の終末は「呆けて」施設に。そこで娘の佐野洋子さんが思い出と共に認知症になった母親を語ったエッセイだ。

 佐野さんは乳ガンの再発が骨に来ている、という。呆けてしまったお母さんの死、介護しているときの様々な思い。自分とは違うが似ているところもある、印象に残ったエッセイだった。

2007年12月 4日 (火)

「喪中年賀欠礼の葉書」雑感

 12月に入り「喪中年賀欠礼の葉書」が郵便受けに入ることが多くなった。すでに20通を超した。という私自身も、1月に逝去した父の葉書を出したばかりだ。義父、母に次いで3度目の欠礼。毎年、植物の版画の賀状を出していたのだが、今年はその作業もしない年末となる。

 年々この年賀欠礼の葉書が多くなる。以前は祖父母、父母の喪中が多かったが、今年くらいから私自身に直接関わる方々の連絡も来るようになった。そういう年齢に至ったということだ。「あと10年は仕事をしたと思いますが、いつ中断しても不思議でないところまで来ました」というお返事もいただき身につまされることだ。

 この年賀欠礼の葉書にきちんとお返事をくださる方もおられる。自分自身は、「ああ、これは年賀状を出さない、という通知なんだな」程度にしかとらえていなかったのだが、こうしてお返事を書く人たちがたくさんおられるんだ、と今までを反省することしきり。

2007年12月 2日 (日)

日々流されていると文が書けない

 ここ3ヵ月ほど、このブログへ書く文章がなかなか浮かんでこなくなった。高齢者クラブの仕事を軸に、いくつかの趣味の会合に出かけ、その合間に畑仕事と風さんのお世話と日々が何となく過ぎ、生活にメリハリがない。ストレスはほとんどなく、こんなに「安楽」でいいんだろうか、と自問自答したりしている。今さら人生の大きな曲がり角、事件など経験したくもないが、確かに日々流されているな、と思う。

 何か考えて文を書こうとしても、感動、刺激といったものが感じられない。本をじっくり読んだり物事を深く考えたり、という時間がほとんどなく、ただ体だけ動かしている。退職・転居と環境が変わったことによる新鮮な気分が薄らいできた、ということなのだろう。

 12月、一つの区切りをつけるときかもしれないなー。12月1日でブログの総アクセス数2万を通過。

 

2007年11月26日 (月)

神社の新嘗祭・・初体験

 こちらに移ってきて2年目の今年、地域では60年に1度回ってくるという「宮当番」に当たった。この地域の「鎮守・産土神」である鹿島八幡宮の清掃や祭事の準備をし参加するものだ。

 自分の信ずる宗教のある場合は、もちろん信教の自由が保証されているので、この当番に加わらない人もいる。私は、といえば然したる宗教もないので、当番としての仕事をしている。

 25日は新嘗祭、新穀感謝祭だった。社殿を清掃し祭具を湧き水で洗い御餞米・塩を盛る。神主さんの指示により、玉串奉納など祭事の後、新嘗祭御神酒で直会(なおらい)を行った。初めて体験することは何か楽しい。地域でズーと続いてきた習わし、若い頃であれば目くじらをたてたような気もするが、今は正直何の抵抗もなく参加したことだ。

  友ときて 新嘗祭の 新酒かな

2007年11月22日 (木)

おいしいものはホントにいい

 今日、手打ちのそばをいただいた。細く切られて見た目もよく、容器を開けると蕎麦の匂いがぷーーん。聞けば昨日いただく予定だったとのこと、昨日だったらもっとその香りをかぐことができたに違いない。

 自宅に帰ってお湯を沸かし、一人分を40秒ゆでる、すぐに冷水で洗い氷水でしめる。つゆを2分の1くらい付けて食べる。うーーーーん、遠州にきて一番おいしい蕎麦の味だ!

 下野で「蕎麦の実研究会」に加えていただき2年ほど学んだ。ここ毎年、年越し蕎麦は手打ちだ。昨年、畑に蕎麦を栽培し蕎麦粉を得ようとしたが、蕎麦の実を2升収穫したのみで粉にする所まで至らなかった。石臼とふるいを購入するのに躊躇があったのだ。

 人はおいしいものを食べると本当に幸せな気分になる。夕食はこの蕎麦のみ、もちろんビールはついていたが。今年の年越し蕎麦、どこで蕎麦粉を入手するか、また当地でいろいろ聞いてみよう。師走もすぐだ。

年忌雑感

 18日の日曜日、舅の27回忌、その父母(私にとって義理の祖父母)の50回忌を行った。菩提寺のあるここ遠州に戻って1年余、風さんの元気なうちにと直系の血族に声を掛けた。

 風さんには、子ども5人、孫12人、曾孫7人がある。当日はわが家を含めて26人が参集し、菩提寺本堂での法要後会食、その後全員がわが家を訪れ、ワイワイガヤガヤと歓談した。風さんは真ん中にドンと座り、にこにこ周りを見回していた。まるで、「わたしがこの人達を作ったんだ}とも言いたげに

 菩提寺は日蓮宗、私の生家は曹洞宗である。今日集まった人たちの宗派もそれぞれで、中には仏教以外の人もあるだろう。様々な人々がわが家の宗派、日蓮宗のお経や説教を聞く、ということに少し違和感を覚えた。年忌そのものが仏教からきているのでやむを得ないが、一番大切なのは、その家に関わった人たちの過去と未来を、集まることによってDsc00923感ずることなのではないか、と思った。

 子・孫・曾孫(ひこ) 年忌に集い 秋の虹   

 写真はわが家の庭から東の空を見たところ。当日虹がかかった。  

2007年11月16日 (金)

陶芸展の端っこに初めての出品

 始めて半年、陶芸教室の展覧会があった。生徒は60数名、もう10年選手もいれば私のような全くの初心者もいる。一人前に展示をさせていただき、じっくり他の人の作品も鑑賞できた。

 どうやって形を作るか、色を出すか、模様を作るか、などについて話をしながらひとつひとつを観ることができるのはこうした機会だ。  Dsc00854Dsc00857Dsc00868

 最初の写真が私の花器、最も先生に手伝ってもらってつくったものだが。作品をのぞき込んでくれる人もいて、自分の作品が展示されているのを見るのは不思議な気分だった。学校などで、「発表の機会の大切さ」が言われるが、参加者にこの気分のを味わわせることを言っているのかもしれない。

2007年10月31日 (水)

西陣織のような軽井沢の紅葉

 この土日に軽井沢に行く機会を得た。野州時代の友人とのおしゃべりと散策のために、風さんをショートステイ、姫をドッグホテルに預けての参加。

 先ずは紅葉の様子を写真でご覧ください。軽井沢の雲場池。説明の言葉はいらないが、写真を見た風さんが「金襴緞子の帯締めながら♪♪~」と歌い出した。そう、まるで西陣織の帯のような風景でした。久々のゆったりした時間、命の洗濯の時間でした。 Dsc00833 Dsc00830_2 Dsc00836 Dsc00838

2007年10月26日 (金)

ゆとりだらけの姑・貧乏性の嫁

 人の性分を表現する言葉はたくさんある。元気、陽気、楽天的、ポジティブなどのプラス面の表現に対して、陰湿、暗い、ネガティブなどのマイナス的な表現。人の性分などは一言で片付けられるものではないが、我が性分の一つは「貧乏性」であるとつくづく思う

 広辞苑に、貧乏性とは、「ゆとりのある気分になれない性分」とある。今週はその性分が「遺憾なく発揮」され、バタバタと忙しく、家事もおろそかになり畑へも全く行けなかった。ブログの記事も1週間のご無沙汰。

 風さんのお世話の間をぬって、月曜から、ヘルパー研修、老人クラブでの交通遺児作文の朗読、小学校での読み聞かせ、高齢者クラブ、陶芸などと続いた。その場に行くだけでなくそれぞれに準備や練習、まとめの文章書きがあるからいよいよ時間がなくなるわけだ。あたふたしている私を見て、風さんは、「私の父親はゆとりのない性格はダメだと言い、舅は時間を惜しんで働かねばダメだ、と言った」とつぶやいている。一日中なーーんにもせずソファーに腕組みをして座ってばかりの姿勢のままで、である。この嫁(私)と姑(風さん)も実に対照的だ。

2007年10月19日 (金)

六十の手習い・・・トホホ

 毎日毎回が初心者、手習い、一番下手、「劣等生」・・・の連続

 陶芸やれば、ろくろを回してもまともな形にならない。他の皆さんはすいすい作られているのに。いっしょに初心者だった人にも追い抜かれて。

 句会に参加すれば、表現力がなく他に人たちの句作に感心するだけ。どうしてこういう表現ができないんだろう、と考え込む。

 絵本の読み聞かせをやれば、早口になってしまったり演技過剰になったり、どうしてもっと自然にしっかり表現できないだろう、と後悔。

 トホホ、の毎日だが、60歳の手習いはこんな事でめげてはいけない。いままで全くやっていなかったことに挑戦しているんだから。そう、先ずは3年間、こうした状況を楽しんで「耐えなければ」

2007年10月10日 (水)

思い出せない!!!

 エー、これって何だったっけ? あの人の名前は何だったけ?・・・

 多分そんな思いは誰にでもあるだろう。だが、今日の「思い出せない!」は結構強烈だった。

 仏壇に花壇から花を取ってきて供えた。その花の名前は絶対に知っていたはず。種から育てて近所の人にも説明していたんだから。でも全く思い出せない。確か日本の漢字表記だったよな、このかさかさした紙みたいな感触に関係する名前だったような気がする、この花の種の説明書があったはず・・・など手がかりを何とか思い出そうとするのだが全く手がかりがつかめない。インターネットの「花の名前調べ」でたくさんの写真を見てみるが出てこない。その間2時間!もやもやのままに説明書を見付けた

 その花の名は、「帝王貝細工」、そうだよそれだよ。

 義父の27回忌法要の通知文を作る。法要の後の会食の場所、姿も位置もすべて思い出せるのにその料理屋の名前が出てこない。

 マッチがあったよな、その店でもらった。あったあった、その料亭の名は「納涼亭」

 こんな事が続き、自分の脳の老化を思いっきり突きつけられた。かなりのショックだったが・・・。

2007年10月 8日 (月)

1200度の世界

 陶芸教室に通い始めて5ヵ月余、たたら作りの皿や手びねりの植木鉢(多肉植物用)、茶碗などを作って来たが、今回初めての「釜焚き体験」をした。薪を使った焼成釜をもっている陶芸教室も多いが、私の通い始めた教室もその一つ。敷地内にある煉瓦作りの釜で焼く。

 10月5日の夜、火を入れ3日間燃し続ける。7日の日中が私の当番で3人で5時間担当した。温度はすでに1200度。センサーの示す温度の上下を確認しながら薪を入れる。ほぼ3~5分間隔。釜を開けたとき保護眼鏡をかけて中をのぞかせたもらった。

 幻想的だった。黄色というか白っぽい炎の中に、まるでスリガラス細工のような陶芸の作品が並んでいた。この炎の中で自然柚の作品が生まれてくる。楽しみだ。

 「どんど焼き」や山のボロ炭焼など、炎や煙を目の前で見守った小さい頃の体験を思い出した。炎と熱と煙、そして温度を保ちながらのおしゃべり、今までに体験したことのない時間だった。

2007年9月24日 (月)

秋の味覚・・いただきもの

 Dsc00790Dsc00791 お彼岸の施餓鬼供養に行く。そこでお知り合いからいただきもの。たくさんのスダチと栗。

 栗は本日栗ご飯の予定。

スダチはどうするか。くださった人は、「朝、温かいご飯にスダチをかけてジャコとしょうゆを入れ、さっと混ぜてのりでまいて食べる」という、大胆なヒント。早速やってみるとけっこうおいしい。故郷恵那からの新米だったから一層おいしさも増す。新鮮で「和風」の酸っぱさがなんとも言えない。

 ドレッシングや蜂蜜といっしょにジュースとしても使えるが、私は焼酎に入れて「スダチサワー」としよう。畑の大根、カブ、はくさい、タマネギなどの種まきも一段落。料理を考える余裕も出て、一応暑さも彼岸までで、いい季節が来たなー、と早朝の深呼吸。

2007年9月 8日 (土)

おはなし会の絵本の選択

 地元の図書館で「お話しポケット」読み聞かせを行った。幼児から低学年の子ども達が集まった。読む本は事前に図書館で借り、少し練習もした。

 我が子が結構面白がったという経験から、最初に昔話絵本の「うまかたやまんば」を読んだ。途中一人の子どもが席を立った。後で聞いたら「怖かった」とのこと。そんなに臨場感あふれる話し方ではなかったし、うまかたがやまんばに追われる場面は意識して淡々とやったつもりなんだが、子どもを怖がらせてしまった、ということが結構こたえた。これで本嫌いになることはないだろうし、お母さんもいっしょに聞いていてくれたからフォローもでき、そんなに気にすることもなかろうが・・・。

 他の本は結構明るく楽しいものにした。昔話には見方によっては「残酷」な場面もある。「読み聞かせ」の本の選択、考えさせられた日だった。

2007年9月 7日 (金)

60歳を過ぎて働く、ということ

 今、受講している「ヘルパー2級取得講座」に参加しているのは、65~59歳の人たち18人、6回目ともなれば前歴や現況も徐々に分かってきて、お互い話も弾む。

 会社の取締役、主婦、ブラジル帰り、定年退職、これから稼がなくてはならない人、自分の老後を考える人・・・様々、そんな人たちとの出会いができるのも楽しい。

 還暦過ぎて何かやろうとしてしている人たち、そうだよ、60歳になったから隠居、自分の楽しみだけに生きる、なんてのももったいないし、前歴で天下りするのもつまらない。

 還暦過ぎて、それまでの経歴に関係なく「自分の力のみで未来を開こうとしている」人たちとの出会い、そう、これから今までと全く違う世界を生きる楽しみがある。

 それにしても高齢者を対象にした産業、これはもうけ主義では絶対いけない。損をしてでは続かないが、仕事として成り立ちその意義を十分感じて仕事ができる人々の集まりでなくてはいけない。そんな思いを痛感する日々。

2007年8月19日 (日)

愛犬・姫の額には・・・

 Dsc00745 Dsc00752最近、わが家の姫の額に、くっきりと星印が見えるようになった。忍者はっとり君の「シシ丸」にもこんな印があった記憶がある。

 ハリーポッターの額の傷の秘密はまだ明らかにされてはいないし、昔見た大川橋藏の月形半平太にも額に傷があったようだが、もちろん姫とは全く関係ない。

 ハート印の模様を持ったキリンや猫が、雑誌などの話題になっているようだが、星形ではだめかな?最も今度シャンプーすると取れちゃうかも。ホントに暑い日の戯言でした。

 

2007年8月11日 (土)

氏神様の世話人

 地元の氏神様八幡宮の世話人は、氏子の間を60年に一回、回ってくる。今日8月10日の宵祭りからわが家がご近所の5軒とともにその役を担うことになった。もちろん初めてやる人ばかり。

 総代さん達の指示を受けてお社の清掃や祭祀用具の準備をする。祭祀の流れや玉串の作り方、玉串拝礼、その後の直会(なおらい)など、長く続けられている作法に参加。

 地域に入るということはこういうこともあるんだ、と改めて実感。

2007年8月 9日 (木)

蜂刺され・後日談

Dsc00719 積んであった古木の一番下に、アシナガバチがこんな巣を作っていた。その巣を、古木を片付けていた私がガタガタ揺るがしたのが蜂が怒った原因。右手5カ所、両足太股に3カ所刺された。

今も痛痒くあちこち腫れている、今回のことからの教訓

・蜂に刺されたらどうするか、先ずは刺されたところをよく洗う 状況によっては病院へ行く。必要に応じて救急車

・刺された当初より、翌日や翌々日の方が腫れがひどい かゆくても絶対掻かない 

・病院に行くまで患部をいじらない(毒を出す、ということもあるが、刺された部分をいじると毒を広げる、とは私がかかった医者の言。実際毒を出そうといじった部分の腫れがひどかった)

・畑などで蜂に遭ったら、近くに巣があると考え気をつけて行動する。

 巣は近くで造園の仕事をしていた方に頼んで取ってもらった。「8カ所も刺されてよく生きていたね」と言われた。蜂を侮ることなかれ

2007年8月 3日 (金)

梅干しをつくる

 梅干しだの味噌だの、小さいときからもちろん自家製で育った。しかし私自身の家庭では作ったことがなく、いつももらったり買ったりしてきた。遠州で知り合った人から青梅を沢山いただいたので、今年はいろんな物を作った。梅酒、梅シロップ、梅味噌そして梅干し。6月中旬に漬け込んだ梅を、7月末から3日間土用干しで日に当て、最後の日は夜露にもあてて赤梅酢にくぐらして瓶に収めた。  

 なぜ最後の日は夜露に当てるのか、赤梅酢をいっしょに日に当てるのはなぜか、など毎年やっている人にとっては自明の理も、初めて作る者にとっては ?。ともあれ、還暦にしてようやく「日本の伝統食」・梅干し作りをなし終えた。伝統食とは言っても、梅干しの歴史をネットで調べれば、梅は奈良時代以前中国から伝来、当初は燻製・薬用として、シソを使って色や味を出したのは江戸末期から、などの蘊蓄を傾ける記事は多い。そうか、今のような梅干しになったのは結構新しいことなんだ。シソはよく干してすり鉢ですりゆかりにした。 Dsc00676 Dsc00677

2007年7月24日 (火)

久々の歌舞伎鑑賞

 数年ぶりに歌舞伎を鑑賞した。アクトの松竹大歌舞伎。舞踊「玉兎」、「仮名手本忠臣蔵祇園一力茶屋の場」、「太刀盗人」の3つの出し物。

 私が生まれた美濃の村には「芝居小屋」があった。秋の取り入れが終わると、家族で、きのこの煮付けの入った弁当を持って「枡席」で鑑賞したものだ。スルメかおでんかの匂いとともに幼い頃の思い出である。歌舞伎は村の青年団が中心になって演じていたように思う。そのせいか、歌舞伎を見るのが好きだったが、浜松に移って東京の歌舞伎座がずいぶDsc00654ん遠くなってしまった。 

 写真はその記念に買ってきた隈取りの手ぬぐい。実は高齢者クラブで「やらまいか」体操をやっているので、その「まいてぬぐい」。明日早速使う予定。

2007年7月14日 (土)

初盆での出会い

 父の初盆で故郷恵那に行ってきた。今年は隣保を含めて私の関わる初盆が6カ所、夫と手分けしてお参りし、自宅に帰っている故人達との出会いをした。

 お盆は日頃疎遠になっている親族と久々に会うことができる機会だ。故郷では6人姉妹全員が集まりおしゃべりに花が咲いた。昭和8年から24年までに生を受けた私たち姉妹も、徐々に仕事をリタイアしそれぞれの趣味や家族の世話に生きている。今後どのような生活をして、どういうふうに生を閉じるか、誰も分からないことではあるが、お盆だからそんなことも考えたり話したりする。Dsc00633

 そしてもう一つの出会いがあった。座敷に左の軸装した絵が掛けてあり、落款に「露波」とあった。趣味で日本画を描いていた父の絵である。はじめて見た絵だ。「ふーーん、こんな絵も描いていたんだ」と姉妹一同感慨深げに見入ったもの。色紙などに植物の絵をよく描いていて、わが家の壁も飾ってくれているのだが、この絵をいつ頃どんな気持ちで書いていたんだろうか、と聞いてみたが、お位牌や写真は何にも答えなかった。

 

2007年7月 4日 (水)

七夕まつりをする

 「ささの葉さらさら♪♪・・・」、誰もが歌った歌。今、七夕といえば、幼稚園・保育園・小学校低学年、そして高齢者クラブや老人ホームの話題だろうか。

 折りDsc00622紙に興味を持ってかDsc00623ら、特別こDsc00624の行事に関心を持つようになった。(写真:左2つ) もちろん、子どもが小さい頃は、毎年家族で笹飾りを作ってきたが、子どもが大きくなってからも、実は細々、自分だけの笹飾りを作ってきた。今年は、当地の高齢者クラブのお世話していることもあって、堂々と笹飾りを作った。写真は居間に飾られた笹飾り。高齢者クラブの笹飾りのために、撚った「こよDsc00614り」は実に200本、しかしこのことについては反省が必要。一応「こより」は作ってはおいたが、3枚ほど高齢者の方々にやっていただいたところ、実に丁寧に作られていた。「昔取った杵柄」、こよりを撚る高齢者の顔は真剣そのもの、事前に私が作っておくのではなく、全部、高齢者に作っていただければ良かったなー。   

2007年7月 1日 (日)

体力を維持するには

 日中結構ハードな肉体労働をする。畑にはびこる笹やヤブカラシをやっつけ土を耕す。多分今、私の処理能力を超えた仕事量があるのだろう。労力を使うことは全然いやではない、汗だくになって力一杯鍬を振り下ろし根っこを断ち切るなどは、一種の快感でもある。しかし如何せん、体力が続かない。2時間もすると体が動かなくなる。

 体力の衰えを感ずるのは、人によって違うが、私の場合は40代の後半だった。走ると息が上がる、肉体を使った仕事を1日すると疲労が翌日に残る、等といったことが自覚された。60歳になると、肉体労働の持続時間が2時間程度になった。体には十分気をつけてはいるが、生理的な衰えは如何ともしがたい。

 持続可能な発展、等という言葉もあったが、今の自分の課題は、持続可能な肉体労働ということになる。そのために、自身の限界をしっかり自覚し、快眠快食を心がけ精神の健康維持にも努力しなくては。

2007年6月30日 (土)

自分のやっていることだけでなく、風景を詠む

 初心者の句会に1ヵ月1回参加する。5句作っていく。月の第三水曜日に行うので、「三水句会」という。句会の先生に、「身近なところに句材を見付けて詠んでいるのは良いが、自分のことばかりを読むのではなく身近な風景を意識的に読んでみてください」と評をいただき、初めて気付いた。

 母の粥煮ゆる間の草むしり  茄子植えて根元にふはり藁を置く 

 ペチュニアの切り戻せしを畑に挿す 草引きに句作の材を見付けおり

 今回出した句、すべて自分のやっていることを詠んでいる。そういう傾向にあることを、指摘を受けて初めて気付いた。

 で、今日暑い中、汗びっしょりで畑仕事をしぼんやり周りの風景を見る。梅雨の合間の青空、ツバメが何回も旋回する、トマトの匂い、伸びるキュウリ苗、美しいウグイスの声・・・でも5・7・5にならない、身近な風景を詠むにはもう少し修行が必要だ。

2007年6月27日 (水)

機械「音痴」のため・・・録音もできない

_15  近くの小学校が、今読書週間で、朝15分程度本の読み聞かせを要請していたので、私の属する団体が一部を受け持つことになった。私も、創作民話を読もうと少しづつ準備中。一度自分の声を録音してアクセントなどをチェックしようと、レコーダーにテープを入れ朗読してみた。が、録音できない。ミキシングマイクがないとだめのようだ。以前から使っていたのはすぐに録音ができたのに・・・。メーカーのセンターに問い合わせをする。   最近のは、ボイスレコーダーなどに取って代わられて、音声をすぐには録音できないのが多いらしい。そこで、マイクを買ってきたが、今度はそれがあわなくてまた返品に行く。ホントにモー、という半日でした。

2007年6月10日 (日)

五千万分の1は私

 社会保険庁年金記録の話題が沸騰している。五千万件・・・想像を絶する数字だ。58歳の時、社会保険庁から連絡を受けた年金支払い期間、私の場合10年足りなかった。尾張で勤めていた期間が合算されていなかったのだ。早速社会保険庁に電話を入れたが、60歳になって手続きするとき申し出れば大丈夫と言われてそのままになっている。過日めでたく還暦を迎え、早速手続きをとったがまだその返事が来てない。

 今、ごった返している役所に行く気はないが、通知を受け取り次第しっかり見直して確認せねば・・・・。数年前、友人が社会保険事務所に手続きに行った際、「こういう手続きは1回きりで済むと思ったら大間違い」と言われたと怒っていた。もちろんこれがすべてではなく多くの職員は誠実に仕事をしておられるだろう。ただ、一事が万事ということもある。ぜひしっかりした仕事をしてもらいたいものだ。

2007年6月 7日 (木)

久々に8時間働いて・・

 火・水と、1年ぶりに「フルタイムで働いた」。朝8時に家を出、社会福祉協議会で勤務し午後6時半に帰宅する。当然ながら普段毎日している、風さんのお世話、犬の散歩、花の水やり、畑の世話などが最低限の内容となり、自身もどっと疲れた。35年間ずーっとやってきたことなのに、体を使って仕事に集中し報酬を得るとは、こういうことだったのか、と改めて感じ入った次第。山ほどある家の仕事をさておいて外へ出るのだ、と。

 Dsc00515 写真は5月末衣替えDsc00516前の我が花壇、春の花と夏の花が混じっている。花いっぱいにしておくためには、実に時間がかかる。次に植える花の種が、早く花壇に植えてよ、と苗床で芽を出している。畑の里芋、ナス、人参の水やり、トマト、キュウリの世話も心配。そして風さんの世話を他の人にお願いしての仕事。

2007年5月31日 (木)

ペットを飼うこと

 Dsc00513 愛犬「姫」は今、写真のような姿をしている。後光がさしているのではなく、避妊手術のためお腹を切り、4㎝位縫ってある。手術跡をなめたり噛んだりして化膿することを防ぐため、抗生物質を服用するとともにこうした「笠」をかぶっている。これが「姫」にはいやだと見えて、とにかく噛んだり引っ張ったり、首を振ったりして何とか取ろうとしていたが、最近はあきらめたようだ。

 ペットを飼うときこうしたことはやむを得ないことなんだろうか、という自問もあり、姫には申し訳ない気もするが、野良犬などもいるのでこの処置に踏み切った。人間の勝手には違いない。姫チャン、明日はこの被いがとれるよ、10日間、ホントに悪かったね。

2007年5月30日 (水)

1年経って気付いた恥ずかしい話

 同じ班内のお葬式に隣保で手伝いに出た。先月に続いて2回目。班長さんの差配により私は4人で火葬場へ行き、親族の方々のお世話をした。その時いっしょだった方と話していて初めて知ったこと、1年前ここに引っ越してきて、挨拶のご近所周りをしたが、28軒あるお家にうち1軒をとばしてしまったようなのだ。挨拶に来たか来なかったかで、その当時ちょっと話題になっていたらしい。でも、直接そんなことを忠告してくれる人もなく、1年以上経ってしまったというわけ。

 「人生には感動も数多くあるけれど、恥ずかしいことも同じくらいたくさんある」とは、村上春樹のエッセイ「村上ラヂオ」の一節だが、ホントに恥ずかしかったし失礼してしまった思いで赤面した。お葬式の場で改めてお詫びをした次第。ご近所の地図をメモで書いてくださったのが、今日のお葬式の故人であったことを考えると、何か因縁めく。

2007年5月27日 (日)

淡竹を味わう

Dsc00511  ご近所の方が、朝早く採ってきた、と淡竹(はちく)を届けてくださった。早速インターネットでレシピをさがし、CHIROKOさんのを参考に作ってみた。ジャガイモとグリンピースは我が畑の収穫品。写真をクリックしておいしさを「見て」ください。季節の味を堪能した。

 ここで好奇心というヤツが・・・。何で「」竹なんだ?竹は日本に人が住む前にすでに自生していたというがその時の竹は?現在日本で一番多いのは孟宗竹だがこれは近世になって中国から移植された、と聞いたことがある。そんなことを考えながら、昔、古本屋で買った岩波新書「竹の民族誌」(沖浦和光著)を斜め読み。呪具として、生活用具として、また芸術の素材として多く用いられた竹の歴史や民俗をかじってみた。

 「淡」とは「苦からず」のこと、と日本国語大辞典(小学館)が引用していた。そう、とれたてのハチクはアク抜きが必要なくそのまま煮ても「えぐみ」がなくすっきりした味なのです。

 

2007年5月22日 (火)

パラソルの下の姫

 だんだん日差しが強くなってきた。わが家の愛犬「姫」は柴犬なので、暑さには弱い。昨年わが家に姫を迎える時、業者の方に、「この子犬を暑さの中で2時間おいたら死にますよ」と言われてビックリした事を思い出す。犬なんて<ゴメン>、外にほったらかしで大丈夫、とDsc00490思っていたのはDsc00489大きな間違いらしい。

   で、パラソルを設置した。最初は警戒していた姫も今は写真の通り。ご近所の皆さんに「やっぱりお姫様だねー」と言われている。犬も食わない犬好きの、のう天気なお話でした。

2007年5月17日 (木)

アラカルトかコースか

 レストランに行って料理の注文をどのようにするか、コースを選択してレストラン側の流れに沿って味わうか、好みに応じて献立表から選んで注文して味わうか、私は断然後者が多い。いろんなものをあんまり系統性なく味わうのが好きだ。

 生き方もどちらかといえば「アラカルト」風。つまみ食い的で、「おいしそう」とみればいろんな事に目を向け、手を出し、口も出し、足も出してきた。この1年間のブログ「山椒の実」はその記録だ。ちょうど1年経って、ブログに書こうとする内容が減り、というより書くより動くことが多くなり、深まりというか系統性なくとりとめもなく広がってしまった、という感じだ。

 そこで、自分に制約を課すことにした。文章は写真も含め400字詰め原稿用紙1枚分、40字×10行とする。大岡信の「折々のうた」ではないが、そのために語句・文章を推敲する努力をして表現の「勉強」の場にし、カテゴリーにある内容を深める。以上丁度1枚分!

2007年5月13日 (日)

二鉢のカーネーション

Dsc00478  相次いでカーネーションの鉢が宅急便で届いた。子どもたちからだ。感謝。居間の机に二つ並べ、風さんと二人で「母の日だねー」と話す。「母」ということについてお互いそれ以上に話す内容はない。今日は朝からズーと二人で居間にいるが、私はパソコンや手紙書き、風さんはソファーに座り専ら「黙想」。朝日新聞「天声人語」によれば、カーネーションの代表的産地は愛知県の一色町だという、今は実に多色だ。

  母の日や 母たりし日は 遠ざかり

2007年5月 8日 (火)

そんなに「忙しがらなくても」・・・

 浜松市中央図書館で「なかよし館読み聞かせボランティア研修会」が行われるとの案内をもらって、午前中参加した。今、読書の分野では、赤ちゃんから本に触れてもらう、いわゆる「ブックスタート」に力が注がれている。なかよし館は、乳幼児や小学生が自由に来て遊ぶ場だ。そこで行われる読み聞かせや手遊びなどを、ボランティアが行っている。その研修会だったが、私がお手伝いできそうな時間や場所が見つからなかったので早めに帰ってきた。で、思ったこと。

 「そんなにいつも忙しく動かなくってもいいんじゃないの」、「なにをそんなに忙しがっているの?」。なにかできることはないか、といつもキョロキョロしているような気がする。もっとゆっくり、ホントにしたいことをする時間の過ごし方をしなよ、と自問した日でした

2007年4月26日 (木)

祝 浜松生活一周年

  昨年の4月22日、宇都宮から浜松に移った。車いすや福祉タクシー、新幹線の「個室」などを使い、全く歩けない風さんを5時間かけて連れてきた。引っ越しの荷物が全く片付いていない中で、新しい生活の出発。それから1年

  私自身の今後の目標もハッキリして、風さんも少しなら歩けるようになり、友だちもでき、犬も飼い、野菜や花や木々に囲まれ、ささやかながら「職場」も得た。ほんとにいろいろあった1年間だった。

 2年目に入った今、手がけている様々な趣味・ボランティア・仕事についての勉強などを一層深めていくことだ。自分の周りのことだけでなく少し視野を広げて、このブログももう少しましなものにしていこう、と思っている。

 

 たった今、この「山椒の実」の累計アクセス数は12345になりました。いい数字!

2007年4月19日 (木)

家庭で「山菜定食」

 畑にナス・トマト・ピーマン・海老芋の苗を植えた。種まきセルに、枝豆・ツルなしインゲン・キュウリの種をまく。こうした作業をしていると、通りかかったご近所の人から声が掛かるKosiaburame

 Aさん:知り合いから手作りこんにゃくを沢山いただいたの、もらってくれる?

 Bさん:主人が山から「コシアブラ」をとってきたの。天ぷらにしない?

 写真はコシアブラの芽、ちょっと苦みがあり風味抜群、最近、「たろっぺ」よりはやっているとか。

 昨年畑に作ったそばの実が落ちたようで、沢山の芽が出ている。雑草のように取り去るのも何かもったいない。やわらかそうなものをひと束採ってきた。

 今日の夕食は、こんにゃくの刺身、コシアブラの天ぷら、そばの芽のおしたし、と山菜定食となった。ここ天竜区は政令指定都市浜松内だが、こうした食材が豊富にある北遠の地だ。

 

2007年4月15日 (日)

赤い帽子・長靴

 還暦を、子どもたちが場を設定して祝ってくれた。Dsc00416 Dsc00417 プレゼントは、農作業用の赤い長靴とつば広の帽子・手袋。よく言われることだが、私が子どもだった頃、60歳というのは「老人」「おばあさん」「しわくちゃ」というイメージだった。自分がその年に達して、そんな気分はみじんもない。学校、仕事と次から次へ先を急いできた時代とは違う生き方のできる0歳、出発、という気分だ。子どもたちに感謝。コラーゲンで若返りを願ってか、特製の「フカヒレスープ」などをごちそうになった。

 なぜ還暦の色は赤なのか。「60年で干支が一回りし赤ちゃんに返る、その魔除けの色」と書いてあるものがあったが、確かなことは知らない。ナス、トマト、キュウリの苗、落花生、えだまめの種が畑に連れて行ってくれ、と呼んでいるので、明日からまた畑で頑張ろう。

2007年4月12日 (木)

新しい人を集団に迎えたとき

 ある集団に新しい人が入ってきたとき、それまで集団にいた人たちはどう対応するのだろうか。そんなことに興味を持ったのは、私自身が、かなりの年齢になって、全く新しい集団に入っていかねばならない体験を、この間ずいぶんしたからだ。世話役や主催者が、新しい人に気遣いし、いろいろ配慮してくれる。しかし、その集団に属している人はすでに人間関係が固まっており、また、自分の仕事や課題に一生懸命で、新しい人の存在に配慮することがなかなかできない。

 宇都宮から浜松に移るとき、ある人が、「私も浜松にいたことがあるけど、自分から飛び込んでいけば受け入れられ良いところだよ」と言ってくださった。

 今日初めて、ある「陶芸教室」に参加した。私以外は5年以上の経験者、家族のこともお互いの性格も知り合った仲の集団に加わる。こういうとき、新しい人に、何やかにやと声掛けできる人って偉いと思う。かくありたい、と思うのは、実は今日、先生以外誰の声掛けもなく、で、私の方から何人かに努力して話しかけた。結構神経を使った。これもまたいい経験。なじむにはかなりの時間を要するのだから。

2007年4月11日 (水)

脳を元気にする手だて

 脳についての研究が盛んである。それを私たちの生活一般にわかりやすいように沢山の本が書かれる。野沢秀雄「脳トレ体操」(角川新書)を読んでいる。今の仕事に役立つ。

 今日、気功について初めて経験した。講師を、高齢者の教室に招き教えていただいた。腹式呼吸、笑いの効用、交感神経・副交感神経の話を聞いた後、気功の一部を実際に体験した。平たく言えば、一日10~20分、いくつかの「動作」を続けることによって免疫力を高めることができる、という話だった。

 今、自分、風さん、高齢者クラブ、その全部に関わって、「認知症にならないために」が当面の大きな課題だ。気功もその一つの手だてになるか、と思ったことだ。

2007年4月10日 (火)

還暦を迎えて

 今日還暦を迎えた。朝、手のひらを見ながら、「うーーーん、今日還暦だ!」と声を出し飛び起きた。

 今年の正月の一句    還暦や 来し方思い 初日浴ぶ

 60歳以上は映画がすべて千円、で、「ブラッド・ダイヤモンド」を見る。チケットを買うとき、「今日から60歳以上です」って言ったら「おめでとうございます!」と言われた。アフリカのダイヤをめぐる闇が描かれる。狂気と混乱のアフリカの内戦、少年兵の存在。デカプリオ出演を見たのは4作目、アカデミー賞を取った「ディパーテッド」に次いでの野性味あふれる演技。

 一つの節目の日だった

2007年4月 4日 (水)

1年ぶりの初出勤

 1年前に退職してから、もう「仕事」はしない、と思っていた。ここで「仕事」というのは、労働の対価を受け取って働くことである。35年間、一応、「仕事一筋」「家庭も自分も子どもも仕事の次に」という生き方をしてきたから、これからは、「先ずは家族、次に自分」という生き方を徹底しよう、と思っていた。子どもたちには申し訳ないながら、こうした決意をしたときはすでに時遅く、手元から離れてしまった。子どもに対してはいつも「十分なことをしてやれなかった」という忸怩たる思いがあるが、「後悔先に立たず」。

 で、今日、縁あって週1回ながら仕事を得、初出勤。出勤時間の5分前には着き準備する。その内容は後日書くとしよう。ともかく1日終え、何かちょっと高揚した気分。おそらく公的な最低賃金の時給だろうが、金額・仕事の中身は別にして、「義務を伴って対価を得て働く」心地よさは、なんとも言えない。夜のビールがおいしかった。

2007年4月 2日 (月)

新年度 発進!

 「3月」までの、年度で区切る生活をずっと続けてきたが、今年の4月は3月からの継続、変化なしだ。でも、風さんと、「新しい年度だね。気分新たにやっていこうね」と話した。かつての職場や友人から、いわゆる「人事異動」の話題が届く。一人一人に返事を書く。退職した人には、1年先輩として訓を垂れたりする。現職の人にはぜひ「生き生き楽しく」教育に取り組んで欲しい。Dsc00387 Dsc00386 子どもの表情を読み取って欲しい

 奥浜名の有名な寺の一つ、方広寺・奥山半僧坊を歩いた。後醍醐天皇の皇子無文元選禅師によって開創された臨済宗の寺院。五百羅漢を見ながら、ひととき「人の表情」の豊かさ、おもしろさに浸った。人の表情は必ずしも真の心や気持ちを表現するものではないだろうが、この石仏たちは正直な気持ちを表しているのでは、できればかくありたいなどと思っていた。

2007年3月28日 (水)

井戸端会議へのあこがれ

 「無職・主婦」になって1年が経とうとしている。時間に追われご近所つきあいもあまりなく、と過ごした勤労生活35年間は、ご近所とのおしゃべりにはほど遠い生活だった。そして、実はそのことに内心あこがれていた

 今、時間はたっぷり、時には井戸端ではないが道路に数人でたむろして、花や野菜、趣_6 味のことなど、時間に追われることなくしゃべっている自分があることに、不思議な気分である。

 今日は今日とて、畑仕事をしていたら近くの一人暮らしのおばあちゃんに話しかけられ小一時間話す。昔の苦労話や一人暮らしの寂しさなど。畑仕事ができなかったがまあ、明日やればいいや、と家に戻ったら、玄関口でボランティアの仲間にばったり、そこにご近所とその親戚が加わり4人でまた小一時間、ちっとも焦らない日々だ。ちなみに遠州弁で、おしゃべりのことを「おしゃっぺ」「おしゃんべー」という。おしゃんべーな山椒の実です。

2007年3月26日 (月)

宮澤賢治の世界に触れる

 天竜おはなしの会で朗読の勉強会が行われ、その題材に宮澤賢治の童話「なめとこ山の熊」が使われた。数回読んだがなかなか内容を理解することが難しい。この題材でNHK話しことば通信添削を受けた方が、講師に「そういう読み方は宮澤賢治に失礼だ」と批評されたと笑いながら報告されていた。多分、作品を十分自分のものにしていない、ということを指摘されたのであろうが、では、少し勉強しなくては、と思って、「広報はままつ」で見かけた「宮澤賢治・朗読の会」(25日、浜松ホール)へ出かけた。

 「気のいい火山弾」と「鹿踊りのはじまり」の朗読、「洞熊学校を卒業した三人」の「人体交響劇」がその内容だった。興味を持ったのは賢治の童話を声と体で表現する「人体交響劇」というものだ。中学校体育の創作ダンスに少し似ているが、幼児から年長者までがいっしょになって賢治の世界を表現している、全く知らない分野を垣間見ることができた。頭を柔らかくしてゆったりと賢治の世界にもう少し触れてみたいと思った。

2007年3月22日 (木)

イノシシの肉を料理する

_21  ご近所のおじさんが、知り合いから送ってきたとのことでイノシシの肉のおすそ分け、たれと野菜付き。一度では食べられない量だったので、一部は冷凍、残りを今晩のおかずとした。この歳まで料理屋さんで牡丹鍋などは食べたことはあるが、自分でイノシシの肉を料理した経験がない。うすくスライスしてすき焼きのようにして食べてみた。匂いは苦にならず歯ごたえがあってかなりおいしかった。当地から北の方ではけっこうイノシシが出るし、近くには猟犬を飼ってイノシシなどを獲っている方もおられる。ところ変われば・・・・・である。

 そういえば今年は亥年、私にとっては誕生以来の「丁亥」の年、つまり還暦である。今日のおすそ分けも何か因縁ありそうな・・・、関係ないだろうがそんな思いで食べたことだ。

2007年3月11日 (日)

人は作ることがホントに好きなんだ

 浜松市の「クラフトフェスティバル」が浜北の体育館でDsc00357 開かれた。近所の友だちが出店するとのことで出かけたみた。開場の時間に着いたのに数百㍍の長蛇の列、入場するまでに40分かかった。

 出展者は100以上、ビーズ、布細工、木工品、お菓子・パン、編み物、陶磁器、押し花、輸入品工芸などなど様々な日用雑貨の店が体育館いっぱいに並ぶ。人は本当に作ることが好きなんだ、を改めて実感。

 私が一番興味を持ったのは、ミニチュアの家具を手作りしている工房と、棚等の実用木工品を並べているお店だ。手作りの良さを実感するとともに、勤勉にコツコツと木々を工作している製作者の姿が想像でき、ワゴンの棚、いすのミニチュア、つり棚を購入、ヨイショヨイショと運んできて、我が作業部屋に設置した。

2007年3月 9日 (金)

朗読の練習をする

 天竜おはなしの会の例会に参加、朗読の練習をする。会員の一人が「NHK話し言葉通信添削」を受講し、その内容を伝達してもらう。宮沢賢治「なめとこ山の熊」をお互いに読みあう。朗読ということを基礎から学んでいる感じでこれもなかなか新鮮な感じだった。

 今、目の見えない高齢者に対して、歴史書を読むボランティアをしており、相手にその内容を伝える練習にもなる。朗読の世界にも好奇心が湧いてきたところだ。

2007年3月 3日 (土)

ターシャ・チューダーの本から

 今日かつての職業仲間からタイトルの作者が書いた一冊の本が送られてきた。今、結構話題となっている本だ。本をくるんでいた包みを開いて一気に読んでしまった。題は、「生きていることを楽しんで」

 「わたしは、この歳でできることを楽しむわ」と言うターシャは91歳

 2ヵ月ほど前、一所懸命花を育てているわたしに、ガーデニング教室の先生が、「二俣のターシャ・チューダになったら」と冗談で言われたことが頭に残っている。

2007年2月23日 (金)

寂しいなー、家に一人なんて

 明日から熱海での1泊旅行、今年度初めての自分のための外泊となる。自分の楽しみのために風さんをショートステイに「預け」、愛犬ヒーチャンはホテルに預ける。ちょっと後ろめたさも感じつつ。で、その前日の今晩は一人、世話をするのも大変だが世話することが何にもないのも、ちょっと寂しいものがある。いずれそういう時期、一人っきりでこの家に暮らす時も来るんだろうな、などと思いつつ一人の夜を過ごしている。

 まあ、難しいことを考えずに、明日のかつての職場仲間との出会いを楽しみにすれば良い。そう、これからは如何に楽しんで生きていくか、もちろんどう社会に役立っていくかを含めて、納得できる生き方が大切なのだ。

2007年2月19日 (月)

雛飾りをする

 3月3日はひな祭り、岐阜県東濃地域で経験した小さい頃のひな祭りの思い出。各家庭でひな飾りをする。お供えとしてお菓子とともに米の粉を練り蒸した「からすみ」を並べる。子どもたちは袋を持って各家庭をまわり、ひな飾りを見せてもらいながらお菓子や「からすみ」をもらって来たものだ。

 6人姉妹の5番目では自分のおひな様はなかったが、長女、次女のものでわが家のひな壇がつDsc00311くられた。土人形Dsc00312やケース入りの人形なども飾られていたように思う。

   で、今のわが家、「おおばば」と「ぷればば」の二人で、娘のひな飾りと折り紙で作った手製のものをずらりと並べた。(写真をクリックしてください)

2007年2月13日 (火)

確定申告書の作成

 無職となり前年の所得について確定申告をしなくてはならない。勤め人_3の場合は年末調整など事務担当者にやっていただいていたが、いざ自分でするとなると「申告の仕方」を読んでも一つ一つの用語が理解できず、半日かかってようやく作成した。退職、3月までの給与収入、住所が変更、宅地を売却、建物新築といろんな事情も重なっていたので結構考え込んだ。国税庁ホームページの作成コーナーを利用するのが便利。申告書のA・Bの意味もやってみて分かったこと。終われば何てことはないが・・・。

2007年2月 7日 (水)

手綱寿司を作る

 今日、お寿司屋さんを先生にして「手綱寿司」を作った。(写真を取らねば、と思ったときは作品はすでに私の胃袋の中でした)。で、言葉で説明すると、サヨリの3枚おろし、エビ、キュウリ、裏ごし卵で寿司飯を巻き、手綱のようなきれいな押し寿司を作ったのである。細くきらきらした新鮮なサヨリの3枚おろし、専門家に習うと斯くもうまくできるのだ、と実感。

2007年1月29日 (月)

ノロウイルス総括

 1週間でほぼ全快、「ノロウイルスの潜伏期間は24~48時間、下痢は3日ほどで治る、吐き気を伴う、熱はあまりでない」と言われていること、すべて当てはまらなかった。接触して多分90時間後、38.6度の発熱、吐き気なし、症状は6日間続いた。ただこうなったのには私の方の対応のまずさもあった。最初、ウイルスだったらビールで消毒!と熱があるのにビールを飲んだこと、ノロウイルスを早く体内から出そうと腹痛があったのに結構長く普通食を続けたこと、結果、ただでさえウイルスによってダメージを受けている消化器官が一層疲弊したのではないか・・・、と反省している。

 教訓:ウイルスが入ってきたらあくせくせずに、先ずは安静、食事療法。自己流は慎むべし。

2007年1月23日 (火)

ノロウイルス?でダウン

 昨日ぐらいからどうも調子がおかしく、38度の発熱。そのうちノロウイルス特有の症状が現れダウン。でも風さんの食事などの世話はしなくてはならない。手を洗い洗濯物を別にし、部屋から出てこないように言って過ごしてきた。どうぞうつりませんように。私の原因はどこにあるか、ハッキリしたことは分からないが同じような症状の人とは会ったのは4日前、潜伏期間は1~2日だからへんだなー。まあ、なっちゃったことはしょうがない。男の厄年は60歳だけど女は違うはず、はやく回復したいもの。

2007年1月17日 (水)

ちょっと小休止

 ブログにアーダコーダと、駄文を連ねてきましたが、身内に不幸があり浜松を離れますのでちょっと小休止です。20日から再会する予定。

2007年1月10日 (水)

唯一の新年会

 自宅では子どもや親戚が集まり、5日くらいまでは毎日新年会のようなものだったが、仕事を離れ全く知らない地では、外で集まっての新年会は「なし」だな、と思っていた。嬉しいことに唯一「天竜おはなしの会」の新年会に加えていただいた。磐田市の「獅子ヶ鼻莊」というところで、とんぶり、鮎の甘露煮、山菜の天ぷらなどをいただき、最後は「こげ茶色」のとろろ汁だった。自然薯をよく洗いひげを焼いて皮のまますり込む。味噌も加えるとのことで自然の味がした。20年間も昔話や本の読み聞かせを続けている団体だけあって、話題もこうした活動についてで、その苦労や意見の相違も見られて勉強になった。

2007年1月 9日 (火)

ネットの中での交流

 ブログを開設して8ヵ月、年賀状にも「ブログ見てますよ」との文章が書き加えられている。これは嬉しい。その人の顔を思い浮かべてキーを打つこともある。なにせパソコンはかつての職場のコンピュータアドバイザS氏に教わっただけだから、応用が利かない。「ブログをもっと楽しむにはどうしたらいい?」と息子に聞いてみると、「そんなの自分で考えな」と言われてしまった。で、今年は、私のような団塊の人たちのブログにアクセスし、ちょっと世界を広げていきたい、と思う。「団塊・おばさん・ブログ」で検索すると結構出てきた。今、数個のブログに書き込みをし、「私の好きなブログ」を画面に入れることを覚えた。コミュニケーションの一番大切なことは、人と人との直接的な対話、という考えは変わっていないが、ネットの中の交流の楽しさも味わってみたい。

2007年1月 8日 (月)

イノシシさん、今年よろしくね

 お正Dsc00254月は家族や親戚が集まり賑やかだったが、今日でほぼ終了、また風さんとの静かな生活に戻った。お正月飾りの鉢植えの梅が7分咲き、いい香りを漂わせている。そろそろ玄関や居間のお正月飾りを片付けるので写真を撮った。切Dsc00252り絵は高野山かDsc00255らいただいたもの。イノシシの置物は隣の棚に移し1年間わが家を守ってもらう。これまでおかれていた、昨年の干支「戌」は箱詰めにしてしまい、12年後まで静かに待ってもらう。毎年一つずつ置物が増えていく。  (写真をクリックして大きな写真で、すてきな梅の花を見てください)

2007年1月 6日 (土)

年賀状雑感その2

 1年間会わないで過ごすと、人それぞれにさまざまな物語がある。そんな近況を年賀状で初めて知る。「昨年夏に肺ガン手術をし、1ヵ月で仕事復帰、病を克服したのはやはり強運と体力?」「副作用の少ない抗ガン剤で生きることにしました」など、かなり深刻と見られる内容もある。その思いをそっと想像してみる。文章の奥にある深い思いを感じてみる。年賀状にはそんないい面がある。「謹賀新年」などの印刷だけの年賀状ではなく、一言添えられていると、その言葉から「人」を思い描くことができる。

 今年の圧巻は、「迎春 長い冬でした・・・。」、十回近く受験して合格した非常勤を続けた講師の年賀状、心からの応援の気持ちが湧いてくる。良かったね、年賀状に言ってしまう。

2007年1月 5日 (金)

「年賀状」雑感

 年賀状、毎年一日に着くように律儀に出している人、一日に書くことを信条にしている人、出さないことに決めている人、ひと様々。で、わが家は、結婚以来35年間、版画による植物の年賀状を作成してきた山椒から始まって今年はツユクサ、一応なぜその植物にしたか意味づけはしている。このブログの「山椒の実」は、結婚の際、「山椒の実は小粒でもピリリと辛い」とありたいと考え、結婚式のリーフレットに「山椒の実」の題をあてたことに由来している。年頭の2文字も、拝年・迎春・頌春・初春など全部違った言葉で書いてきた。年の初めを意味する漢字2文字は斯くもたくさんある。「美しい国」と誰かさんに頻繁に言われたくないが、日本には豊かな美しい言葉があることは事実だ。260通出し返事でちょうど300通、年賀状に書かれたいろいろな言葉に琴線を揺すぶられるが、先ず今年の年賀状から一つ、「社会の役に立つおばあさんになろう!」、ウン、そうだよね。この言葉はいい。

2007年1月 3日 (水)

親戚が集まれること

 浜松には近辺に夫の兄弟、従弟などたくさんの親戚がある。その子どもたちの多くは結婚し風さんにとってはひ孫も誕生している。その人たちがお正月を機にわが家を訪問してくださる。親戚の全くなかった宇都宮とは大きな違い。迎えるとなるとそれ相応の準備もし忙しいが、何かとっても楽しい気分。今日は夫の兄弟夫婦2組とその子どもが来てくれた。朝からお寿司やつまみを用意する。手作りが原則だ。お正月とあって昼間から太陽を背に受けてお酒を飲む。侃々諤々の議論も活発。いい気分だ。風さんも応接間にやってきていっしょに団らんに加われるようになった。すばらしい進歩!思い思いの手作り料理を持ち寄ってくれるのも嬉しい。単純に「いいお正月」を実感する

 年賀状を見る。懐かしい人からの便り、心のこもった一言がうれしい。今朝畑でブロッコリーを採っていたら、近所の80歳を越したおじいさんが散歩の途中声掛けをしてくれた。「この年になるとね、何か心細くなるんだよ、どうやら生きて正月を迎えられていい正月だ」とのこと。心細くなるから人恋しい、これが人と人とのつきあいの基本かな、と思った。

2007年1月 2日 (火)

あけましておめでとうございます

 皆様よいお正月をお迎えでしょうか。1月1日は浜松のわが家から、まるで東の窓が額縁のようになって朝日が昇りました。すばらしい初日の出でした。宇都宮に住んでいたときは、毎年鬼怒川付近まで車で行き、そこで初日の出を拝むのが常でした。今年は磐田原の向こうからの初日の出を遙拝できました。

 わが家伝来の里芋・大根・水菜のお雑煮(あおのり、花カツオをかける、花カツオが踊っている、と言い合って喜ぶ)と手作りのおせちで朝食、三が日は主婦の私は朝からワインで酔っぱらい夫はアルコール抜きで自動車の運転をする、というのがここ数年のならい。

 氏神の椎ケ脇神社に初詣、今までの二荒山神社の破魔矢が椎ケ脇神社のものに変わる。毎年恒例の家族写真を撮る。今年は愛犬姫、息子の妻も着物を自ら着付けて写真におさまる。自分の母親の「新橋色」の着物。2007年がどんな年になるか、この目でしっかり見ていこう。個人的には、地域の一員としてのボランティア、花と野菜作り、読み聞かせの練習、俳句の勉強、ブログを通しての友だち作りなどに励みたいと思っている。

 あけましておめでとうございます。自らの意志で、今年を良い年にしていきましょう

2006年12月30日 (土)

お正月の準備 その2 おせち料理

 毎年30日は結婚以来ズーと続いているおせち料理作り。ウン十年前人購入した、主婦の友社文庫の「手作りおせちとお正月料理」に従って朝から台所に入りっきり。黒豆、昆布巻き、お煮しめ、きんぴら、焼き豚、ごまめ、酢の物、若鶏の照り焼きなどを作る。昔、父が、「お正月は、まめ(丈夫)で田作って、かき込む」と言って、黒豆と田作り(ごまめ)と柿を並べて食べていたが、わが家も正月の度にやっている。

 明日は蕎麦を打つ。つゆになる返しもすでに作って冷蔵庫にねかせてある。この日は「お年とり」といって家族で食卓を囲む。おせちは食べないのでこの夕ご飯のためにまた2~3品料理をすることになる。日常的に結構手抜きの食事を作っているので、年の最後くらいは罪滅ぼし、と言ったところか。

 ということで5月から始めた「山椒の実」、2006年の記事は本日で終了、記事数185、コメント65、アクセス8000でした。来年もよろしく。皆様よいお年を。

2006年12月29日 (金)

お餅をつく

 昨日28日餅をついた。といっても機械「もちっこ」で3キロ。勤めていたときは28日まで仕事をしていたので、いつも29日につき「苦餅」になっていたが、今年は28日の餅つき実現4組のお供え餅も丸めた。玄関と居間と仏壇と姫の小屋分。この「もちっこ」は記録(機械にマジックで記しておくのがわが家のならい)によれば、1986年12月21日14,800円で購入したとある。20年間毎年欠かすことなく餅を自前で作ってきたわけで、それまでは毎年お正月はこの西鹿島の家で過ごしいたので、お供えを作ることもしなかったな、などとちょっと歴史を振り返ったりした。浜松の農協で購入した餅米は、大変いい米で柔らかくよく伸びる餅となった。お正月以降お雑煮、焼き餅としてほぼ全部消費されるはず。

2006年12月26日 (火)

姫の年賀状

 呑気な話で恐縮だがまたしても犬の話。ほんの100M位離れたところに、我が愛犬「姫」の一ヶ月遅れの柴犬ピース君がいる。毎朝散歩の帰りに寄ってキックボクシングをする友だちだ。そのピー君から過日クリスマスカードが届いた。で、今日は彼に年賀状を書いた。Dsc00235何度も言うがこんな平和な話でいいのか、とちょっと後ろめたく感じながら。
私の今年の目標
  ☆体重10キロ 太らない
 ☆大人の犬としての行動をする
 ☆ワンと言える
 ☆よく遊び寝る
 ☆散歩の仕方を覚える
 ☆しっかりお母さんを守る

ピース君あけましておめでとう
 去年はお互い、この西鹿島の子どもになれて良かったね。散歩の後に寄ってくれてキックボクシングができたこと、とても楽しかった。今年もよろしくお願いします。
 お父さんお母さんにもよろしくお伝えください。 

2006年12月25日 (月)

お正月の準備

 年賀状書きに追われ、この間記事が書けず、こうしたお正月の準備にお互い忙しいところ。今日はお正月飾りの寄せ植えを作る。葉ボタンやエリカの飾り付け、梅と松に花をあしらい石や鶴亀を配置したもの、もう一つは竹で作った花器に蕗タンポポを植える。Dsc00237 Dsc00236 Dsc00238 植物の飾り物はあと一鉢、畑にあるスイセンを使って水盤に植え込むつもりだ。大掃除、おせちの準備など年末は実に忙しい。昨年まで仕事を続けながらよくやっていたもんだ、と改めて我ながら感心する。さて、皆様は如何に正月の準備をされているでしょうか。

2006年12月18日 (月)

お誕生日おめでとう

 見出しの言葉が嬉しいのは何歳くらいまでだろうか、そもそも誕生日を祝うという習慣は古く日本にはなかった、とのことであり、戦後生まれの私も満年齢が一つ増えるくらいの認識程度だった。その後、家庭を持ち、自分の子どもが成長していくにつれ一つの節目として家族で祝うようになった。そして、近頃では家族のつながりを感ずる行事のひとつになっている。会食したり、言葉を贈ったりちょっとごちそうをつくったり、小さなプレゼントをしたりとかたちはいろいろ。最もお互い忙しいから、「あっ、そうだったね」ですますこともあるのだが。

 12月12日は風さんの93歳の誕生日、ちょっと遅れたが、今日、私は初めて手作りしたマフラーを贈り、娘がアンゴラの靴下をメッセージ付きで贈ってきた。近頃めっきり笑わなくなった風さんが、「こんなのをもらった」と笑顔で見せにきた

2006年12月17日 (日)

東京忘年会にて

 前年度の職場の皆さんと東京で忘年会、何で東京かというと、野州と遠州の間にあるから、と思いつきで決まったのだが、私一人が野州に行けば多くの方にご足労をかけることもなかったのに、とちょっと反省。忙しい中集まっていただき、本当に楽しい時が過ごせました。皆さんに感謝です。宴会はほぼ半年ぶり、仕事上のしがらみもなく、気兼ねなく冗Dsc00232 談やホントと嘘の間のようなことをひたすら話し、夜中のウオーキングもなかなかでした。

 人と人との出会いやふれあいや語らいは無理をしないで自然にできるのがいい。そこに楽しいがあればなおいい。幹事さん、どうもありがとう。帰りには、17日にちょうど開かれていた浅草の羽子板市で正月飾りの羽子板、藤娘を買って帰りました。お正月に飾り、野州の人たちとの出会いを偲ぶことになりそうです。 

2006年12月11日 (月)

年賀欠礼のあいさつをいただいて

 「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」という葉書がすでに20通になった。父母、兄弟の死に直面する歳になったと言うことだろう。仕事上でお世話になった人、大学時代の友人からの便りだ。時間ができたこともあったので、その人を思い出しながら封書や葉書を書くようにしている。変化のあった年なので近況報告が中心だが、身近な人が旅立っていく、その気持ちに少しでも共感できる文章が書けるといい、と思う。「来年が一陽来復<悪いことが続いた後に、ようやく良い方に向かう>の歳になりますように」という葉書をもらって希望をもつことができた、という新聞の投書があったが、一陽来復、いい言葉だ。

2006年12月 9日 (土)

地域のクリスマス会に参加

 当地の公民館で行われているクリスマス会に参加した。「天竜おはなしの会」会員の見習いで、幼児を相手に、ジングルベルのハンドベル演奏、赤鼻のトナカイの楽器演奏、かさこ地蔵の紙芝居などにお手伝いとして参加した。当会はすでに20年以上の歴史をもつ会で交通安全教室や小学校の行事に招かれているという。今日はちょっとしたお手伝いだったが・・・いい経験だった。敢えて批評は必要ない。

読み聞かせボランティア養成講座ー昔話のこと

 私自身は、小さい頃親や祖母から昔話を聞いた記憶はない。だから記憶に残っている昔話は、多分学校の図書室で見たか、あるいは自分の子どもに読んでやった絵本の記憶なのだろう。

 本講座では昔話を子どもに語る意義として、「子どもの心の深いところに強く働きかけて、子どもが無意識のうちに抱いている不安を和らげ勇気付けて人生に立ち向かう心構えを与える」ととらえている。その上で昔話の特質をよく理解し、本をよく選んで読み聞かせに使うことが最も大切だ、という。たとえば一見残酷に思える場面がある。グリム童話然り、また、「三匹のこぶた」の1匹目と2匹目は食べられてしまうし、最後にオオカミはオオカミ汁にされて3番目のこぶたに食べられてしまう、「うまかたやまんば」では馬の足をきってやまんばに投げてやるし、やまんばは熱湯をかけられて死んでしまう、というふうに。その行為の生々しさを描くことなく、ストーリーを先へ先へと進めていき、主人公はあらゆる困難を乗り越えて幸福になるおはなしであれば、話の残酷さはこどもにとっては問題ではない、とのことだった。従って、その場面を省略したりせず、「忠実に再話された本」を選んでこそ昔話のもっている力が確実に子どもたちに伝わる、と説明された。引っかかりがないわけではないが、昔話(日本のみならず外国のものも含めて)について、文献も紹介されたので、もう少し勉強してみようと思う。

2006年12月 7日 (木)

物を作る楽しみ

 物作りの芸術家と言われる人以外でも、昔から人は形ある物を作って楽しんできた。動物や植物を育てることも「物を作ること」であろうがそれはさておき、身近な日常使う物、飾る物など自分の作った物には愛着が湧く。買えばいくらでもいいものはあるし時間もかかるが、できあがったときの小さな充実感(と言うほどでもないが、ささやかな満足感といったほうがいいか)は何とも言えない。ここ数日写真のような物を作った。クリスマスの飾り、ボンボンの温かそうな花瓶、毛糸を刺したマフラー。折り紙を折っているときもそうだが結構集中して作る。風さんの世話や家事をついつい忘れてしまう。最後のお茶の花とスイセンの挿したのはおまけ。Dsc00224台所に飾っているが、スイセンとお茶の花は、色合いがそっくりだ。両方とも我が畑に咲いている。 Dsc00223 Dsc00226 Dsc00225

2006年12月 1日 (金)

犬だって個性があるんじゃないかなー

 浜松市の保健所が主催する「愛犬教室」全3回に参加した。オートレース場の駐車場を使っての訓練、柴、プードル、レトリバーなどの犬が集合して訓練士から指導を受けながら、歩き方やお座り、待てなどを練習した。我が姫ちゃんは、最初にぐいぐい引っ張られたのがいやなのか、ドンと座ってそっぽを向き言うことを聞かない。訓練士に「強情な犬だな、お母さん、根比べだね」と言われてしまった。「全部の犬を同じようにしたってなー、犬だって個性があるんだし」というのは飼い主のひいき目・甘さか、とにかく「みんなといっしょ」の訓練らしい訓練にはならなかった。でも、この頃ちゃんと私の顔を見て動くようになったし、まっ、いいか。ゆっくり躾けていくから。

2006年11月26日 (日)

お布団お気に入り姫

 5が月になった姫ちゃんは、いよいよ夜以外は外の生活。今まで慣らしに時間を少しずDsc00216 Dsc00218 つ増やしてきた。すてきな小屋を用意し表札も付けたのに、気に入らないのか外からガリガリかじるのみで一向に中に入ろうとしない。雨が降ると一応入るが中で立ったまま。昨日などは昼間ほとんど寝ず結構疲れた様子だった。今日はサラサラした座布団を入れてみたところ、とても気に入った様子。私がのぞいても首だけこちらに向けるだけ。ヨカッタ!!!

2006年11月24日 (金)

忙しい一日

 久々に忙しさを味わった。午前中は浜松市の「読み聞かせボランティア養成講座」、図書館員の読み聞かせに対する思い入れが伝わるよい講義だった。「何を伝えたいか、という読み手の気持ち、本の選択が最も大切」「単に娯楽やイベントで盛り上げるだけならこれだけテレビやゲーム、パソコンが発達した社会では本の役割はない。生涯本と関わっていける、自分で本をよんでいける人間を育てる」など印象に残ったお話しも多かった。これからの講座、本当に楽しみだ。午後は愛犬「姫」のトレーニング、40分かけて会場に行き、30匹以上のワンちゃんと一緒に専門家の訓練を受けた。これについては再度書きたい材料だ。あいだに風さんの食事や生活などの世話・・・久々にかなり忙しい日々。

2006年11月22日 (水)

「目から鱗」・・・○○教室にて

 愛犬教室というのに参加した。家の愛犬「姫」も5ヵ月、主張や性格もハッキリしてきて結構手を焼いているところもある。浜松市が主催するこの教室は1回講義、2回のトレーニング。今日は3時間の講義、時間の経つのを忘れるくらいだった。目から鱗、聞いてみなくては分からない。「犬は群れで生きる、飼い犬にとっては群れは家族」「食事の際のおすわり、おあずけの訓練は無意味」「無視することによって叱る」「常に穏やかに接する」「トイレの失敗は叱らない」「散歩はトイレタイムではない、排泄は必ず自分の屋敷内で」等など、聞いてみて納得することしきり。帰ってきて少しやってみた。毎日やらねばならないだろうが、かなり役に立ちそうだ。

2006年11月20日 (月)

朝ドラを見る

 朝7時には家を出る、という生活を30年以上続けてきたが、退職によって朝が実にゆっくり過ごせるようになった。といってこの歳では寝坊などといった「たっぷり睡眠」は必要なく、というより朝早く目覚めてしまうのであり、朝の食事・掃除・洗濯・犬の散歩の類は8時には終了する。で、テレビの前にどっかと座りモーニングコーヒー片手に朝ドラを見るのが日課となった。ボランティアも講座も9時に始まるものが多いから、この1時間弱はなかなかいい時間だ。その朝ドラ「芋たこなんきん」を楽しんでいる。田辺聖子の「i(あい)メール」や「残花亭日暦」を読むとドラマの設定がかなり現実味を帯びてくる。何よりドラマを見ていて声を出して笑えるのがいい。介護と主婦とボランティア、というどこにでもある生活を「楽しむ」ことがいいことだ、と思わせてくれる。

2006年11月17日 (金)

読み聞かせボタンティア養成講座

 浜松市が行う見出しの講座説明会に参加した。仕事をしているときは、読み聞かせボランティアの方々にはずいぶんお世話になった。自分もやってみたいな、とは思っていたが自己流で本を読む程度だった。基礎を押さえたいと思い広報をみて申し込んだが、希望者が多く抽選会となった。定員30名のところに72名が参加、2倍を超す競争率だったが、幸運にも「当たり!」。毎週1回全10回の講座に参加することとなった。

 それにしても、こうしたボランティアを希望している人はいっぱいいるんだ、と言うことを再認識、赤ちゃんを抱いてきている人もいて熱気が伝わってくる。素直に作品の中に入り子どもに伝える、ということのできる新しい自分を見つけたいと思っている。今、乳児への読み聞かせに力が入れられている、という話も初めて聞いた話。

2006年11月15日 (水)

高齢化社会を生きるには

 ボランティアに行っている「はつらつクラブ」、今日は防犯教室、天竜警察署長のお話だった。落語が好きで落語家に懇意の人がいるというだけあって、かなり面白くユーモアいっぱい。よくしかめっ面をしている参加者に笑いがいっぱいだった。これからの高齢化社会を生きるには、「かきくけこ、か:感動 き:興味 く:工夫 け:健康 こ:恋」が大切、との話があった。「こ」は私的には「好奇心」と入れたいところだ澤地久枝は好きな作家だが、その作品に「道づれは好奇心」がある。「私の道連れは、好奇心。貪欲な好奇心が私の心を揺さぶり、ひょいと身軽に腰を上げさせる」のことばにいたく同感。好奇心を満たすためにかなり自由に動ける現在に感謝。今日は初めての句会・三水会に参加。3時間の会合があっという間に過ぎた、楽しい時だった。

2006年11月 9日 (木)

花友だち・犬友だち

 朝と夕方、わが家の愛犬「姫」の散歩が日課となった。今はまだ20分ほどのコース(歩数で2000歩)だ。出会う人ほとんどが笑顔で、犬に声をかけちょっとした立ち話にもなる。ペットについてはそれぞれが一家言持っていていろいろ教えていただく。犬友だち。

 小春日和のいい天気、今日は朝から花壇の手入れや種から育てたパンジーの植え付けをした。午前中3人が立ち止まり、ひとしきり花の話。介護や健康、家族の話にも話題が広がPhoto_1る。花友だち

  ラジオ深夜便によれば、今日の花は「コウヤボウキ」とのこと。アナウンサー自身も見たことはない、と言っていたので調べてみた。花言葉は「働き者」と結構我が身にピンとくる言葉。初めて知った花だ。

2006年10月31日 (火)

食べ物二題

 家庭で毎日続けられる営み・・・食事。わが家にはわが家のあり方があって、他家と比較することはできないが、食事を作る担当者であれば、少しでも要領よくおいしい食事を作りたいと願うのは当然、その中から「わが家の伝統料理」が生まれてくる。今日は我が畑から人参を収穫した。人参は発芽が難しく、「発芽すれば栽培が成功」と言われるほどだ。わずかに発芽した人参を育てて収穫時期。葉っぱもまだ若いのでどう利用するか、風さんに聞いたら、「私の母親は、赤味噌を梅干しくらいに丸めて焼いてその中にゆでた人参の葉っぱを入れて包丁で刻んだ」とのこと。さっそく作ってみる。温かいご飯にあげて食べると人参の香りがぷーーーんとしておいしい。

 今日下野から食用菊と里芋が送られてきた。揚げ出し豆腐に食用菊を刻んで添えたところとてもおいしかった。浜松ではあんまり食用菊は見あたらないし、私は下野で菊を食べることを初めて知った。残った菊はさっとゆでで冷凍した。お正月に並べようと思う。送ってくださったのは下野で知り合ったWさん、住所と電話番号をわざわざ調べて送ってくださった由。何とも懐かしくまた心から感謝。

2006年10月29日 (日)

散歩できるよ、姫!

 本日3回目のワクチンを打ち、わが家の姫も堂々と散歩できることになった。といっても実際は2週間前から朝夕散歩していたのだが。獣医さんに3回のワクチンが済むまで散歩は控えてください、と言われていたのでちょっと後ろめたさはあったが、エネルギーをもてあましている姫をみて、朝夕2000歩前後歩いていた。子どもなのであちこち興味津々で真っ直ぐ歩けない。高い土手から身を乗り出して下を見下ろす様子などを見ていると、ホントに好奇心いっぱいのワンちゃんだ、とその顔に見とれてしまう。11月末には、市の保健所が主催する「愛犬教室」に参加する予定。今のところ子どもの聞き分けなさはあるが、私を「ご主人様」と認識しているようだ。

2006年10月28日 (土)

「俳句入門講座」終了

   9月から参加していた講座が終了、あの俳句雑誌「海坂」の編集長の講座である。参加者の年齢、職歴もいろいろで、講座の最中に自分の句を言い始めたり、講師より先に批評したりと楽しい人たちだった。もちろん講師の豊富な知識あふれる内容が、一番私の好奇心を引きつけてくれた。

 生きている今を一句に詠む時に、注意すること7箇条として、詩因(題材)を大切に、題材は一つに、季語を覚える、省略を巧みに、配合を考える、用語は文語で、丁寧に詠む、等と教えていただいた。まずは基本を大切に、そしてわかりやすく今を詠んでみようと思ったことだ。それにしても、ほんとうに日本語を知らないことを実感、たくさん教えていただいた。たとえば、虎落笛(もがりぶえ)、道草(あけび)、千草、零余子(むかご)、鳥総松(とぶさまつ)などなど。風さんにこれらの漢字を見せたら全部読めた。「何にも分からない」とつぶやく人がである。すごい!と思った。

2006年10月23日 (月)

自分と同じような感じ方

 いろいろな場面で、「私と同じような感じ方」をする人がいるんだ」と思うことが時々ある。新聞の投書欄、小説に登場する人物、コマーシャル、テレビの会話、深夜放送に寄せられる声などなど。聞いたり読んだりしながら、「そうだよね」と納得する。最近では、「世界一おバカな犬が教えてくれたこと マーリー」・・家の柴犬「姫」を外へ出したところ、土は食べる、くさりをぐるぐる巻きにして足に絡まりひっくり返っている、という様子を見ながら「バカだなー」と言いながら目を合わせると顔がゆるんでしまう。もう一つは「晴耕雨読を地でいきすぎている漫画家」とりのなん子の漫画「とりぱん」・・・息子夫婦が送ってくれたものだが、身近な鳥・植物・自然への目がフンフンという感じ。 

2006年10月19日 (木)

「ゴミ出し」あれこれ

 <ココログがメンテ中とのことでなかなか文が作成できませんでしたが・・・>ありふれたゴミの話。

 ゴミの分別のやり方は地域によってずいぶん違う。かつて住んでいた栃木県内でも宇都宮と国分寺ではずいぶん違い、国分寺で出たゴミだが分別し辛いので宇都宮まで持って行って出そう、なんてことをしたものだ。さて、当地は15種類の分別。指定のゴミ袋を購入してそこに入れて出す。燃えるゴミの週2回以外は月1回。ビニール類とペットボトルは月2回。面白いのでは「テープ・コード類」やビンの色別回収がある。回収日の前日は三々五々地域の人が集まってきて、それぞれの回収箱に入れる。そこが井戸端会議ならずゴミステーション会議場になる。新参者が地域の人に顔を覚えてもらう場所でもあるので一応服装を整えて出る。困ったのは段ボールや新聞・雑誌類が年3回ほど行われる学校の廃品回収日以外は出せないこと。倉庫にためておかねばならない。「郷に入っては・・・・」でようやくこのテンポの慣れてきたところだ。ゴミの減量化に協力して、最近スーパーで「マイバスケット」を購入、ビニール袋を使わないことにした。

2006年10月13日 (金)

合併のメリットを実感する

 平成の大合併、ここ浜松市も周辺の11市町村を合併、当地天竜市も浜松市となった。合併のメリット、デメリットはあるが、この間、水道料金が上がる、市街化調整区域になってボツボツやっている畑の税金がべらぼうに高くなる、とあんまりいい思いはしなかった。今日初めてこれが合併のメリットか、と思ったことがある。図書館がどこでも利用できること、今日は新しく開館した城北図書館に行き本をがっぽり借りてきた。近くの図書館より施設がすばらしい。車がない人は不便だろうが、取りあえず私としては嬉しい。また、浜松の中心地の様々な講座に参加できる。万葉の森公園の「古代の花の寄せ植え」教室、浜松文芸館の俳句講座、緑化推進センターの園芸教室、いずれも天竜市では参加できなかった。浜松市になってその恩恵に浴したわけだ。

2006年10月12日 (木)

去る者は日々に疎し

 古くから言われているように、地理的に離れるとやはりタイトルのようなことになる。高校までを過ごした故郷の友人とは、高校時代の2人と年賀状のやりとり程度。小学校時代は皆無。名古屋時代ではやはり二、三十人の人との年1回の賀状の交換と数年に1回の同窓会的なものに参加する程度。さて、最も「濃密な人間関係」を培った宇都宮時代も「日々に疎し」という状態になりつつある。そこで、この頃、書いてみたいという友人に封書で手紙を書いている。便せん2,3枚に現状報告や今の思いを書く。別に用件があるわけではないから返事は無用と書く。一日3通の便りを書くことを日課にしている、というある政治家がいた。そこまでは出来ないが、電話やメールではなく、週1度程度封書を書けば「日々に疎し」とはいえ、数人とは交流が続くかもしれないな、と思っている。ただし、つきあいはなくとも思い出の中に残ってるのでそれで十分かもしれない。小さいときからずーっと同じ地にいて幼なじみと付き合ったり地域の行事に参加できる人が羨ましかったな、と思う。「隣の芝生」だろうが。

2006年10月10日 (火)

「彼岸花」雑感その2

 先の彼岸花の話題に、「ぼうし」さんから「好きな花」とコメントをいただきありがとうございました。その文の中で、「墓参り せよと教える 曼珠沙華」と書いた。この句に対して、「曼珠沙華はもともと仏教的な花であり墓と取りあわせるとつきすぎの感あり、教えるは言い過ぎ」との評をいただき「墓参り ふと思い立つ 曼珠沙華」と添削していただいた。ふーんと感心。「草々に 埋もれて映える 彼岸花」「菜園の 境となりし 彼岸花」などとも詠んだが、今年の彼岸花もすべて姿を消した。この後たくさんの葉が出る。

 北朝鮮の地下核実験報道に心痛む。ここ静岡県は日本の3度目の被爆と言われる「第五福竜丸」の故郷、宇野重吉扮する久保山機関長が、アメリカの水爆実験で被爆し死んでいく映画を見たのは中学校の時だったか、強烈な印象が残っている。核廃絶への思いはこの頃培われたように思う。今行動として何が出来るか。枯れた彼岸花と核実験、2006年の秋の姿

2006年10月 8日 (日)

十六夜の月とともに走る

 7日のこと、東海道線で名古屋へ、26年前まで勤めていた名古屋市博物館で開催されていた特別展「ええじゃないかの不思議」を見た。江戸時代の「おかげ参り」や梵天まつり、馬の塔、お鍬祭りなど、庶民の娯楽であったものを紹介し、その後幕末のええじゃないかの資料を展示、信仰と娯楽の両面から説明をしていた。若い頃、このことについて少し調べたこともあって興味深く観ることができた。かつての仕事場という懐かしさも手伝って実にいい時間を過ごした。さながら私にDsc00175とっては、日常を逃れての平成18年版「ええじゃないか」の旅だった。帰りは東名高速道路を十六夜の月とともに走った。強風の中、くっきり、冴え冴えの月。

  今日は立待月、わが家リビングの小さな吹き抜けの窓からハッキリ見える。部屋の照明の左上に小さく写っているのがその月、見えるかな?ただし実際に見ている月はもっと大きいんだけど、これ錯覚?明日は居待月、翌々日は寝待月(臥待月)と仲秋の名月後、月の名が奥ゆかしい。

2006年10月 7日 (土)

朝日がまぶしい

  昨日の仲秋の名月は、ぼんやりと雲のカーテンの向こうにあった。さて、今朝、東の空からさわやかな光、朝日がまぶしい、5日ぶりか。強風と雨をさけて玄関先に避難させていたパンジーのポット300鉢を光の当たる場所に出す。雨の後の花壇は本当に生き生きしていて、植物とはいえ「命の輝き」のようなものを見せてくれる。夏から引き続いて咲いているサルビア、カンナの朱が鮮やか、紅白のベゴニアは大株となって花をたくさんつけている、秋のキキョウ、りんどうの青紫もいい、最近植えたクジャクソウやジュズサンゴがかわいい花と実を揺らしている。宇都宮からもってきたホトトギスも咲き始めた。ここからは見えないが畑のソバ、コスモスも元気を取り戻しただろう。すべてが待ちわびた太陽の光を全身で浴びている。今夜の十六夜の月はしっかり見られそうだ。

2006年10月 5日 (木)

上野の森でリフレッシュ

 半年たってようやく一人でゆっくり楽しむ時間を作った。留守を頼み、東京上野の美術館巡り、といっても2館、東京都美術館の「創展」と上野の森美術館の「ダリ展」。前者は親戚が私の父をモデルとした絵「まほろばに」を出品していたので、鑑賞した。明治42年生まれの父が、ふるさとの山を背景にすわっていた。小さい頃あの山へ「薪の背負い出し(しょいだし)」や杉の葉拾いに行ったことを思い出す。タガに入れた薪をひと束ずつ背負い縄で背負って山道を下りる。ひと束運ぶと5円もらえたような気がする。杉の葉はたき付けにする。これは子どもの仕事、枯れて落ちた杉の葉を集め小さく束ね、それを積み重ねて大きな束にまとめてやはり背負い縄で背負って下りる、今考えると子どもながら本当によく働いていた。自分の貧乏性はこの辺に原因がありそうだ。いい時間だった。

   ふるさとは 紅葉ならん 老父恋ふ

2006年10月 4日 (水)

「キンモクセイ」雑感

 昨日キンモクセイの香りに気付いた。宇都宮ではもっと寒くなってからだったと思うが、見ると浜松の庭に植えたキンモクセイはすでに花を付けている。秋の深まりや冬の訪れを感じさせる香り、と記憶していたが、当地では少し違ったようだ。

 枝を折って花瓶に挿し食卓に置く。風さんに「キンモクセイ、匂わない?」と聞く。首をかしげ「匂わない」との答え。「キンモクセイってどんな匂いだったか、覚えてる」と聞きながら、匂いを言葉で表現する、ってのは難しいことだ、と思ったことだ。年を取ると匂いも失うんだ、と改めて知った。せめて目で匂いを感じ情景を思い出して欲しい。

     木犀の にほひ失ひし 老母かな

2006年9月29日 (金)

犬の名に名字をつける

 犬好きにとっては、その一挙手一投足も語りたいところだが、勿論それは飼い主の話、よその犬のことなんか聞いても何てことはない、と言うことを重々承知の上、再度犬の話Dsc00134(これからも何回か登場しそう) 我が家に「姫」が来て1ヶ月、生後3ヶ月で体重も3,6キロになった。3回のワクチンがすむまで散歩はしないように、とのことで玄関のサークルに入っている。相手をして欲しい時は全身で飛び跳ねたりくるくる回ったり。玄関テラスの階段も1回目はおそるおそる降り、次には元気に飛び降りる。学びが早い(親バカならず犬バカ)。 毎日一緒にいるとその成長の著しさがよく分かる。風さんも毎日目を合わせて、「おはよう」とにこにこしながらあいさつをしている。近所の若いお母さんたちがよちよち歩きの子どもを連れて、「犬見せてください」とやってきた。「はーい、○○姫です」と名字をくっつけて紹介する。人間関係を少し広げてくれる役割も果たしてくれる。

2006年9月24日 (日)

吉田拓郎&かぐや姫・イン・つま恋2006

 見出しのコンサートが当地の近く、掛川で開かれている。NHKが大はしゃぎで生放送をしているのをついつい「斜め見」した。学生時代から就職した頃聞いた、懐かしい曲が流れ、40年近くも昔のことなのに当時のほろ苦い思いもついてくる。よく言われることだが、音楽はそれを聴いたときの自分の様子を思い出させるものだ。

 還暦の吉田拓郎、今はその生きているエネルギーを素直に受け止めておこう、という気分。大学時代の友人たちが、この間リタイアし新しい生活に入ったなどという懐かしい便りが時々届き、中には、病魔と闘っているとの便りもある。会って話せば分かるだろうが、会わなければ、もう顔も思い出せない。

2006年9月15日 (金)

読書の秋 その3 「書店」雑感

 「浜松にはなぜ大きな書店がないのか」、というスレッドがインターネット掲示板に立てられ、侃々諤々の「議論」(かみ合っていないのもたくさんあるが)がなされている。こちらに越してきて、掲示板を見る前に、私自身同じような感想を持った。宇都宮では紀伊国屋書店、八重洲ブックセンターなどがあり結構通ったものだ。

 大型書店がない理由は掲示板にゆずるとして、宇都宮での落合書店に当たるのだろうか、当地では谷島屋書店という本屋さんが各地にある。書店というよりは「本屋さん」という感じだ。今は、ネットで簡単に欲しい本が入手できる。本を買うというだけではない楽しみが本屋さんにはある。最終的には買うにしてもそれまでに様々な本や作家に会える。その雰囲気・環境が好きなのだ。この3日間、雨、畑仕事が出来ないので「浜松の書店」を調べて行ってきた。郷に入っては郷に従い、大型書店ではない本屋さんを「はしご」することにしよう。その贅沢な時間が今はある。

2006年9月10日 (日)

退職後の生活は人それぞれ

 今年3月に退職した同業者からの葉書、「週3回勤めその他は旅行や登山と自分の生活を楽しみ、現職の時より多忙です」。充実したというか忙しくそして楽しく毎日を過ごしている姿が目に浮かぶ。私はといえば、「今日は何するかなー」という生活・・・。とにかく風さんが家にいる限り3時間以上自宅を空けることは出来ない、それが今の私の仕事、と割り切っている。旅行、泊まり不可。ではこうした条件のもとで出来ることは何か、朝の有酸素運動20分、スクワット15回、昼間は風さんの相手と世話をしながら読書、俳句、畑、花作り、ボランティア、夕方1~2時間畑仕事、夕食後はパソコンに向かう・・・。退職後の生活はまあ、人それぞれですね。現職でがんばっている皆様、退職後の生活設計、出来ていますか?自分だけで決められるヒトは恵まれているかも。ちょっと愚痴っぽい山椒の実でした。

2006年9月 8日 (金)

「読書の秋」雑感

 昼間はまだ暑く、「秋」というにはちょっと遠慮がいるが、日中時間がたっぷりあるという贅沢な身分、この間結構本を読んでいる。今日読了したのは、向田邦子「霊長類ヒト科動物図鑑」。かって教職に就いた頃、「職員室人間観察図鑑」などというメモを作っていたことを思い出す。ヒトとヒトとのかかわりや物事の考え方、感じ方を見たり「考察」するのが楽しかった。

 本書が発刊されたのは、1981年9月1日、向田が台湾の航空会社の飛行機事故で亡くなったのは同年8月22日。本書中に「ヒコーキ」という短文があり、何度乗っても「ヒコーキはいつもこわい」と書いている。何か因縁を感じつつ、人間観察や表現の豊かさに心揺さぶられながら読了。1年間に50冊は読みたいと思って毎年読書記録を付けてきたが、実践できた年は少ない。さて、今年は?

2006年9月 6日 (水)

新しい家族が増えました

Dsc00123  初めまして、滋賀県生まれの柴犬、名前は「姫」通称「ヒーチャン」です。2ヶ月少しの幼犬。ここに来て3日目、慣れなくて寂しくて「クイーン、キャン」とないています。飼い主にはこれからずいぶん世話になりますが、私も飼い主に心の安らぎをあげられるといいと思っています。近所のおじさんが、「また、仕事を増やしましたね」と言ったところ、我が飼い主は、「世話をやいたり心配してあげられる存在が大切なんです」などと答えていました。

2006年9月 5日 (火)

柱時計が戻ってきた

Dsc00116  何年間も壊れたまま、宇都宮の風さんの部屋にかかっていた柱時計、ふと見たテレビの番組で、古時計を直す時計屋さんが浜松にあることを知り、6月末に修理を依頼した。浜松空襲で焼け出され、戦後5年間は時計を買う余裕もなかった当家が、1951年に、「時計くらいなくては」とようやく買ったものだという。それから40年以上ボンボンと時を告げてきたが、10年くらい前に壊れてしまい、まあ、直らないだろうとそのままインテリアとして掛かっていたのだ。そして昨日、よみがえってわが家に戻ってきた。風さんの和室にかければ多分喜ぶだろうと思ったが、意外や、「ボンボンと時に追われるのはいやだ」とのお言葉。それで、居間兼応接間兼私の作業部屋の壁に掛けた。カッチカッチと音を出して時を刻み、30分おきに「ボンボン」と時を告げている。いい音だ。14日ごとにねじを巻く。修理した時計屋さん曰く「ホントに幸せな時計です。大事にしてください」。感謝。時計屋さんの名、「かみや」という。

2006年9月 2日 (土)

「棟方志功展」から

 浜松市美術館で開催されている棟方志功展「民藝の巨匠たちとの出会い」を観る。日本民藝館所蔵のもので、棟方が知遇を受けた柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司という人々との関わりの中での作品展示となっている。当初は油絵を描いていたが、川上澄生の「初夏の風」に影響をうけて版画の道に進んだ、という解説から、鹿沼の美術館を思い、また、「道祖土(さやど)頌」からは益子を思い出し、下野とも関わりのある版画家だと再認識。自伝の「板極道(ばんごくどう)」を読むと、他に対する批判めいた言葉が一切なく、出会った人々から様々なことを吸収し、奔放無類な生き方をした天才の姿がよく分かる。「ゴッホになろうとして上京した貧乏青年はしかし ゴッホにはならずに 世界の Munakataになった」(草野心平)という空間にしばし浸る、いい時間だった。

2006年9月 1日 (金)

9月・遠州は雨・ホッ・・・

 9月1日防災の日、全国で様々な訓練が行われる。以前にも書いたがここ遠州では、「東海地震」を想定した日常的な対策が取られ、昨日は「食物アレルギーを持つ子供たちのための非常食がどの程度蓄えられているか」が話題となっていた。浜松市はこの点でもかなり進んでいて、アレルギーの子どもを持つ親たちが、避難所となっている小学校を訪問、非常食の量をチェックしていた。隣の奥さんと昨日立ち話、「もし地震が起きて避難することになったら、飼っている犬をどうするか、避難所に連れて行くための移動用サークルを物置に置いている」とのこと。

 朝から雨、久々のお湿りで、昨日、水菜の種まきをしたばかりでちょっとホッとしている。下野の多くの学校では今日、始業式でしょうか。27日から始まっているところもあるようですが、生き生きした声の響く学校であってほしい、と願っています。

2006年8月30日 (水)

近所のおじさんたちとの話

<その1>道路隔てた隣のおじさん

「この辺はね、この数十年前まで近所でよく集まってきた。みんなお百姓でね。いつもあの家はちょっとも草を取らないから、なんて言い合ったものさ、庚申講で集まってさ、掛け軸もあるんだけど、今じゃ農業で生活している家なんかないもの、庚申講なんてやらなくなったね。そんなに一所懸命畑の草を取らなくてもいいよ、誰も文句言わないから」

<その2>3軒南のおじさん 朝5時に畑に行く私を呼び止めて

「この芝生見てよ。毎日刈って草を取っているから草1本ないよ。一日目を離すとすぐに草が出ているんだよ」。ホントにすばらしい芝生の庭でした。

「庚申は ”せざる”を入れて 四猿なり」という川柳があるとのこと。コメントありがとうございました。何を”せざる”のか、なんてことは言わないことにしましょう。夜を徹して身を慎む庚申信仰、実際は地域の「おしゃべり会」だったのかもしれない。石碑が日本全国にあり三猿が刻まれていることも多い。これはインドが発祥の地とか、中国、ネパール、あのアンコールワットにも三猿は刻まれているという(未確認ですが)。ともかく近所のおじさん(みんな70歳以上)の言葉と三猿・庚申信仰、どこかで結びついているような気がする。

2006年8月26日 (土)

「オクラの花」は歳時記にない

 数日前にも書いたが、オクラの花が今盛りだ。取り入れるオクラの大きさくらいの花で、わが畑の中に咲く花の中では大きい部類だ。カボチャや瓜の花も大きいが、それらは出来る野菜がやっぱり大きいから何となく納得できる。

 花の美しさから、最近かじり始めた俳句に詠もうとして歳時記をめくったが、「オクラ」「オクラの花」がない。マロニエの花、オリーブの花、アカシアの花、アスパラガスの花、ゼラニューム、ジキタリス、などなどカタカナ名の花も歳時記は多くあるのに。俳句の初心者で先ずは基本に忠実に学んでいる段階だから、オクラの花を題材にした俳句は取りあえず棚上げ。今の私には一番印象深い花なので、俳句にはあらずして、一応5・7・5に組み込んでみる。    

  ☆大輪の 季語に入れたき オクラ花  ☆オクラ花 咲けるを知らず 実りあり  ☆取り忘れ 扱い悩む オクラの実    ☆天を指し 我をとれよと オクラの実

2006年8月14日 (月)

結婚式のかたち

 ここ数日、今の境遇(無職)になってから珍しく忙しく、記事が作成できなかった。親族に対して息子が結婚披露の会を催したからだ。といっても会場を借りての食事会だから準備そのものは別にないのであるが、会がどういう形になるか見通しが立たず、気がもめたのだ。二人の挨拶状に「今さらではございますが、結婚の報告を申し上げる運びとなりました」とあるように、つきあい始めてすでに十数年が経っている。2週間前、十年前に訪れたことのある鳥取県の神社で、二人きりの結婚式を挙げてきたとのこと。

 実は、私たち親自身は三十数年前、結婚式はせず、友人のみの食事会で「結婚披露」をすませてしまい、親族には小さなパンフを送って結婚を報告した。このことについて、親は多分いろいろな思いもあっただろうが、口は全くはさまず、「こういう形もあっていいよ」と言ってくれた記憶がある。

 初めて会った両家の親族が、お互い自己紹介しながら食事をして会話を楽しみ、祝辞や出し物一切なく、息子が司会や進行をつとめるという、経験したことのない「披露宴」となった。息子たちには、私たちの親がそうであったように、「こういう形も面白いね」と伝えた。   

    

2006年8月 8日 (火)

秋の気立つ・立秋

 8日は立秋。昼間の暑さは相変わらずだが、朝夕には「秋の気」を感じる。今日は台風7号の影響もあって朝から雨、冷や冷やとした感じである。ここ数日雨を待ちこがれていた。「信州そば」を蒔こうと、畑に準備していたが炎天続きでそれができなかった。野菜や花への毎日の水やりも結構大Dsc00068変だったが、今日は一休み。ただ大雨は困るが。Dsc00067

 暑中見舞いの葉書が数通届いている。写真を貼り付けたり手書きの夏らしい絵が描いてあったり、ちょっとした心遣いが嬉しい。で、私は和紙で朝顔を折り小さなカットにして葉書に貼り付けている。手間はかかるがそんな余裕もまた、今の自分に似合っていてよかろう。 このブログを読んでいただいているすべての皆様へ、五円玉で比較した朝顔のカットで、「残暑お見舞い申し上げます」。今年、朝顔を種から育てたが花の付きが悪い。「園芸相談」を見たら、「朝顔は日中の日照時間の長さが大切」とあった。自宅東側にツルを這わせたので午後は日陰になっているのだ。来年への教訓。

   絵はがきに ひと折り添えて 夏忘れ

2006年7月16日 (日)

アゲハチョウは山椒の葉がお好き

Dsc00058  キアゲハが山椒の葉に離れては留まりしている。台所の真正面に植えてある山椒の木は、宇都宮から持ってきたもの。山椒は香りが強いし花も咲いていないので、チョウチョが留まるのが不思議だった。数日前の新聞の投書を読んで分かったことがある。「キアゲハが山椒の木に卵を産み、それが幼虫になり葉っぱをせっせと食べて成長し、やがて蛹からキアゲハに変身、その間山椒の葉っぱがなくなってしまったので、2度も園芸店に足を運び食料を確保してやった」というような記事だった。調べてみるとキアゲハは山椒以外にもセリ、パセリ、三つ葉などの葉も好み、ふつうのアゲハチョウは柑橘類を好むとのことだ。

 キアゲハの舞は十分楽しませてもらったが、投書の主のように私は優しくないので、卵は排除し山椒の葉を守った。そういえはパセリについていた黒い幼虫をこの間駆除したが、あれはキアゲハの子どもだったんだ。

2006年7月15日 (土)

多肉植物のかべかけ

 「赤鬼城」「火祭り」「黒法師」「福娘」「虹の玉」などと言う名称を聞いて何を連想するか、これもやってみて初めて知った、「多肉植物」につけられた名称。主に乾燥地域に自生し、葉や茎・根が肥大化しているもので、サボテンもこの仲間だが、園芸の分野では、多肉植物・サボテン類と表記されているようだ。全国に趣味の会があり、多様な色や形に魅せられDsc00061た収集家・一家言を持っている人も多い。

 15種類の小さな多肉植物をミズゴケの球に植え付けて壁掛けを作った。門塀に付けてみたら結構似合っている。昨日配送に来た人が、門塀に付けられた写真の壁掛けを見て、「私も集めてるんですよ」と親しみを込めて話しかけてきた。太陽の光を受けて光っているようだ。 さわると赤ちゃんの耳たぶのような感触があるものもある。

2006年7月11日 (火)

棚経ということ

 かつての同業者の方々にとっては、今は夏休み前の忙しい時期でしょう。呑気な話で恐縮ながら、現在の私にとっては最大の関心事で興味津々、知らないことを体験するときの小さな好奇心、で、再度お盆のこと。

 お盆には僧侶が各家庭をまわり、「精霊棚」(または盆飾りをしたお仏壇)の前で読経をする。これを棚経(たなぎょう)ということも初めて知った。10日夕方我が家にお迎えした。盆飾りもインターネットの情報を頼りにしつらえた。「自宅にお迎えするのは私としては初めての経験で、変なところがあったらどうぞ教えてください」と率直に申し上げた。

 大きなお椀に米を入れ、麻がらに五色の紙を付けた旗を立てる、水を供え樒(しきみ)の葉で水をかけながら読経する、仏壇の中央に曼荼羅をまつる、などを知る。その意味もお経のあとでお話しいただく。説明の中に、「いろいろな説もありますが」「難しい面もありますが」という注釈がついていたのが印象的だった。

 風さんは最初正座をしようとしたが無理なので、ベッドに寝てお経やお話を聞いていた。僧侶がお帰りになったあとで、「いろいろ説明してもらってよく分かったね」というと、「大学出だからね」という時代を感じさせる言葉が返ってきた。

2006年7月 9日 (日)

お盆の準備

 「仕事をして給料をもらっている」という生活の時は、仕事以外のことは、如何に時間をかけず、要領よく、無駄を省いて、手抜きで、行えるか、が課題だった。家事、趣味、そして育児ですらもそうだったように今思う。二足のわらじははけなかった。

 「仕事に就いていない」今は、日々、如何に時間をかけ、手間暇かけ、無駄も大切と考え、手抜きはせず、という生活ができる。新しい事もたくさん始めた。

 お盆が近くなった。当地の多くは、盂蘭盆会を7月13日から15日に行う。宇都宮時代はお寺に「送金」して仏壇をちょっとのぞく程度だったが、お寺がすぐ傍にありご住職さんが読経にまわられるとなると少し準備がいる。真菰のゴザ、麻幹、仏具、お供え物など、どのようにしたらいいか風さんに聞くが、「お坊さんの言うとおりにすればいいよ」と気のない返事で具体的なことはハッキリしない。普段やっていればなんてことはないのだろうが、やったことのないことをする、ということは結構大変。インターネットの情報とご近所の方に聞いて、一応の形を整えなくては。小さい頃のお盆、新品の洋服を着て、きれいな提灯の灯る座敷にたくさんのお位牌が並び、何かはなやいだ気分だったことを思い出しながらお盆の準備中。

2006年7月 8日 (土)

青枯れ病の発生

 数日前からナスの枝が変だな、と思っていたら青いままへなへなと枯れてしまった。畑と自宅の花壇の両方に植えていたのだが、そうなったのは花壇の方。苗を植えたり種を蒔いたりは前向きで楽しいのだが、病虫害に対しては全く無知だし、いわゆる農薬を使うことには抵抗があって、虫食い状態の菜っ葉を食べている。しかし先ずはどうして枯れてしまうのか原因を知らなくては、とご近所の野菜作りの達人のおばさんに聞いてみる。見ただけで、「青枯れ病だ」とのこと。早速インターネットで調べる。地中の病原菌によっておき、水はけを良くする・根を傷つけない・化学肥料を与えすぎない・連作しない・発生したら焼却し石灰などで消毒する、などの策が示されているが特効策はなさそう。隣のヒマワリも1本枯れた。この3日間雨も続いているし、広がらないといいんだが。

2006年7月 6日 (木)

スイセンの球根を掘り上げる

 畑にはご近所の宅地と接して15㍍位の長さ、幅1,5㍍位の細長い土地がある。ここがまた、雑草だらけだが春になるとスイセンがたくさん咲いていたようだ。自然の状態で20年、球根は増えに増えてぎっしり、と言う状態。できれば雑草を少なくして春はスイセン、その後パンジー、秋はコスモスの通路にできないか、と考え、取りあえず雑草を取ることにした。しかし、根がしっかり張った草は手で取れるものではない。そこで土を掘り起こすとスイセンの球根がザックザック。こんなにかき混ぜると球根がだめになってしまうのでは、と心配にもなったが、スイセンが咲く時以外雑草だらけ、ってのも困る。

 取りあえずあまりに混み合っている球根は掘り上げ、ベンレートで消毒して乾燥して保存し、秋に間隔を取って植えることとした。半分以上はそのまま地中に。スイセンが一斉に咲く一時はとってもきれいでいいが、数日で終わる。そのあと葉が「だらしなく」ぐったりと地べたについている時間が長い。3ヶ月以上だ。はやく切ってしまうと翌年咲かない、と聞いているので結局7月過ぎに掘りあげることになるわけだ。明日はその球根の後始末を仕事としよう。

2006年7月 4日 (火)

何でも基本が大切

 畑仕事を始めて2ヶ月近くになる。最初は土の面(雑草の面)を見て、とにかく耕して何か植えなくちゃ、と、手っ取り早くホームセンターで野菜や花の苗、種を買ってきて植えたり蒔いたりした。収穫もあったが「基本ができていない」ので全体に貧弱だ。余裕ができたので、この頃は少し「勉強」しながら進めている。何せ「石灰」と「石灰窒素」の区別も分からなかった。肥料の3大要素なんてのも、昔習ったような気がするが、改めて調べ、「苦土石灰」はマグネシウムを補給しつつ土壌を改良するもの、1㎡あたり100gという肥料の量も感覚的につかめるようになった。今、二十日大根と小松菜の畝を作っている。もちろん10日以上前に施肥して準備中。土も深く耕す。何の場合でも基本を押さえなくては結果は良くないし、まぐれでできたとしても進歩しないのだ。

2006年7月 3日 (月)

気の小さい小者

 雨が降っていなければ、朝5時過ぎに畑に行くのが続いている。「荒れ畑」の「開墾」で1~2時間汗を流す。でも、こんなに朝早くから畑に出ていると、ご近所の人たちに「何をしゃかりきになってやってんだ」などと変に思われないか、と足が止まるときがある。

 今日はゴミ出しの日、と思いこんで出してしまった。実際は明日。栃木時代の曜日と間違えた。後から気づいたのだが、金網の箱の奥に入ってしまったし取り戻しも面倒。ゴミ出しのルール違反はだめだ!と誰かに見られているようで一日小さくなっていた

 郵便局の貯金通帳の住所変更に実に3時間以上かかった。風さんが少額ずつ貯めた定額貯金が通帳ではなく証書だったので、その枚数分の手続きが必要だったのと、高齢者の「非課税」に該当していたため税務署への照合があり、おまけに1枚の証書がどこで間違ったのか名前の1文字に誤字があったことが原因だ。こんなに時間がかかって面倒だから解約する!と言ってしまい、一生懸命やっている若い係の人に申し訳ないことをした。

 郵便局の待ち時間に、向田邦子「霊長類ヒト科動物図鑑」を読んだ。買ったばかりの週刊誌をもって別の店に入るとき、万引きを疑われないためにあれこれわざとらしい行動をとると自分について、「勇ましがってはいるが気の小さい小者だな」との記述があって笑えた。新しい地で生活をし始めたということもあるが、本日の自分は、ホントに「気の小さい小者」だなあ、と思ったことだ。

2006年6月30日 (金)

古時計を直す

 60年位前に購入したというゼンマイの柱時計がある。10年ほど前からゼンマイを巻いても針が動かず、壊れたまま風さんの部屋に掛けてあった。引っ越しの時処分しても良かったが、戦後直後の何にもない家(浜松空襲で家は全焼した)に、時計くらいは、と購入し、戦後の当家とともに歩んだ時計なので、そのまま持ってきた。引っ越し間近の3月22日、何気なくNHKテレビの地方番組を見ていたら、当地の近く小松というところに、古時計を修理する時計屋さんがあるとのこと。ふと「この時計直らないかな」と思った。

 今日細々とした記憶を頼りに、その時計屋さんを訪ねた。「かみや」という時計屋さんで、このご主人がめっぽう時計に詳しい。1時間話し込み、いろいろ教えてもらった。「こうしたゼンマイ仕掛けの時計は最近少なく音がとてもいい。50日ください。お金はかかるが何とか修理してみます。直らなかったらお金はいりません」との答え。

 自宅に戻り「風さん、時計が直るかもしれないよ」というととてもうれしそうだった。古時計のおかげでいい出会いができた。宇都宮で偶然テレビをみたこと、だめだろうけどその時計屋さんを探して頼んでみよう、と思ったこと。大切なことは先ず実践ありき、かもしれない。ところで、東小においてきた時計、時を刻んでいるでしょうか?

2006年6月27日 (火)

手紙を整理する

 年賀状をはじめ1年間に受け取る手紙や葉書をどうするか、栃木時代は1年ごとにひもで括り、押し入れの段ボールに詰め込んでいた。DMはその都度捨てるが個人的な手紙類は、人と人のつながりの歴史で思い出もあり、また名前が書いてあることもあってなかなか捨てられないまま今回の引っ越しとなった。段ボール3箱、とりあえず浜松に持ってきたものの、このまま処分するかしまいこむか、思い切ってそのまま捨てるのが整理には一番であろうが、約35年間の記録をポイする勇気もない。で、思い出に残りそうな手紙だけを選び出し、年ごとに主な出来事を表紙に書き付けて括り、量を三分の一、つまり段ボール1箱にする、という作業を始めた。暇といえば暇だが、封書から手紙を出して読み直したり、捨てるもの保存するものを分類したり、これが実に時間がかかる。教員時代は担任した生徒に、毎年、年賀状と暑中見舞いを「宿題」としてきたので、その葉書から当時の生徒の顔が浮かんできて、これまた捨てきれない。

 今25年間終了、あと10年。全く思い出せない名前もある。20年前に亡くなった義父からの葉書がたくさん出てきたが、幼い孫に語りかけるひょうきんな内容に、その人柄を初めて知ったような気がする。その他「ああ、そうだったんだ」というような発見もあったりする。ぜいたくな時間だ

 今も時折、栃木から懐かしい手紙類が届く。その人となりを感ずる手紙は保存していくことになろう。段ボール1箱に収まるうちは。

2006年6月25日 (日)

切り戻して咲かす

 寄せ植えをDsc00051いくつか作っている。ペチュニアも種類が多く八重咲きや波打つような花びらのモノもあるが、今回はかわいいミニペチュニアの寄せ植えにした。たくさん花を咲かせるにはピンチ(切り戻す)ことが必要だ。咲いている花を切ってしまうのは結構勇気がいる。朝は写真のようだったが、夕方、パチンパチンと切り戻した。切りとったものは花壇の隅っこいっぱいさしておいた。すぐに根付きこれはこれで地植えで育つ。寄せ植えの方はしばらく寂しいが、2週間くらいすると写真の倍以上の花が咲くはず。

        Dsc00052          1ヶ月前に挿し木したバラや ホクシアなどの花々、だいたい根付いたので小さなポリポットに植え替えた。根は伸びてポットの壁に当たってまた根を増やす、と教えてもらったので、ここでまず根をいっぱい増やしてから地植えすることになる。

 「育てる」には切り戻しや根を障害物に当てることが必要だが、大切なのはその後の施肥や適切な時期の植え替えなんだ、と、「子どもを育てること」につなげて思ったりもする。

2006年6月17日 (土)

雑草とのたたかい

 当地にあった畑は、ここに我が家の住人がいなくなったこの二十数年間、一部でご近所の方々が野菜作りや樹木を植えたり花を作ったりしておられたようだ。ただ畑の管理をしているのではないので、使っていないところは雑草が伸び放題、境に植えてあったお茶の木はしげり放題、土地自身は悪くないのだがとにかくいろんな根があちこちにはびこっている。ここを鎌と鍬でぼつぼつ整備している。1日に1~2時間程度の作業で、いくら生まれは農家とはいえ、小学生の時に手伝ったくらいしか経験はなく、お遊び程度の作業ではとても雑草の勢いに勝てない。

 近所の住宅の合間にある畑は、我が家以外は実にきれいに丹誠込めた野菜作りがしてある。「とにかく雑草は大きくなる前に取ってしまうのが一番」とは、下野で畑仕事をされている先輩の言葉だが、大きいどころか実にしっかり根を張っている雑草たちに対等に対決しかつ勝つためには、もっと本腰を入れないとだめだ!、と自らを叱咤激励しているのだが。

2006年6月14日 (水)

新しい事を始める・・・決断するポイント

 かつての職場の人からメール、「家を買ったり仕事を辞めたり、そうしたとき迷いもあるがどのように決断するか」との質問。人はいろいろな場面で決断を迫られる。「そうせざるを得ない」ときは結論は一つ、しかし選択肢があるときは自ら決断をしなくてはならない。仕事をしているとき一番悩んだのは、多分雨の時の運動会中断。結果的には良かったがそのときは体の方が先に動いたような気がする。

 「住宅や退職などは今何が一番大切かで判断する。決断したあとはその選択が一番よかったと考え後ろを振り向かない」と答えたが、無職となると毎日が決断。小さな事が多いが、「新しく始める」には結構割り切った決断が必要。社会福祉協議会でのボランティア、2回目。デイサービスの人たちに折り紙を教えた。今度は歴史裏話をしようと準備中。「押しかけボランティア」は相手(社会福祉協議会)にとって迷惑かな?と言う気もするが、一番大切なのは集まっているデイサービスの人たち。「毎週来るボランティアさんはいません」とのことだが、出過ぎずできることをやる、で、割り切ってもう少しやってみる。手弁当で。

 下野市長さんのニュース、名古屋版の新聞に小さく載っていてびっくり。・・・うーーん。

2006年6月11日 (日)

初夏の寄せ植え

 当地のJAがやっているガーデニング教室に参加し、写真のような寄せ植えをつくった。テーマは「リゾート風トロピカルな寄せ植え」だったが、私から見ると「色いっぱいの目覚まし」といった感じ。左端のインパチェンス以外は、デプラデニア、ラセンクロトン、エギザカムなど聞いたこDsc00034ともない花々との出会い。右端の紅白の花を付けたのは「源平葛」という。これはよくわかる。手前に貝殻を置くのは「リゾート風」か。問題は11月、寒くなるまでしっかり持たせる管理。「野菜はね、毎日見てやらないと育たないんだよ」とは、隣の畑を作っているおじさんの言葉。育てるのは、最初ではなく、づーと続けられる継続した地道な取り組み、とは人も植物も同じかもしれない。物言わぬ植物とのお付き合いにどんどんのめり込んでいくようだ。

2006年6月 9日 (金)

何だこの虫は

 「ちょっと来て」という風さんの声。「この頃こんな虫が時々はっているのよ。踏みつぶしたけれど」。そういえば数日前もそんなことを言われたな、そのときは、「エー新しい家なのに、虫なんかいるわけないよ。風さんのボケが進んだのかな?」と思っていたが、今日はその踏みつぶした虫を見せられたわけ。「証拠を見せた方がいいと思って」と言われてしまった。廊下にも1匹発見。雨の中外へ出たら、壁に何匹も這っている。2~3センチの足のたくさんあるやつ。たたくと丸くなるからヤスデだろうと早速インターネットで調べる。人間からは「不快害虫」と言われ、全国で結構「大量発生」している。手の届く範囲に存在したのは、申し訳ないが駆除させてもらった。朝から40匹!!!。壁の高いところのはそのまま。次から次へと出てくるようだ。

 今日の課題は「ヤスデ」駆除の対策。ホームセンターで薬を買ってこなくては。知っていたら教えてください。それにしても、風さん、疑ってごめんなさい。

2006年6月 5日 (月)

変だなこの苗・・・ホントにひまわり?

  畑は一人で作るにはかなり広く(100坪くらい)、野菜ばかりではとても処理できない。で花の種も蒔いている。さて、ひまわり。種を蒔いて1週間で発芽した。中にとても大きな苗が3本。「”にみくいアヒルの子”みたいな苗が3つ混ざっている。これホントにひまわり?」と思いながら見ている。確かにひまわりの種の袋から出した種しか蒔いてないのに。同じ時期に土中から違うDsc00033植物が芽を出したことは考えられなくもない。「絶対ひまわりじゃないね」と夫の言葉。しばらくは見守ることになるが、さて、童話のように白鳥となるかどうか。そんな小さなことも結構楽しみになる。 写真の手前2つが「アヒルの子」・・・うーんどう見てもツルののびる野菜のようだ、後ろに続くのがひまわりの苗。

2006年6月 3日 (土)

それぞれの天国

 生きていて天国を「感ずること」はひと様々。飛行機で地上がどんなお天気でも雲の上に出た瞬間の魔神さん、安心できる場でうとうとする、さっちゃん、柴に現れた6月の蛍の声を聞いている寅さん、日常の喧噪から離れてホッとしたり、時には自分を見つめ直したり、なーんにも考えないで自然を見つめたり。死後の天国とは違うけどそんな時間や感覚もいいですね。家の風さんは、ときどき隠居部屋のベッドの上で天国を感ずるようです。「天国へ 行かねばならぬ 旅支度」。

  私は、天国とはほど遠く、地球にはいつくばって、今日はサツマイモの苗を植えました。畝にビニールをかけて、あけた穴の中にひと苗ひと苗植え込みました。これは、実は以前の1年生が、「生活科」でサツマイモを植えていたのの、見よう見まね。コスモスの種を蒔き、暑さに強いオクラも蒔きました。この間、当地は雨が降らず、ちょっと乾燥気味ですが、根付きや発芽はうまくいくでしょうか。

2006年5月30日 (火)

1ヶ月にして収穫

 カブと水菜の種を蒔いたところたくさんの芽が出てきた。つんできたので間引きをした。その抜き菜が味噌汁の青みになった。収穫品第1号です。

 畑にしゃがみ込んで農作業をしていると近くの人が声をかけてくる。近所人「いろんなモノができて良いですね」、私「畑仕事は経験なくてカボチャは虫に食われちゃうし・・・」、近所人「まあ、いろいろやってみて覚えていくと良いですよ、もし支えの竹が必要な場合言ってください。僕の実家にたくさんありますから」。たわいもない会話がうれしい。汗をぽたぽた垂らしながら農作業の最中、サツマイモの畝作りを見よう見まねでやった今日のこと。

2006年5月28日 (日)

今からでも遅くないか?植物の名前覚え

 世の中には知らないことが山ほどあり、新聞を読んだとき、本を読んだとき、友達との会話などで、「えー、そうなんだ、知らなかった、おもしろそう」と思うことがいっぱいある。好奇心がむくむくと湧いてきて、じゃあちょっと調べてみるか、覚えてみるか、やってみるか、と入門書を買ったり通信教育をやろうとして申し込んだり、道具を買ってきて始めたり、と、かなりの「数」やってきた。習字、漢字博士、パズル、3D、テニス、ヨガ、ダンス、色鉛筆画、絵本作り、カクテル作り、ワイン、そば打ち、折り紙、・・・・数え上げるとキリがない。趣味ということで考えれば、美術館へ行ったり演劇・歌舞伎・映画をみたりという鑑賞も相当の数だが、いわゆる「受け身」や「聞くこと」ではなく、自分でできる・することができるものがほしい、という願望が強い。そして当然ながら何にもモノになってない。娘にもよく「ほんとにお母さんは何でも始めるのに続かないんだから」とあきれられた。

 で、引っ越し後のその一つ、植物に「親しむ」こと。ガーデニング、野菜作りを中心に、この間、「初めてのガーデニング教室」に参加したり、JA浜松の花木センターに日参したり、肥料や土の勉強したり、とのめり込んできた。「植物の名前を知らない」ことが結構コンプレックスになっていたのだ。植物をちゃんと育てられないことが恥ずかしかったのだ。友人と旅をしたりハイキングをして花や木の名前を聞いたとき、「えっ、そんなことも知らないの?」という顔をされたことがトラウマになっている。植物の名前と言っても、牧野富太郎の本を横に置いて見るのではなく、日常生活の中の植物を一つ一つ「覚えて」いくのだ。「覚える」脳が退化していて心許ないが、先ずは昨日植え込んだ「ハンギングバスケット」の植物5種と挿し木をした7種の植物をカードに書いて暗記中。このためこのHPも3日間ご無沙汰でした。「山椒の実」へのアクセスが1000を越しました。読んでくださってありがとうございます。

<F町の寅さんへ>柴にできた公園、植物はいっぱいですか?公園前の古文書堪能な方によろしく。お元気でしょうか。本当にお懐かしいです。

2006年5月25日 (木)

万年青の実

  宇都宮から万年青を持ってきて我が家の庭に植えた。昨年末から付けていた赤い実がとてもきれいで、実が落ちないように、と願いながらはるばる浜松まで引っ越ししてきたのだ。今日は五月晴れ、空Dsc00032の青によく映り、ついついじっと見つめていた。風さんがそれを見て「万年青の実がなるときはいいことがあるんだよ」と言った。そういうことがほんとに言われているのか確認していない。が、風さんはそう思っているようだ。万年青の実は秋の季語、いま だに実を付けているのは、ほんとにいいことがあるのかもしれない。そんなことを思うのは、ようやく生活が落ち着き、日常が軌道に乗り始めたからだろう。

2006年5月23日 (火)

「転居通知」からの贈り物

 引っ越しをして、今までお世話になった方々や年1回の年賀状のみのお付き合いの方々に、引っ越しの挨拶兼転居通知の葉書を出した。この間1日数通の葉書が届く。25年前に名古屋市で一緒だった人から、本当に久しぶりの便り。住所を見て、「天竜市が浜松市になったことを知らなかった」、「地図を見たら仕事で行ったところだった」などの言葉もある。大学を卒業して名古屋市に採用された同期の女性からは電話があった。実に30年以上話していなかった人と会話ができた。介護の体験談を書いてくださった方もある。「転居通知」をしたおかげで、「いろんな人との交流」という贈り物をいただいた

2006年5月17日 (水)

貧乏性と働き者

 肝っ玉母ちゃんがコメントで、「貧乏性」について書かれていました。私もよく「貧乏性だね」と言われたり、自身で「全く貧乏性でしょうがない」と言ったことがありました。ところで、ここ二俣では時々夕方に音楽が流れます。歌詞はありませんが、私の記憶では「緑の森の彼方から、陽気な歌が聞こえます。あれは水車の回る音、耳を澄ましてお聞きなさい、コトコトコットン、コトコトコットンファミレドシドレミファ、コトコトコットンコトコトコットン仕事に励みましょ、・・・・」というものです。この音楽が流れてきたとき、実は「貧乏性の歌だな」とふと思ったのです。その後の肝っ玉母さんのコメントがあってちょっと笑えました。小さいとき、とっても好きな歌でした。仕事をすること、働くことが何より大切なこと、と思っていたのです。遊べない人間でした。そうして35年間突っ走ってきたのですが。で、言いたいことは、肝っ玉母さん、貧乏性って、私は好きです。魔神さんの農園作りにも通ずるものがありますね。

 犬中3年7組さん、仕事ご苦労様、教育と企業のショールームについてぜひ良い企画をしてください。応援します。

2006年5月15日 (月)

晴耕雨読

 良いお天気だった。午前中は風さんの入浴サービスに対応した。午後近くの「種屋さん」に伺い、今畑で作るとすれば何が良いか、肥料はどうしたらいいか、などを聞く。カボチャとナスの苗、水菜とカブと青じその種と肥料を購入した。畑の畝作りをする。生まれて初めての体験、根っこや笹があって鍬で耕すのはなかなか大変。近所の人が見かねて土を耕す道具を貸してくださった。ともあれ購入した物は全部植えたり蒔いたりした。その間3時間。夢中だった。汗をかき土をあちこちに付けて帰宅。入浴後の食事のおいしかったこと。晴耕雨読に近い生活になってきた。しばらくはこれでいこう。気分が爽快だから

2006年5月14日 (日)

母の日の形

 日本全国母の日、子供は母親に対して感謝の気持ちをどんな伝え方をするのか、各家庭それぞれ千差万別。我が家は、息子と娘が東京で自立している。娘は携帯メールで朝早くカードを送ってきた。息子はテレビ電話で「一応母の日だから、何も送ってないけど」と10分ほど会話をしてきた。現代的というか、還暦間近のこの母である私も、子供に遅れじと、携帯メールをいじりテレビ電話でパソコンに向かう。この日を心にとめて、コンタクトを取ってくれた子供たちに感謝。

2006年5月13日 (土)

たくさんのコメントありがとう

この数日で「退職と転居」の葉書を180枚ほど出した。今日はその返事の電話やコメントが多くあり、個々のアドレスに返信できずすみません。まとめて以下に。

<南犬飼GTYさん> へ  カテゴリーにある内容で情報交換できるとうれしい。今のご当地の教育事情はいかがですか?

<肝っ玉かあちゃん>へ  相変わらず元気ですね。教育や子育て、そして生き方についてこれからも情報交換しましょう。役員さんたちがんばっていますか?

<PADさん>へ  まだメール送っていないんですが・・・アドレスまちがい???。ブログもまだおそるおそる書いているのが現状です。でもこうして書けるのもPADさんのおかげです。

独り言から脱却

「山椒の実」で独り言を書いて1週間、ようやく下野の人たちとつながりました。魔神さん、しもつけ831さん、コメントありがとうございました。とてもうれしかったです。すぐお顔が浮かんできましたよ。今日は土曜日だから魔神さんもゆっくりですね。しもつけ831さんはおでかけですか?「今日は何をしようか」と、朝目覚めたとき、先ず考えるのがこの1ヶ月の日課でした。もっともしなければならないことが多くて仕事に追われていたのが現状でしたが。今日くらいから、本格的に「今日何をしようか」と考えて、自分で一日を設計し実践していけそうです。無職というのは本当に自立心がないとやっていけないのですね。

2006年5月 9日 (火)

折れたボタンの花が咲いた

 自分の庭に植えたり育ててきた木や花には、家具類とは違う愛着がある。娘が小学校からもらってきたハナミズキの苗木が立派に育ち、ピンクの花を咲かせている。買ってきたビワを食べて種を庭に捨てたら芽が出て、今は見上げるような木になった。小さなビワの実もつける。もらったシャガーの花が増えてあちこちに咲いている。ムラサキシキブやセンリョウは実生、拾ってきたものが生えた。ナツツバキ、サルスベリ、ヤマボウシ、モミジは大きく育ち、春夏秋冬、その姿を変え目を楽しませてくれた。

 さて引っ越し、これらの中から自分で抜くこ とができ梱包のできたDsc00015小さな花だけを持ってきた。その一つのボタン、途中、つぼみがぽきんと折れて浜松に届いた。積み込んでから3日経っている。水切りをして砂糖水を入れた花瓶に挿してみた。数時間後、しおれていた茎や葉がしっかりしてきて翌日には花を咲かせた。宇都宮の庭が食卓の上にやってきたようだった。

 

2006年5月 7日 (日)

物を整理する

引っ越しをして2週間にたった。毎日毎日物の整理と3度の食事準備・片付けに追われている。仕事で書いた書類、印刷したもの、メモ、日記などなどをどうするか、もう絶対に使わないから捨ててしまう、それが整理の早道だとはわかっていても、「思い入れ」もあってnなかなか捨てられない。で、いくつかに分類して箱などにしまい、収納場所に片っ端から積んでいくことになる。「なぜこういう行為をしているのか」を問い返す。私は団塊の世代、あと何年生きられるかわからない、が、たぶんこの箱は「開かずの箱」になるのだろう、と思っていても、やっぱり捨てられない。出してみたり箱を入れ替えてみたり、で結局元のままでしまうことになる。そうした状態にかなりストレスを感じながら過ごす日々です。

2006年5月 5日 (金)

引っ越しとはかくも大変なんだ

岐阜県に生まれて18年住み、名古屋で15年、宇都宮で25年、そしてこのたび浜松に引っ越した。これまでため込んできたすべての「もの」を一切合切移動する。ものを「捨てる」潔さを持ち合わせない私にとってのこの2ヶ月は、タイトルのとおりぐったり疲れてしまった。仕事をし、子供を育て、義母の面倒をみながらの宇都宮生活25年間、私にとっての全く新しい地での生活の開始、還暦を目前にした身にとっては、かなりの負担だった。とにかくほとんど捨てないで、これまでの人生で作られた「もの」全部を持ってきた。さて、ここでの生活、まず何から始めるか、つんつん伸びてきた庭の草むしりが第一歩。5月5日、こどもの日。

2006年5月 3日 (水)

浜松からの最初の発信

 宇都宮から浜松に移って約2週間、ようやくブログで発信できることになりました。まだ、生活が安定していない中での発信ですが、とくに国分寺(下野市)の皆様と情報交換したくて、とりあえずの発信です。まったく新しい地、浜松での生活は、新鮮な気持ちで新しい地域、人、行政などへの好奇心に満ちています。まずは、「ごみの処理」から始まって近所の皆様への挨拶、スーパーの所在や住所変更などの諸手続き、義母の介護に伴う手続き、など仕事をしていたときより忙しい毎日です。これから徐々に環境を整備しつつ、さまざまな話題を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。