小学校へ入学したばかりの1年生、静かに聞いてくれるかなー、と思いながら絵本を読みに出かけた。選んだ本は「おなかのかわ」。けちで欲張りでくいしんぼうの猫が、招待してくれたオウムを始め、その後出会ったおばあさん、うまかた、王様の行列などを次々と食べてしまい、さいごにカニを食べたところで運命が変わってくるおはなし。
大正に創刊された「赤い鳥」主宰の鈴木三重吉が再話し、その後瀬田貞二が写真の絵本(福音館書店)として仕上げている。40歳前後の人たちには懐かしい絵本。演劇や影絵等にも取り上げられ、いわさきちひろの絵本もある。
初々しい光明小1年生の皆さんが真っ直ぐ前を見て静かに聞いていた。エライ! 担任の先生始め学校の取り組みがよく分かります。読み終わったところで、ある児童が「カニの前に兵隊が食べられたんだから鉄砲でおなかのかわに穴を開ければいいのに!」と発言、思わず「そうだよねー」。
最後の2枚、オウムを食べてしまった猫の表情と猫のおなかから救われて出てきたオウムの表情がとてもユーモラス。絵は村山知義。
浜松市で行われた「子ども読書推進講演会」に参加し、脇明子ノートルダム清心女子大学教授の「読む力は生きる力」の講演を聞いた。講師は、「岡山子どもの本の会」代表で、ブックスタートから幼児児童生徒の読書活動に数々の提言をされてきた方である。読み聞かせに参加し、本の選択を考えるようになって初めて接する分野である。
たくさんの内容の中で印象に残ったこと。必要なのは「読書推進」ではなく子どもがちゃんと育つこと、なんでもたくさん読めばよい、のではなく、「質の良い」本を選ぶこと。本は食べ物と同じで、健康に良くて栄養のある物を選んで手渡すのは大人の役目。今、子どもたちはテレビ、ゲーム、ネット、携帯電話などのメディア漬け状況にあり極めて危険な状況だ。・・・以上のことには大いに同感。
小学校の読み聞かせに適した本のリストもあり大変ありがたいのだが、最近よく取り上げられている絵本の批判になると、しっかり自分で考えてみなくては、という気になった。批判的に取り上げられた絵本に、宮西達也作・絵の「ティラノザウルスシリーズ」、いわむらかずおの「14ひきのシリーズ」、レオニー「スイミー」などがある。子どもが主人公に感情移入しながら人としての感情を育み、それを必要に応じて制御していく力を身につけることが大切で、先に挙げた絵本は感情移入ができない、などとの指摘だった。
この間いくつかの講習を受けて少し引っかかりを感じていた点、読み聞かせにいい本の範囲の「堅苦しさ」のようなことを感じてしまった。が、これは私自身の勉強不足ともいえるので、もう少し色々な本を読んで自分なりの考えをもたなければならないのだろう。
平成18年度に基礎講座を修了し、今度はステップアップ講座を受講している。今日はその3日目で「声の出し方の実技指導」。声楽家で発声の指導をされている講師の先生から、松岡享子「それ ほんとう?」をテキストに実技指導を受けた。
先ず姿勢、いすの場合は浅く腰掛け足は真っ直ぐにする。立った姿勢の場合はしっかり重心が真下に落ちるように立ちふらつかない姿勢を取る。声がお腹から出るように体をほぐす準備をする。歌も読み聞かせも、メッセージ・心を伝えるということでは同じ。発音は母音が大切。日本語をきれいに発音するためには鼻濁音と母音の無声化に注意して発音する。息を吐きながら発声する。
発声の基本に照らして、改めて自分の読み方の癖を知ったし、こうした発声についての練習をもっとしなくては、と感じさせ、とても楽しい講座だった。テキストになった「それ ほんとう?」と谷川俊太郎「ことばあそびうた」を借りてきて、風さんの前で朗読してみた。後について風さんがいっしょに口を動かしていたが、脳の活性化にも効果あるのだろう。
天竜おはなしの会で、地域の社会福祉協議会が行った親子合同おはなし会に参加した。ふたつの幼稚園の園児と保護者に対して、紙芝居「因幡の白兎」・素話「腐った風」・寸劇「大きなカブ」を行った。
私は専ら裏方中心だったが、「大きなカブ」では、犬の役割で出演した。演技などということは小学校の学芸会以来50年ぶり、前日にわが家の愛犬「姫」の顔を観察して、夫が犬の鼻を作ってくれたので、100円ショップで買った犬の顔をかぶって出場したのだが・・・・少しの台詞も声がうわずってしまい、しかしまあ、犬の顔だけは少しは園児に受けたようだ。
朗読、読み聞かせ、演技どれにもこの歳まで縁がなかった。還暦の年になってなぜこうしたことに足をつっこんだのか、自分でもよく分からないのだが、「演じてみたい」という潜在的な欲求があったのかもしれない。先輩に学んでちょっと楽しい体験をこれからもしてみたい、と思っている。
「社会福祉」という言葉は今まででもよく聞かれた言葉だ。「社会的弱者」という保護を必要とする人々への援助の仕組みを言う。それに対して地域住民や団体が地域を単位として福祉の実践をする活動を「地域福祉」という。前者は行政の施策として、後者は民間団体や個人的な地域ボランティアを主体とするようだ。
過日、浜松市の社会福祉協議会主催「地域福祉活動研究発表会」に参加した。会場に入ってちょっとビックリした。参加者の多くが白髪・ロマンスグレーの男性が多かったからだ。私にとって地域の福祉の担い手は、配食サービス、家事支援、介護予防ボランティアなどどう見ても女性が主体だと思ってきたのでそのギャップが大きかった。実際に動いている人ではなく福祉の組織を作っているのは男性が多いと言うことだろううか。でも、よく考えれば男女関わりなく地域で助け合っていくことがこれからの大きな流れなんだろうと思う。
今日、風さんはデイサービスに行く日だ。足腰が弱り自宅から出るのも一苦労。一歩一歩ゆっくり足の運びを援助しつつやっと駐車場まで連れ出し、いすに座っていたときのこと、ご近所の方々が実に親身になって声掛けをしてくれる、こんな姿が本当の地域福祉だなー、と実感した次第。
頼まれて小学生といっしょに折り紙をやった。福祉の分野で何で折り紙か、ということは脇に置いておく。集まってきた5人の小学生と数人の大人、みんなでワイワイ、折り紙でサンタのツリーを作った。本当に久々に小学生に教えた。
作り方を聞いてくる声、「ここがうまくいかないな」というつぶやき、出来上がったときのいい顔、2年前を思い出すなー。
最近朝日新聞夕刊に「先生に出会う」という記事が連載されている。そこに出てくる「自分は格好悪く悩む教師だと思う。子どもにビシッと指導できず、親にもビシッといえない」という教師が取り上げられていたが、子どもと接していてよく悩んでいたもんだ、と自分に重ねて読んでいる。すでに過ぎ去ったことではあるが・・・。
昨日共にヘルパー講習を修了した人たちが、自主的に、消防署の救命士による講習会をもった。介護予防や訪問介護・施設介護などでは、命に関わる場面に遭遇することがあり得る。基本的な理論や技術を学んでおいたほうがいい、という理由からだ。
かつて宮仕えをしていたときも2度ほどこの講習を受けたが、その時に比べて今回は実に「身の入った」研修となった。義務としていやいや受けた研修ではなかったから。
救命処置として、心肺蘇生法を中心に、異物除去、出血などの救急処置を学んだ。救急車が連絡を受けて現場に到着する時間の平均は6分以上、その間に現場に居合わせた人が心肺停止状態になった人に対して行う心肺蘇生法の実習。
反応確認→助けを呼ぶ(119番通報・AEDの依頼)→気道の確保→人工呼吸→胸骨圧迫の手順を実際にやってみる。次いでAED(電気ショック)の使い方。
理論と技術も必要だが、何より必要なのは勇気と落ち着き、ということを学ぶ。今回のヘルパー研修のおまけ・副産物。
3月から今月初めまで、毎週金曜日、96歳の目の見えない、歴史好きな男性のために、歴史に関する本を読んできた。「その時歴史が動いた」や「阿多古の歴史」などの地方史を朗読した。時折内容に関する話などをしながら先回で18回目の「読みボラ」。高齢になっても知的な好奇心を失わない姿に感銘をうけていた。
今日、関係のケアマネージャーから、その人が入院された、という話を聞いた。もう「読みボラ」をすることはできなくなった。
高齢者に対するボランティアをしている以上、こうしたことになるのは十分予測はされたことだ。でも正直なところガックリした。夕食時、風さんにその気持ちを話したが返事は帰ってこなかった。ボランティアが希望の持てる形で終わればこういう悲しさはあるまいが・・・。
高齢者のための施設には、養護老人ホームを始め沢山の施設がある。そこに集う人たちの生活を豊かにするためにさまざまなボランティア活動が行われている。今日出かけたのは、介護認定を受けた方のデイサービスや要支援とされた方々の訓練を行っている施設である。午後1時間ほど、属しているサークルの一員として参加した。
「花咲じいさん」の大型紙芝居や寸劇、ゲームのプログラム。午前中練習し6名で参加。「花咲じいさん」のお話しもいろんなパターンがあるが、今回のは松谷みよ子原作、この紙芝居で、犬の名前はポチかシロか、花咲じいさんの「ポチ」がどこから来たのか、など初めて知った。また、ポチはおじいさんを背に乗せて山の「ココ掘れわんわん」の場所に連れて行くんだ、ということも。歌の内容とのずれもある。昔話を通して読んだことがなかったのか、記憶に残っていないのか。
こうした場所にボランティアで行く以上、数個の出し物を自分のものにしておかないといけない。時間が余ったので2つほど指遊びをやったが、これでネタ尽き。
浜松市の「シルバーサポーター養成講座第2回」に参加。視覚や聴覚障害、老化によって手が不自由になったときを体験し、「どう援助されると安心して行動できるか」を考える。
高齢者に接する場合、「相手の目線に合わせ、人間として尊重して」などといった言葉での理解だけではなく、実際に実践することを学んでいく。自分がこうしたことを学ぶ場にいることに、今なお少し「違和感」を持ってしまうこともあるのだが、素直に学べば人への接し方について自己を振り返るいい機会となる。
耳の遠い人に文字でわかりやすく書いて示す、まず言葉かけしてしてから手を出す、などはすぐに実践できそう。サポーター同士の受容も大切。いっしょに仕事をしていて意見の違いがあるのは当然だが、それをどう伝えるかなどは日々の課題。疑似体験は、いわゆる「相手の立場に立つ」ということを身をもって考える機会だ。
「ささの葉さらさら♪♪・・・」、誰もが歌った歌。今、七夕といえば、幼稚園・保育園・小学校低学年、そして高齢者クラブや老人ホームの話題だろうか。
折り
紙に興味を持ってか
ら、特別こ
の行事に関心を持つようになった。(写真:左2つ) もちろん、子どもが小さい頃は、毎年家族で笹飾りを作ってきたが、子どもが大きくなってからも、実は細々、自分だけの笹飾りを作ってきた。今年は、当地の高齢者クラブのお世話していることもあって、堂々と笹飾りを作った。写真は居間に飾られた笹飾り。高齢者クラブの笹飾りのために、撚った「こよ
り」は実に200本、しかしこのことについては反省が必要。一応「こより」は作ってはおいたが、3枚ほど高齢者の方々にやっていただいたところ、実に丁寧に作られていた。「昔取った杵柄」、こよりを撚る高齢者の顔は真剣そのもの、事前に私が作っておくのではなく、全部、高齢者に作っていただければ良かったなー。
いよ
いよ私も小学校の読み聞かせボランティアに加わる。ちょっとドキドキしながら初めての小学校に行く。6年生のクラスで、佐藤さとる作の「きつね三吉」を読む。実は昨日高齢者クラブで読んで練習させてもらった。写
真左端は青空
文庫(日本標準社)のものを、当日読みやすくするために作った小冊子。残り二つは、偕成社の絵本で村上勉の挿絵。表情がとてもいい。
きらきらした目で聞いてくれる子ども達からエネルギーをもらったようだ。表現活動に力を入れ、次々児童が校長室に一人で来て歌を歌ったりする取り組みをしているという校長先生の話。「一人で」ということに大変感心した。
下野のおはなしポケットやほがらか文庫の皆さん、1年目にしてようやく仲間入りができましたよ。
浜松市社会福祉協議会が、浜松市から委託を受けて、地域の高齢者グループや老人クラブにサポーターを派遣してレクレーションなどを提供し、健康維持・増進への支援を行う事業が昨年度から始まっている。そのサポーターの養成講座に参加した。全4回の1回目。市内全域から43名のサポーターになろうとしている人たちと行政関係者など約60名が集まり、担当の野末あけみさんの軽妙な語り口やグループワークを通して事業のねらいや心構えなどを考えた。
「ご当地」体操「やらまいか」も練習、これは15年前に小椋佳さんが作詞・作曲した「浜松わたしの歌”やら舞歌”」に野末さんが振り付けを考えたもの。自宅で練習までした。
最近、物事に対する考えが変わってきたなー、と思う。行政の施策に関わることに批判的だったころもあったのだが。地域の中で生きていく、という思いからかもしれない。
高齢者クラブでのこと。今日は地域のピアノ教室を開いている方が、ボランティアとして来てくださり、「茶摘み」「あめふりお月さん」など季節にあった歌や「水戸黄門」などハンドベルの演奏を教えていただいた。大きな声で歌い、ハンドベルで頭も使った。
その「あめふりお月さん」の歌詞の「お嫁に行くときゃだれと行く」に関して、自分の場合はどうだったかについての話になった。船に乗っていった、島田を結って歩いて行った、戦争中で派手なことはできずもんぺ姿だった、などと大いに話が盛り上がっていたとき、一人の会員さんが、「この中には結婚しなかった人もいるんだから、こうした話題は・・・」とそっと耳打ちしてくださった。さりげなく話題を変えられたが、ちょっと考えさせられた出来事だった。
アジ
サイの季節、犬の散
歩をしながらさまざまなアジサイを見る。高齢者クラブ「はつらつ」で、小さな季節の色紙を作ることになった。自分で凝って時間をかければいろいろできるが、大切なのは、きれい・簡単・安価・作って嬉しいこと。相棒と相談。写真は、今までに作った物だが、改良しもう少し手際よくせねば。別名「よひろ」というように四つの萼なので折りやすい
アジサイの話をしていたら、風さんが、「紫陽花や 七色尽きて 秋に入る、という句があったなー。誰の句だったかなー」とつぶやいた。「風さんが作ったんじゃないの?」と茶化したら、「私にはこんなしゃれたことは言えん」とのこと。手元にある「四季花ごよみ」(講談社)や「角川大歳時記」などをめくってみるが出てこない。誰の句かな?
「元気はつらつ教室」の皆さんと、磐田市にある「香りの博物館」と「新造形創造館」に出かけた。歴史の中での香りや実生活での香りなど、どこにでもある事ながら、正面からとらえることの少ない香りについて、経験したり考えたり、と珍しい体験をした。香りは人にとって心地よい匂いだ。「臭い」と書くとまた違った意味になる。高齢化に伴い嗅覚も衰えるのが常であるが、自然界にある花などに鼻を近づけてかいだことは誰にでもあることだ。香道という日本文化の伝統もある。
この野外活動を機に、わが家の玄関に飾ってあった義兄手作りの香炉に香が焚かれることとなった。
「エジプトの香り」という初めての経験もし、新しい畳やひのき風呂などの香りやハーブの香りなど、普段の生活の中にある香りについて改めて考えた日となった
高齢者が集まって、何か生き甲斐となることや自分のためになることをする、そんな場の設定に関わったとき、どんなことをするか、ネタ集めが大切な仕事だ。何かをしてもらう、という受け身ではなく、参加して何かをする、そんな経験をしてもらえるネタを作らねば。
体操をする棒を試作してみる。以前レクレーション教室で学んだことを生かす。新聞紙とアルミボイル、ラップ、ビニールテープを使う。このバーを使っていろいろな体操をしたり体をはたいて活性化する。新聞紙を細く丸めるのが難しいが、ぜひみんなで作って楽しい体操をしたいものだ。
図書館で「なぞなぞゲーム集」(ひかりのくに刊)や「お年寄りと絵本ちょっといい時間」(一声社)などの本を借り準備する。独りよがりにならないよう注意しながら。
介護保険を受けてはいないが、一人暮らしだったり体に不安を抱えている高齢者がある。そうした人が引きこもり状態になったり介護を受ける状態になることを防ぐために、様々な事業が行われている。その一つに社会福祉協議会の「元気はつらつ教室」があり、そこに私も少しではあるが関わってきた。
健康記録表を入れるケースを、次回に作ることにし、担当しているO嬢といっしょにその内容の打ち合わせをした。何かを作るには準備がいるし、まして高齢者に作ってもらうためにはその手順をしっかり把握しておくことが必要だ。経験を積んでいるO嬢のイメージのふくらみや手順の示し方に教わりながら準備した。「簡単で、きれいで、安く」がモットーとのこと。
「工作」は苦手だが、あれこれ作っているうちに楽しくなり、写真のようにいろいろできた。子どもの頃の遊びである工作・粘土細工・お絵かきなどの経験しかないが、大人の工作、粘土細工、お絵かきなどに発展させていきたいものだ。発想、創造性などが必要だが・・・・かたくなった頭を柔らかくして知恵を絞って。
全く新しい地で生活することになり、「地域に入る」ためにはどうしたらよいか、と考え、まず手っ取り早く「ボランティアしてみよう」と、あちこち顔を出してもうすぐ1年になる。1年目にして、おそらくボランティアについて最も情報をもっているのが「社会福祉協議会」である、というところにたどり着いた。
「社会福祉協議会」は、民間の社会福祉活動を推進することを目的とした営利を目的としない民間組織で、昭和26年に制定された社会福祉事業法(現在の社会福祉法)に基づき設置されている。全国や都道府県にも組織があるが、最前線で活動しているのが市町村の社会福祉協議会で、そこには正規の職員、嘱託職員、臨時職員、パート職員、そして無償のボランティアなど様々な条件の人々が働いている。そして内容についても地域の特性を踏まえた独自の活動内容がある。ボランティアとしてではあったが今年1年間でいろいろ考えさせられた。活動にかかる経費についても然り、今日、地域での高齢者福祉に取り組んでいる方々の会合に加えさせていただき、多くの課題があることをこれまた初めて知った次第。勉強しなくちゃー。
天竜図書館で行われている「おはなしポケットの会」、いずれ読み聞かせをしてみよう、という気があったので、今日見学に行った。そしたら、「ぜひ読み聞かせをやってください」と言うことになり、2冊絵本を読み、おまけに「茶々壺茶壺」の手遊びまでやってしまった。
2ヵ月ほど前に受けた研修では、「いきあたりばったりの読み聞かせ」ではだめ、と言われていたのだが。
3歳から4年生までの年齢差があったが15人の子どもたちはよく聞いてくれた。久々に本に集中する子どもたちを見て嬉しかった。また、赤ちゃんを抱いたお母さんが3人も来ておられたのには感心した。もうちょっとよく準備してやってみたい、と思ったことだ。
高齢者で目が見辛く本が読めない人のための「朗読ボランティア」に行く。明治生まれ、自宅で一人過ごしている人で歴史に興味があるという。「その時歴史が動いた」の奥州藤原氏と源実朝について40分ほど読んだ。「吾妻鏡」の史料文やインタビュー記事などは、聞きやすいように読むよう努力したが、ぶっつけ本番なので多少とちったが、喜んでもらえて何よりだった。週1時間くらい奉仕できそうだ。
私も歴史は大好きなので、読みながら私自身がその内容にのめり込みそうだ。「藤原秀衡のそばに葬られた首だけのミイラ、これは義経を討った泰衡の首ではないか」「源実朝は政治から和歌に逃げたのではなく聖徳太子に習った政治をしようとしたのではないか」などの視点に、「ふーん」と思いながら朗読したことだ。
「傾聴ボランティア」講座に参加した。浜松市が行う「地域住民福祉セミナー」の一つ。社会福祉協議会の職員に誘われて、ちょっと行ってみるか、と言う気持ちで参加。まあ、良い聞き手になるにはどうしたら良いか、と言うようなことだった。「聞き上手」という言葉があるように、ボランティアの場合、「話しやすい相手だ」「聞いてもらって良かった」「話してすっきりした」という気分を持ってもらうにはどうしたらいいか、という話と実習だった。30名ほど参加していたが私の知った人はひとりもいなかった。その中で何人かの知り合いができた。「聴く」と言うことの大切さを少し知ったような気がする。果たして私は風さんの話を本当に聴いているのだろうか、自問したところだ。
「読み聞かせボランティア養成講座」全10回が本日終了した。よく準備された講座で浜松市の図書館員が一生懸命取り組んでいて、この10回とても楽しかったといってよい。さて、この「読み聞かせ」という言葉、行政用語としてもボランティアの用語としても定着しているようだが、なにかあまりみみざわりが良くない。といって代案があるわけではない。絵本を見せるだけではなく大人が読んでやることによって、子どもがその楽しさを一層味わうことができる、いうことなのだが。まあ、こだわらなくてもいいか。今後実践にいかしたいものだ。
地域の80歳を越した人たちと「ステッチニット」の講習に参加している。ベストを作り、いまカーデガンに挑戦中。近くの児童館で行われこれで4回目。
「私は90歳までこうやってみんなで集まりいろいろ作っていきたい。歩けなくなったら家で手作業ができるように、いま「さきおり」の機械を買ったところ」
「私は100歳まで生きたいなあ、口と手と両方しっかり使って」
こうした言葉を聞いているとホントに元気だなー、と思う。手先を使って何かを作る、ということは元気な高齢者である一つのポイントかもしれない。
今日は一日、様々なボランティアのための研修をした。午前中は図書館で読み聞かせや朗読の練習、NHKの朗読講座を受講した人からの伝達講習、みんなで宮沢賢治作「なめとこ山の熊」の朗読会をやる。もちろんうまく読めない。全然読み込んでいないからだ。課題をいっぱいもらって戻る。午後は、高齢者に対するレクレーションの講習会、3時間、ゲーム・体操と体を動かしたりしながらみっちりやる。この間、いろいろ「学び三昧」の生活をしていると、「今までの自分を壊し新しい自分を作っている」というような感じがする。前の職業からくる匂いというか思考・行動パターンからは、ずいぶん脱皮できたように思うのだが。
読み聞かせの講座で、「おはなし会でこの本を取り上げる」ことについて話し合う。斉藤隆介・滝平二郎コンビのよく知られた絵本。「子どもが主人公に同化して幸せな気分になれるか」が話題となる。「人に優しくしたり、他の人を考えて我慢したり」すると花が咲く、というテーマが先に立っているので、フォローの時間がとれないおはなし会や朝の10分読書などではつかいづらい。20分くらいの話し合いの結果、安易に取り上げないで場を選んで使いたい本だ、と言うような結論になった。自宅に帰ってインターネットで、この本について書かれたブログを見たり朗読などを聞いてみる。私自身はこの絵本そのものは好きだが、多分おはなし会では使わないだろう、と現時点では考えている。若いお母さんたちとの話し合いはとても面白い。
高齢者に対するボランティアに参加し、現在行われている様々な行政・民間の施策について知るようになった。併せて風さんの在宅介護の中でも新しく知ることも多くある。「介護予防」という言葉が頻繁に使われ、現在私は、できるだけ介護を受けないで生活できるように支援していく取り組みに参加している。高齢者が定期的に集まっておしゃべりや楽しみ会を行う場、運動機能をできるだけ維持し低下させないための「運動」教室のボランティアである。今日、来年度一つの高齢者の集まりを担当してもらえないか、という話があった。こうなるとボランティアではなく「仕事」になる。これが今本当にやりたいことか、と自問してみる。趣味を広げるだけでなく社会的な役割を担って生きていきたい、というのは私の基本的な欲求のような気がしている。児童・生徒の教育とは大いに違うが、責任を持ってやっていくことを真剣に考えているところだ。
毎週金曜日に実施されているこの講座も、今日で8回目、当然皆勤。今日も体調は万全ではなかったが参加し「絵本の選び方実習1」を学んだ。この講座は幼児から9歳までの児童に対するおはなし会の実施に関するもので、すでに評価が確定しているリスト以外の本が、果たしておはなし会にふさわしいかを検討するのである。本の選定には、主人公が明確であること、ストーリーがしっかりしていること、主人公が幸福な結末を迎える、ストーリーの複雑さや心理描写が多いものは避ける、遠目の聞く絵、適正な文章量などなどの観点がある。1冊1冊の絵本に様々な評価をしていくのは勉強になる。絵本としての評ではなく、あくまでおはなし会に利用する本としての評価にしぼる。「とべないほたる」「花さき山」「100万回生きたねこ」にさまざまな意見が出る。ここでは経験者の言葉が重い。思いつきではなく計画的な営みとしての読み聞かせを実感するいい機会だった。この間、ほぼ毎週図書館に通い絵本を読んでいて100冊を超えた。ついつい大人がのめり込んでしまうが、そういう本は得てしておはなし会にはふさわしくないことが多い。でも楽しいものだ、新しく体験している絵本の世界も。
「60の手習い」でこの間いろいろなことに挑戦してきているが、「やっぱり聞いてみるもんだ」と実感することが多い。知っているつもり、ではダメなんだ。今日の講座では、絵本の読み方で、「大げさな台詞回しや声色を使わない、身振り手振りも入れない」という原則を聞いて、納得、作品の世界よりも読み手が目立ってはいけないということだ。植物を育てる、俳句をやる、そして読み聞かせ、その他すべてのことにも数年は基本に忠実に、を心に決めている。今までがあまりにも、「分かったような」行動をしていたからだ。正月明けには実習もある。基本は鏡を見て「読み聞かせ」の練習をすることだ、と思った次第。
浜松市の隣、磐田市の公民館で高齢者の交通安全教室が開かれた。「天竜おはなしの会」のメンバーに加えていただき、4名で参加、紙芝居や詩、交通遺児の作文の朗読などが行われた。私は紙芝居で狸の子どもの台詞を担当した。「初めてとは思えない」というお褒めの言葉に大変良い気分。何歳になっても褒められれば嬉しい。表現活動や演技ということが昔から苦手な人間だったのだが、もう人の目を気にする歳ではない、と思い切ったら結構やれるようになったのが不思議だ。
最近谷川俊太郎の随筆をよく読んでいる。現職の時は集会などで様々な詩を読んだり学校便りなどに書いたりしたものだが、本当に分かってやっていたのか、とちょっと胸が痛む。自分の押しつけたいことを文字面を表面的にとらえて詩に託しただけではないのか、という思いがある。膨大な著作を全部は読めないが、これからもじっくり読み考えてみたい詩人の文章である。
「レクレーション教室」ってのに行ってきた。浜松市の社会福祉協議会の職員が熱心に誘ってくれたので「好奇心」で参加。遊心研究所の講師が、じゃんけんゲームや傾聴練習などいろいろ実演や実習をさせてくれ結構面白かった。持ち物の項目に、「とびっきりの笑顔」とあった。あちこちのボランティアでの顔見知りもあったが、知らない人との話もまた面白かった。無心に(私心なく、というほうがいいかな))自分という人間を表現していく楽しさを味わいつつある。周りによく知った人のいない強さでもある。今日の一番の収穫は、この場で偶然一緒になった人から、「ここ(天竜)で読み聞かせを一緒にやりませんか?」と誘われたこと。退職後いろいろ挑戦してきてスケジュール表が詰まってきたので、そろそろ整理しなくては、と思っている。
新しいボランティアに行ってきた。「運動器の機能向上トレーニングボランティア」といい、高齢者が元気に過ごせるよう、様々な運動を支援するもの。特に全身の筋肉を鍛えたり、呼吸を整えたり、指の運動をしたりと2時間みっちり運動する。ゴムやマットなどの道具も使う。耳の聞こえない人や足の不自由な人が運動できるように援助する。新しい介護制度の中で、できるだけ寝たきり状態になることを予防するのが目的のようだ。家の風さんにも是非させてみよう、というのもあった。もちろん自分自身の行く末のためでもあるのだが。
「はつらつクラブ」というやや元気な高齢者十数名の野外活動のお手伝いをした。朝、施設を出て、「お茶の郷博物館」の見学、金谷日限地蔵参詣など一日付き合った。足が不自由で歩きづらい方、車いすの方への個別対応が仕事である。この行事の企画責任者や正規の職員が中心になって運営し、ボランティアはそれを支える脇役、その立場に如何に徹することが出来るか、それがボランティアなんだと改めて思った。こうした立場で仕事をしたことのない自分が、どこまで脇役に徹することが出来るか、自分を試しているような気分だった。「ボランティアをする」ということはこういうことなんだ、とやや「もの足りなさ」といった感じを持ったが、参加者の方々の笑顔や見学先での新しい経験は楽しいものだった。
社会福祉協議会から電話がきた。来月お年寄りをハイキングに連れて行くので、ボランティアとして参加して欲しいとのこと。これまでは週1回「押しかけボランティア」をしてきたが、「見習い」程度だった。ここに来てようやく「役割」がまわってきた。自宅で介護するのも大切な役割だが、外に出て「仕事」として役割を果たす、というのは人間の基本的な欲求なんだろう。「自分も楽しみながら役に立つ」というのがボランティアの基本。教える、指示するということは一切なし、でないとこの役目は果たせない、ということをこの間実感してきたところだ。
「遠州に 生まれ野州に 老いにけり」と、数年前、風さんが詠んだ。今また遠州に戻りゆっくり過ごしている。私の場合は、濃州に生まれ 尾州・野州で働き、遠州に「林住」することになったわけだ。ヒンズー教では、人生を、学習・家住・林住・遊行の4期に分け、勉強する・成人して職業と家庭を持つ・家督を子どもに譲り自然の中で生きる・宗教生活をして死を迎える、といった時期と説明されている。数学者の森毅氏も、昔読んだ文の中で、人生を4つに区切って考えるといい、というようなことを言っていた記憶がある。
昨日4ヶ月ぶりに野州に行ってきた。結婚式とその後の二つの会合で、半日近く「飲んでいた」。懐かしい、という感情より、4ヶ月をワープした感じだった。下野831さん(だと思う)が、「ブログの山椒の実を毎日見ているので、遠くに別れているって気がせず、毎日会っているような気持ちだ」と嬉しいことを言ってくださった。これからも話題を見つけ出し、がんばって書き続けよう、と思ったことだ。それにしても、野州の人たちとのお付き合い、遊行期まで続くだろうか。
ボランティアも回数を重ね、8月16日は何回目になるか、真夏の日のこと、15名のお年寄りが集まってきた。あいさつの後、担当の主任さんが、「暑いですね、昨日は終戦記念日でしたね」と話し始めると、とたんにかなりの人が、「あの頃はね」と堰を切ったように話し始める。主任さんはじっと耳を傾けて、無理に自分の話を進めない。「ここで自分のことや昔のことを話せるのが一番大切なこと」。
「この日は”平壌(へいじょう)”にいた。満鉄に勤めていて瀋陽にいたんだけど、終戦のことを聞いて平壌に来た。10月に日本に戻れた」と言う話に、他の人から、「大変だったね」「ソ連の兵隊は見たの?」などの質問が出る。食糧不足を始め生活の大変さが、体験として語られる。ここに集まっている人たちは、終戦の時は青春真っ直中、たくさんの苦労を経ての今、歴史を実感するひととき。
今日の作業は手作りアルバム作り、薄紙を挟んでのり付けをし、色上質紙を綴じ込む、1頁ずつ作業するのを手伝う。ゆっくりだがその準備と段取りの良さに感心する。集まって来た人たちに、どんなことをして1日過ごしてもらうか、を考え準備するのが大変、という主任さん、65歳、10年前高齢者の集まりを立ち上げた担当者とのこと。
5回目の「押しかけボランティア」。初めての班の人や指導者との出会い。今日は七夕の飾りを作る。すでにセットされているものだが、折り紙4枚で作ったランタン、わっかつづり、お星様、短冊を作成して「プラスティック」の笹にかざるというもの。作業を手伝う。その中で感じたこと。①短冊に何を書くか、ずいぶん考えて結局何も書かずそのまま付けた人が数人。②わっかつづりを、「初めて作った」という人がいたこと。記憶とは何でどう失われていくか。
それにしてもこの「はつらつクラブ」は3班あり、全部に参加させてもらったが、「指導者によってこんなに雰囲気が違うのか」、を実感。一緒に人生を楽しんで行こうとする姿勢と、指示をして何かをさせようとする姿勢と、その比重がどちらにかかっているかで、お年寄りの顔・雰囲気が違う、かつての職業を棚に上げ、ついつい「評価」してしまいました。
うちへ帰って、「風さんだったら短冊になんて書く?」と聞いたら、「今が満足だから何にも願い事はない」とのこと。意地悪して、「自分のことだけでなくて家族や他の人の事を書くとしたら?」というと、「今は自分が極楽だから人の事はいいの」と言われてしまった。今年は風さんと二人で七夕飾りをしようと思う。娘が15歳までは毎年大きな笹飾りを作っていたが、この10年間やってない。さて、私の短冊に書くことばは、平凡だけど、「ナスがたくさんなりますように」かな。
毎週水曜日に「押しかけボランティア」で、社会福祉協議会へ行っていて今日は4回目。正式にはタイトルの「はつらつクラブ」という。日によって集まる人や数、市の担当者が違うので雰囲気も微妙に違う。今日は17名、いろいろおしゃべりをする。「徳川信康」の話をしたが、歴史には興味のない人もいておもしろく聞いてもらうには工夫が必要。信長の声色を使ってやってみたが、演技力が問われる。修行不足。
当地では実家のことを「お在所」という。栃木ではこの言葉は通じなかったように思う。自分の出た実家に「お」をつけるのはとてもおもしろい。嫁いできた「嫁」の実家に敬意を表しているのかな?とも思ったが、「おざいしょ」ってとてもいい音のような気がする。
社会福祉協議会のデイサービスにボランティアに行く。とにかく自分が何ができるか、見学をしつつ考えよう、ということで3時間ほど家を空けることにする。その間、風さんが心配だから、途中にヘルパーさんに入ってもらう。ヘルパーさんに入ってもらい、その間自分は介護施設でボランティア、というのも、今よく言われる「効率」から言えば変なものだが、これは「私」のため。
さて、今日は音楽の時間。ほとんどが大正生まれの80歳代、ピアノの先生がボランティアに来ていらして、歌を歌ったり音楽に合わせて体操したり、ハンドベルを練習したり、その合間に、歌の中に出てくる話題のおしゃべりが続く。「夏は来ぬ」では「卯の花」とはどんな花か、ホトトギスは何と鳴くか。「瀬戸の花嫁」では、おばあちゃんたちの結婚式の時の様子を話してもらったり。2時間が結構短かった。その後、その音楽の先生と施設の職員と一緒に昼食、また、当地の様子が少しわかってきた。しばらくは週1これでいこう。
<PADさん ぼうしさんへ> ひまわりの苗に混じった「アヒルの子」の情報、ありがとうございました。あと、1ヶ月もすればわかるので、またお知らせします。ところで、野菜作りは楽しいのですが、大変なことを忘れていました。作ったものを食べなくいてはならない、ということを。水菜がいっぱい出てきました。昨日は、サラダ、漬け物、味噌汁の青み、に使いましたが、作ったモノに「食べろよな」と追いかけられ脅迫されそうな気分。
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