2009年3月 9日 (月)

「万葉食」初体験

 浜松市浜北区に「万葉の森公園」がある。万葉集に浜北ゆかりの歌が4首収められていることから、合併前の浜北市によって設立された。ガーデニング教室の主催で椿園の見学及び万葉食体験に出かけた。

 地域Dsc02647の研究会によって万葉食が再現されている。赤米(古代米)のご飯、貝とノビルの羮、鯛の醤(ひしお)酢、ナズナなどの万葉植物の揚げ物、フユアオイのお浸し、大根の浜納豆煮、にぎめ(アオノリ)の酢の物、蘇(チーズの類)、ヒシの実、碁石茶・・といった初体験の食べ物。 おいしさというより珍しさで食べる

Dsc02635 園内にDsc02639は約300種Dsc02644類の万葉集に関わる植物があり、中でも数多くの椿が植えられ、係の方から詳しい説明を受けた。紅白の写真は「胡蝶侘助」。また、葉の先が割れているピンクのものは「金魚葉椿」と椿の名前もたくさん知った。Dsc02640

 春の木とDsc02638書いて椿という漢字は和製、早春の花にふさわしい。油料や染料として古くから使われていた。散るときは殆ど上を向いている。 まるで地面から直接咲いているように

 生家の裏口に椿の木があった。小さいときみんなでよく登った。実が落ちると集めて母に渡すと喜ばれた、椿油を髪の毛につけるのだ。小さな瓶に入った椿油が鏡台の前に置いてあったことを思い出す。

2009年2月23日 (月)

身延山へ行く

 わが家の「先祖代々の墓」は当地妙雲時、日蓮宗の寺の墓地にある。この宗派というものは不思議なもので、たとえばその教義を把握した上で属するものではない。たまたま嫁いだ家がこの宗派に属していたということ。生まれは濃州で曹洞宗の寺だった。

 で、縁あって日蓮宗の寺にお世話になっている。毎月義父の月命日にはお墓参りに出かける。宗教の教義とは関係なくこうしたことが出来るのは、日本の仏教だけなんだろう。実父母の法事には曹洞宗のお経を頂きありがたいお説教も頂く私である。

 そこで日蓮宗の総本山身延山久遠寺へ出かけた。静岡から身延線に乗る。車中から見る富士山は雲一つなく車窓から方向を変え長時間楽しむことができる。

 身延に着きDsc02584_2、  名物の湯葉定食Dsc02585 を食べ、三門から287段の急勾配の菩提梯を登る。Dsc02601

 そこからロープウエイで登った身延山から見る富士山もまた絶景。Dsc02592 日蓮に関する様々な史跡などを見学。

 年のせいか宗教やそれを開いた人物、またその史跡にも興味を抱くこの頃。 

2009年2月17日 (火)

歯朶(しだ)を見て

 遠州にDsc02487落ち着いて、Dsc02483地元の由緒ある地や歴史などに興味を持つようになった。車で通過する途中にふと気付いて立ち寄ったのが、浜北区尾野の今刀比羅神社・高根神社。

 今刀比羅神社は、江戸末から明治初期にかけて建てられ、本殿や神楽殿など多くの神社建築がまとまって残っている。  そこから数分登ると高根神社がある。拝殿からは浜北や浜松中心部を一望できる。古墳や巨石が多くある。

  さてDsc02486その参道に生えていた歯朶がとてもきれいだった。この写真は新年の季語ともなっている「裏白」。なだらかな参道にゆったりと垂れ揺れている。春に山中で群生する若葉を見たことがある。「歯朶萌ゆ」は春の季語。俳句をかじり始めたせいか、こうした植物に目がいくようになった。というより「歳」のせいかな。

   歯朶萌えて 癒えし夫行く 女坂

2009年2月 5日 (木)

箱根の山は天下の険

 東京に住む息子夫婦が、箱根にある区の保養施設の抽選に当たったからいっしょに「初春ゆったり温泉旅行」をしないか、と言ってきた。つれ合いの手術後初めての旅行としてはいいのでは、と参加。現地集合で娘のカップルも合流。

 小田Dsc02546原からバスで箱根の関所へ。箱根駅伝のルートを1時間余り、「天下の険」を実感する。 一昨年に新しく復元公開された大番所等の建物や資料館をじっくり見学。記録に寄れば関所破りで処刑された例は意外と少なく、むしろ山で迷ったとして返した例が沢山あること、関所での生々しいやりとりなどの様子を知る。

 子どもたちの育った時代は、今のように手厚い子育て支援もない時で、産後6週間で共同保育所に預け、私自身は働くことに重心を置き、大した育児もしなかった。そのせいか二人の子どもたちは早くに「自立」し共に18歳でわが家を出ており久々のゆっくりした出会いとなった。夜のカラオケ大会では大人社会でもまれている子どもたちの姿を垣間見た感じがした

 翌日は全員で大湧谷へ。箱根ロープウエイや大湧谷からの富士山は最高。Dsc025517年寿命が延びるという黒卵を食べ 、その後3組はDsc02559それぞれ、桃源台、彫刻の森美術館、小田原城と別れて旅を続けた。いい時間だった。 Dsc02556

2008年11月22日 (土)

展覧会あれこれ

 芸術の秋、あちこちで展覧会が開催されている。プロのものもあれば地域の小さな展覧会もある。一人一人の思いが凝縮された作品が並べられ、おそらく出品者には展覧会の規模に関わらず深い思いがあることだろう。11月に出かけた身近な展覧会あれこれ。

 その1、これは私が関係する陶芸教室の展覧会、11月上旬なゆたで開催された。陶芸を月1・2回習って1年半、何て不器用なんだろう、と思った時間だったが、日用雑器(焼き魚皿、多肉植物植木鉢、苔玉鉢、ビールジョッキなど)を専ら作りすぐに使ってきたので、いわゆる展示会に並べる品がない。花器、茶器、飾り皿、インテリアなどの作品がなく、もちろんその技術もなく・・・という現状でちょっと恥ずかしかった。しかし出品されたものはすばらしいものが多かった。Dsc02167 Dsc02171

 来年は頑張ろう、という気分。

 その2,切り絵の展示会「でんでんむしの会」30周年記念展。会場マイン・シュロス・ギャラリー。幼稚園の保護者の集まりから生まれた主婦5人の30年間の歩み、遠州を題材に絵本や郷土誌を出版してきた。地道な取り組みで30年間続いたことは本当にすばらしい。一冊しかない手作り絵本などにはひき付けられた。Dsc02205 Dsc02206 Dsc02207

 その他、私の関わる高齢者グループの展示会(やまゆり)、創造美術会陶芸展(なゆた市民ギャラリー)などじっくり作品を見る機会が続いた。

 11月30日には二俣町光明公民館で、相生地区に住む人たちの展覧会が開かれる。日々の生活の中で趣味として作ってきた作品の展示。住む地域で普段の生活にある「文化」の展示、小さい催しだが心から応援したい、と思う。

2008年11月10日 (月)

イノシシを使いとする摩利支天

 我が二俣町に金光明山光明護国禅寺(「光明山」と略して言う)がある。10月末、大祭があるとのことで出かけた。境内には「四季桜」があり白いかわいい花を付けている。Dsc02026 十数分登ると奥の院に着く。眺望が開け二俣の町や天竜川がよく見える。Dsc02036 そこで、一対のイノシシの像に出会った。Dsc02028

 光明山奥の院は摩利支天を祭る。摩利支天はイノシシに乗って素早く移動し姿が小さく実体が見えない。傷つきにくいことから我が国でも戦場の護神として武士の信仰を集めた。そのルーツは陽炎(かげろう)を神格化した古代インドの女神に由来する。様々な形があり、七頭のイノシシの背に座る場合もあれば、一頭のイノシシにまたがったり、三面六臂で表れたりする。イノシシの献主は碑文に寄れば、名古屋の加藤氏、大正8年のこと。

 境内にある句碑には、昭和14年4月に種田山頭火がここに来て、イノシシの像を珍しがった記述がある。私は亥年なので一層の親近感が湧く。我が町にも歴史ある楽しい場所が多い。

    猪の像と 秋の天竜 見下ろせり

2008年9月 8日 (月)

信州安曇野・須坂の旅

 少し足を伸ばし、信州に出かけた。須坂版画美術館及び安曇野ちひろ美術館を中心に、付近の歴史めぐり。風さんはショートステイ、姫は獣医さん宅のホテル。

 小林朝治、平塚運一の作品を見る。創作版画活動を推し進めた人たちの、時代を追って変化していく作風や美しい色彩、また白と黒との対比などを興味深く鑑賞できた。

 写真は須坂にある「豪商の館 田中家」の立派な鬼瓦と、史跡須坂藩館跡の面影を残す須坂小学校北側の石垣。今にその形を伝えているもの、殆ど失われたもの、どちらも歴史の息吹を感ずる。Dsc01718_2 Dsc01725

 安曇野ちひろ美術館、いわさきちひろ没後3年目の1977年に東京に開館した「ちひろ美術館」が、絵本画家の作品をコレクションしその作品群を展示しようとして1997年に安曇野につくられた。広大な公園内に建つ。絵本に興味を持ち始めた私には一日ゆっくりいたいような所だった。Dsc01735 Dsc01733

 涼風や ちひろの描いた 少女たち 

 

2008年9月 2日 (火)

掛川史跡めぐり

 相変わらず近場の史跡めぐりを続けている。今日は掛川、浜松同様、徳川家康と武田氏との戦いの史跡が多い。国指定文化財横須賀城址。徳川家康が武田氏に奪われていた高天神城を奪取するために、大須賀康高に命じて作らせた平山城で、幕末まで大須賀藩の城。現在は史跡公園になっていて、この日もDsc01686地域の老人クラブの方々が集まっていた。Dsc01691 きれいに積み直された石垣を見ながら登ると天守閣跡が広がる。

 天守閣近くに「翠鳥」の「天守閣 まぼろしに見る 落花かな」の句碑がある。 最近こうした句碑にも興味が湧き、写真に収めてカードにしている。作者の「翠鳥」がどういう人でなぜここに句碑Dsc01692があるのか、今後の課題。

 この城の南は入り江になっていたそうだが、宝永の大地震により土地が隆起し今は住宅地、遙か向こうに遠州灘が広がっている。

 ここはまた、私の住んでいる天竜区から信州に繋がる「塩の道」の起点ともなっている。Dsc01684 Dsc01685

2008年7月27日 (日)

田沼意次の史跡を訪ねる

 猛暑が続く。夕立でもあれば、と思うのだがここ数日全く雨が降らない。畑のナスやキュウリ、里芋にバケツで水やりをしている。

 その一日、遠州の東端、牧之原市へ。かつては大井川町が遠州の東端だったが遠州と駿河の境となった大井川の川筋が変わり、今は牧之原がその位置となった。Dsc01447

  榛原町と相良町が合併して誕生した牧之原市の庁舎、富士山静岡空港が来年3月海港との横断幕がある。ここで地図をもらい史跡めぐりをする。

 目標は田沼意次、14歳で徳川家重の小姓となり1万石を拝領、1758年遠州相良城主となり、1768年から12年かけて相良城を築城、その後10代将軍家治の側用人を経て老中となり幕府財政立て直しの諸政策を実施した人物。その後失脚、相良城は完成から僅か12年で取り壊された。写真は相良城二の丸の松と土塁Dsc01439

  築城の際、仙台藩主から寄進された石材により作られた船着き場は「仙台河岸」として残されている。Dsc01443 城のすぐ近くを流れる萩間川には白鷺がゆっくりと歩いていた。Dsc01446

 遠州では最も古い禅寺と言われる平田寺、国指定重要文化財大鐘家住宅など探訪後、一面の茶畑を通り抜けて戻る。